放送で話されていた内容は、基本的に「広報いわき」の2021年1月号に掲載されている「年頭のことば」と同じものだ。放送にはあって、このことばで落とされているのは、昨年の市政の取り組みについての部分だけのようだ。
昨年は、年の初めから新型コロナウイルスの流行が確認され、これに対する市の対応が問題になりつづけていた。市は、感染者との接触を知らせる「あんしんコロナお知らせシステム」等の取り組みや、事業者への休業支援等を進めてきた。これが放送では語られていた。この取り組みを受けながら、昨年秋以降の感染拡大・・第3波のようだが、秋以降、本市でも再び感染者が拡大している中で新年の市政運営の方向性が放送やことばで示したわけだ。
市長は、東日本大震災や令和元年東日本台風などの未曽有の災害を経験してきたが、その対策が新型コロナウイルスの対応にも通じるとしながら、「ウィズコロナやアフターコロナを意識したまちづくりをいかに進めていくかが肝要」と、
「暮らしを守る安全・安心の充実強化」
「ひと・まち・しごとの充実強化」
「共創力の充実強化」の3つの柱でのまちづくりの方向性を示した。
施策展開の前提は新型コロナの流行にある。となれば、新年度の施策の展開も、この流行にどう対応していくかにあるだろう。ところが、取り上げられた施策には、この流行にどう対応していくのか直接的には見えてこない。
第1の柱「暮らしを守る安全・安心の充実強化」では、自然災害への対応、危機管理部の新設、消防職員の定数拡充、医師確保、中山間地への光ファイバーの1日も早い整備等が具体的にあげられている。
第2の柱「ひと・まち・しごとの充実強化」には、児童・生徒にタブレット端末の整備と新年度からの運用、スマート社会推進課の新設、常磐地区の市街地再生整備等、本市への本社機能の移転推進、バッテリーバレー構想の推進、第一次産業の担い手確保・育成をあげる。
第3の柱「共創力の充実強化」には、まちづくり条例の基本原則に基づく共創のまちづくりの推進をあげる。
新型コロナウイルス感染が拡大の第3波と言われ、感染拡大が深刻な東京都等に政府は緊急事態宣言を発しようとしている。これらの自治体ほどではないにしろ、福島県内でも、本市でも感染者がコンスタントに増加している傾向がある。この局面で市民の関心は感染の抑制という点にあると考えられる。
放送では「ウィズコロナやアフターコロナを意識したまちづくり」が「肝要」としていた。アフターコロナは、新型コロナウイルスの治療法などの対策が一定確立された状態をいう。世界的にはワクチンの接種が始まっており、日本では今年半ばの接種開始がめざされている。これによってアフターコロナの条件が作られるのだろう。ウィズにせよ、アフターにせよ、市民は新型コロナに向き合っていかざるをえない状況は続く。
また、現段階で考えれば、医療崩壊を招かないためにも、感染の急激な拡大を抑えていくことが大切になる。市民もその点に関心を持っていると思う。
ではその状況に放送やあいさつで市長は放送やことばでどのように市民に語りかけたのか。残念ながら感染拡大の情報認識を語りながら、これに対する具体的な施策への言明がほとんどないように見える。患者発生時の対応充実につながるだろう消防職員の増員や医師の確保、またアフターコロナにつながるだろう児童生徒へのタブレット端末の整備とスマートシティの方向性作りが、わずかに関わる施策だと思える。しかし、これでは感染拡大という危急の事態に市長が、どのように取り組んでいこうとしているのかが見えてこないし、市民の関心・懸念に応えることができないのではないだろうか。
放送では、昨年の取り組みとして、発熱外来・市PCR専門検査センターの設置や「あんしんコロナお知らせシステム」の構築、また、事業所等への支援金の給付などの取り組みを進めてきたと語っていた。しかし、こうした取り組みの開始後に感染が拡大していいる現実がある。この現実を踏まえるならば、市長としてこの感染拡大防止にどのように取り組んでいくのか、その姿勢を、しっかり市民に伝えていくことが、市民の安心・安全につながるように思えて仕方がない。
