城郭 長谷川博美 基本記録

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佐々木六角氏の都市計画とビイスタ論

2022-05-21 06:52:25 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

佐々木六角氏の都市計画とビイスタ論

◆一般者

『近江與地誌略』にも収録されている

「源頼朝の隠し砦」見学会が4月23日

に迫ってまいりました。誰でも予約が

なく参加できるとの事で楽しみにして

います。jR河毛駅午前東口午前10時

でしたね?

 

◆みんな

そんな馬鹿な『近江與地誌略』にも

「源頼朝の隠し砦」が収録されたの?

 

◆長谷川

参加者が5名様でしたら当日の隠し砦

の縄張図や関係資料をコンビニでコピ

ーして配布しますから予約は不要です。

 

◆一般者

城郭ビイスタ論、展望論ってスゴイです!

よく考えてみれば長崎の「出島」なども扇

型に作られているのに学校では放射角度を

利用して幾何学的に作られているなどと?

全く教えてもらえなかった。城郭ビイスタ

論やはり戦前戦後を通して画期的な城郭論!

 

◆対談者

長谷川先生の城郭ビイスタ論動画再生

回数が2200回を超えて滋賀県中の人々

が驚いておられます。私自身もですよ!

 

◆一般者

そりやそうですよ!鎌倉自体がビイスタ工法

を応用した東国武家政権の都市であると先生

のブログに紹介されていて衝撃を受けました。

通常は鎌倉七口として知られてはおりますが?

都市計画、地域総合グランドプランとしてまた

ランドスケープ論として非常に斬新で興味深い

◆質問者

『吾妻鑑』で源頼朝が近江守護職の初期拠点

 東近江市の小脇に宿泊していますが小脇に

 もビイスタ構造やランドスケープ論は該当

 するのでしょうか?私は八日市と言います。

 

 

◆長谷川

非常に概略的概念的な図ですが

小脇館を中心とした地形は扇の形

に配置された景観が存在します。

後に小脇山城は城郭として充実

し堀切土塁曲輪が残っています。

 

◆質問者

近江佐々木六角氏の居城観音寺城に

ビイスタ工法は使われてましたか?

 

◆反論者

そんのある訳ないクダラナイ事だよ!

ふん!城や館を遠目で計測していた

証拠があるのかよ証明して見ろや!

 

◆長谷川

感情的にならずに江戸時代には

遠目で城を測量していましたよ

幕末の学者、吉田松陰日本の城

には「規矩」きくが備わったと

言っています。つまり私達現代

人が明治大正昭和平成令和忘却

していた「規矩術」曲尺「かね」

で分度を計算して行く数式です。

「規矩術」とは「幾何学」の事。

 

◆質問者「匿名」

繖山の近辺に住まいする者です匿名で

御願いを致します。佐々木六角氏居城

観音寺城は中世城郭としては石垣作り

の城郭としては日本最大級の中世石垣

城郭だと常々思っております。ズバリ

最近話題のビイスタ工法が観音寺城に

存在します?石垣を全山の城郭に使う

観音寺城は石垣の直線はこれ即ち直線

や幾何学で設計されたと考えています。

近世石垣城郭の先駆的城郭と考えます。

 

◆長谷川

あなたの御意見を、高飛車に最初から

否定する事は謙虚な学問する学者資質

に私が欠ける事になります。質問され

たら浅学ながら及ばずながらも観音寺

城のビイスタ工法の可能性に挑戦して

考察致します。先ずは佐々木六角氏の

山麓居館石寺地域には、所謂「お館」

「おやかた」近辺にビイスタ工法が読

み取れると思います特に館と日吉神社

の二局、二見の構成が潜在するように

思います。青線で表示する事にします。

▼六角館や日吉神社にビイスタ工法が

 観音寺城の城下町は壮麗荘厳な景観

 を石寺の城下も含め都市計画された。

 

◆一般観光客様

すごい!何度も繖山に石寺方面から登山

してますがこんなスゴイ城下の秘密があ

るとは全く知らず素晴らしいと感じます。

とくに六角館と日吉神社の配置が見事!

天正の教林坊のビイスタ工法も見事です。

 

◆反論者

ふん!あほらしい!しょうもない事を言うわ!

 

◆対談者

あほらしいと下品に感じる感受性よりも新しき

城郭の学問を進化させ近江滋賀を行楽観光産業で

活性化させる意義の方が学問的にも重要な事です!

 

◆長谷川

山岳山城部佐々木六角被官の山屋敷「山上城館」に

複数のビイスタ工法を用いた都市計画がなされた。

◆質問者「匿名」

これスゴイ見事やで!石段までビイスタ線

とシンクロしとるやないか?これスゴイ!

我らの近江大観音寺城は安土城に先行する

石垣大城郭の先駆として日本全国の人々に

発信して全く恥ずかしくないあの安土城に

も遜色ない壮大豪壮な城郭だと再認識した。

 

◆城郭研究家

これは衝撃と言うほかありません。私達

研究家は戦前戦後を通して山城や城郭は

自然地形に従った造形として自然地形論

に終始し切ってた我々は近視眼的に堀や

虎口の巧妙な配置に魅せられ束縛されて

戦前戦後の保守的な城郭研究の伝統手法

のみに固執する凡庸さを継承継続し続け

た。城郭遺跡全体を総括するき巨視的な

グランドプラン経始縄張城郭ビイスタ論

を凡庸な研究家が看破洞察できなかった。

長谷川さんの縄張図は繊細詳細を極めた

図面として以前から知られてたが城全体

の総括統括的グランドプランを巨視的に

言及考察する稀代の城郭研究家と誰1人

気付けなかった。

◆質問者

源頼朝は『吾妻鑑』で滋賀県東近江の旧

八日市、小脇つまり佐々木氏の初期拠点

に宿泊していますが小脇にもビイスタ論

やランドスケープ論的な展望配置要素が

読み取れますか?

◆みんな

薄々気づいていた人は滋賀にも潜在的に

昔から数多くおられます。滋賀県外出身

の私達は客観的に長谷川先生を高く評価

できる冷静さや物事の本質を看破洞察が

できる外部客観性を常に持ち併せていた

各地で催されるローカリズムの色彩を濃

く反映した地域歴史観に醸造された史観

や集団とは異なるグロバーリズム的視点

で「みんな」は長谷川先生を冷静に評価

しています。広い視野。広い歴史視座を!

 

◆長谷川

繖山の東峰にそびえる「布施淡路丸」も

掛線のビイスタ工法線に従属しています。

観音寺城の各屋敷や曲輪は通説はランダム

に各武将が思い思いに城郭や削平地造成や

石垣構築を自由勝手気ままには実施しては

いない。それは近江守護職佐々木氏の権限

が発動されて統制され観音寺城を築城した。

 

◆反論者

大名が山城に縄張りする時に大名自ら山城

の屋敷割を仕切るつまり指示した実例文献

があるのか!いい加減勝手な論説を言うな!

 

◆長谷川

歴史は感情や私情でありません冷静に願いします。

『信長公記』首巻「二宮山御こしあるべきの事」
一 、上 総 介 信 長 奇 特 な る 御 巧 み こ れ あ り 。

清 州 と 云 ふ 所 は 国 仲 、真 中 に て 、
富貴の地なり。或る時、御内衆悉召し列 れ ら れ 、

山 中 高 山 、 二 の 宮 山 へ 御
あがりなされ、 此 の 山 に て 御 要 害 仰 せ 付 け

ら れ 候 は ん と 上 意 に て 、 皆 々 、
家宅引き越し 候 へ と 御 諚 候 、 爰 の 嶺 、

か し こ の 谷 合 を 、 誰 々 こ し ら へ 候 へ
と、御屋敷下され、其の日御帰り、又、急ぎ

御出あつて、弥 、 右 の 趣 御 諚
候。」とあります。

◆長谷川

二の宮山への築城は小牧山に変更されましたが

この「信長公記」は大名みずから山城の構築の

指示を出した類例として貴重な文献と言えます。

 

近江観音寺城み都市計画ランドスケープ論とし

て用意周到城郭縄張したと私は思います日本史

でビイスタ工法「放射測量方法」看過できない。

 

▼城郭ビイスタ論動画「於長浜臨湖会館」で撮影

◆滋賀県民

長谷川先生の講義を聞きたくても私達

は受講できなかった。しかたなく近江

公民館で『信長公記』の民間連続講座

皆で協議して開催して好評との事でし

た。しかし長谷川先生の城郭講座とは

数少ないし土日が忙しく無理なのです。

 

◆対談者

東海北陸近畿の要の駅

米原駅から徒歩7分の場所

来る4月28日、木曜日から

米原学びあいステーシヨン

午前10時~11時30分まで

連続講座が毎月城郭講座

が実施されます。500円

予約は0749-52-2240

米原学びあいステーシヨン

「木曜はお城でしよう」です。

▼日本各地の城郭ビイスタ論が飛び出す可能性も!?

 ▼諏訪原城のビイスタ工法


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-04-19 06:48:48
われら近江が誇る大観音寺城の雄大かつ壮大なビイスタの展望が全く素晴らしいまた驚くべき長谷川先生の
学説の冴えがあります。
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