清水市長の過去2回の選挙での公約や発言を、公約の問題点という観点から市議会で取り上げてきた経過があった。最初の選挙は東日本大震災後で、震災からの復旧等の取り組みが遅い等と現職の候補を批判したが、選挙後の質疑ではこの発言を撤回し、「着実に復興の歩みを進めてきた」とする一方、情報発信ができていなかったことが市民の閉塞感につながってきたなどと、情報発信の強化を打ち出していた。
逆に、2度目の選挙では、オリンピックを控えた時期で、磐城平城に櫓を建てて「オリンピックで増える観光客に、いわき駅を降りた時にオーワンダフルと言わせたい」と有権者の前で発言し、市議会の質問ではこの発言は「たとえ話」とごまかそうとした。選挙中に有権者を錯誤に導く情報発信をしていたわけだだが、情報のあり方を語る市長が、新型コロナ感染拡大の基調の中で、市民が深める懸念を解消し、年頭のことばで安心・安全のための情報発信ができていないのはどういうわけなのだろう。
行政的に見れば、新型感染症の取り組み主体は都道府県となり、市町村が独自にできることは限定的になる。としても、住民にもっとも身近な自治体として、住民の懸念を汲んで、その解消のために取り組む姿勢を鮮明にしていくこと大切だろうと思う。それは場合によっては、法制度の変更を求めるような内容になることがあるかもしれない。あるいは法制度の隙間をつくような取り組みとなる場面があるかもしれない。
東日本大震災の被害を受けた本市の取り組みを評して、法制度上明確でない問題があれば、まずは実行するために準備をすすめる取り組みをしたと聴いたことがある。そのことによって、様々な場面で、後に国が問題に関わる制度の仕組みを立ち上げた時に、本市がいち早くこれに取り組むことを可能にしたというのだ。この新型コロナ対応でも同様の姿勢が必要で、それはひとえに市長の姿勢なのではないだろうか。そんなふうに思えてくる。
今年の年頭のことばは、新型コロナの流行という情勢認識を持ち、これに対応するという特別の方向性を打ち出しながら、現実に並べられた施策は各部の主要新施策を取り出し3つの柱にぶら下げただけの、ごくごく一般的な施策展開となっている。そしてそこに市長の独自の政策的意思というか、決意というか、そういうものが見えてこない。だからこそ、この年頭言葉や放送で語られた一つひとつ心に響いてこなかったのではないか。そんなふうに思う。
毎年、恒例の年頭所感は4日時点では公表されていないが、直公表されるだろう。そこで何を語っているのか、関心を持って見ていたい。
ちなみに今回盛られた施策のうち児童・生徒1人に1台のタブレット端末整備についてふれておきたい。
子どもの教育で、大きな問題の一つが、親の経済力が子どもの教育に影響しているとされる問題だ。親が貧困な状況が子どもの学習にも影響し、その結果、成人した子どもも貧困の下に置かれてしまうという。
家庭の経済環境は、IT関連の学習環境の優劣を家庭に作り出すと考えられる。パソコンやインターネット環境がある家庭とない家庭では、その利用についての子どもの学習に格差がついてしまいかねない。ネット環境の利用は、問題があるサイトとの接続等の危険性もあるが、安全に使えるような教育や仕組みの導入を含めながら、家庭の経済力でこの面での学習格差を少しでも小さくするような取り組みが必要だろう。
こう考えて、市議在職時には提案されたタブレット端末の整備などIT関連教育に必要な予算の提案に賛成してきた。ただ最近読んだ新聞記事が気にかかった。
Apple社の創業者でipadの産みの親であるスティーブ・ジョブズは、自分の子どもの使用には慎重だったというのだ。インターネットのアクセスに非常に便利なipadの高い依存性に気付いており、ある記者のインタビューに答えジョブズは、自宅では「ipadはそばに置くことすらしない」とし、スクリーンタイムを厳しく制限していると話したというのだ。マイクロソフトのビルゲイツは、子どもが14歳になるまでスマホを持たせなかったという。
ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ
IT企業のトップたちは複雑な感情を抱いている
(東洋経済オンライン、2020/12/27)
これを読むと、児童生徒におけるIT教育は慎重に対応することが必要なようにも思えてくる。以前からインターネットの依存性は問題視されてきた。こともあろうに、便利なインターネット接続環境を提供してきた企業のトップが、子どもに対して危惧をもっていたというのだ。そのことを考えると、タブレットやPCが子どもにもたらす影響、子どもへのIT教育の必要性やあり方など、幅広い分野からあらためて検討していくことが必要そうだ。
決して企業的な論理から、この問題を取り扱ってはならないようだ。
昨年は、年の初めから新型コロナウイルスの流行が確認され、これに対する市の対応が問題になりつづけていた。市は、感染者との接触を知らせる「あんしんコロナお知らせシステム」等の取り組みや、事業者への休業支援等を進めてきた。これが放送では語られていた。この取り組みを受けながら、昨年秋以降の感染拡大・・第3波のようだが、秋以降、本市でも再び感染者が拡大している中で新年の市政運営の方向性が放送やことばで示したわけだ。
市長は、東日本大震災や令和元年東日本台風などの未曽有の災害を経験してきたが、その対策が新型コロナウイルスの対応にも通じるとしながら、「ウィズコロナやアフターコロナを意識したまちづくりをいかに進めていくかが肝要」と、
「暮らしを守る安全・安心の充実強化」
「ひと・まち・しごとの充実強化」
「共創力の充実強化」の3つの柱でのまちづくりの方向性を示した。
施策展開の前提は新型コロナの流行にある。となれば、新年度の施策の展開も、この流行にどう対応していくかにあるだろう。ところが、取り上げられた施策には、この流行にどう対応していくのか直接的には見えてこない。
第1の柱「暮らしを守る安全・安心の充実強化」では、自然災害への対応、危機管理部の新設、消防職員の定数拡充、医師確保、中山間地への光ファイバーの1日も早い整備等が具体的にあげられている。
第2の柱「ひと・まち・しごとの充実強化」には、児童・生徒にタブレット端末の整備と新年度からの運用、スマート社会推進課の新設、常磐地区の市街地再生整備等、本市への本社機能の移転推進、バッテリーバレー構想の推進、第一次産業の担い手確保・育成をあげる。
第3の柱「共創力の充実強化」には、まちづくり条例の基本原則に基づく共創のまちづくりの推進をあげる。
新型コロナウイルス感染が拡大の第3波と言われ、感染拡大が深刻な東京都等に政府は緊急事態宣言を発しようとしている。これらの自治体ほどではないにしろ、福島県内でも、本市でも感染者がコンスタントに増加している傾向がある。この局面で市民の関心は感染の抑制という点にあると考えられる。
放送では「ウィズコロナやアフターコロナを意識したまちづくり」が「肝要」としていた。アフターコロナは、新型コロナウイルスの治療法などの対策が一定確立された状態をいう。世界的にはワクチンの接種が始まっており、日本では今年半ばの接種開始がめざされている。これによってアフターコロナの条件が作られるのだろう。ウィズにせよ、アフターにせよ、市民は新型コロナに向き合っていかざるをえない状況は続く。
また、現段階で考えれば、医療崩壊を招かないためにも、感染の急激な拡大を抑えていくことが大切になる。市民もその点に関心を持っていると思う。
ではその状況に放送やあいさつで市長は放送やことばでどのように市民に語りかけたのか。残念ながら感染拡大の情報認識を語りながら、これに対する具体的な施策への言明がほとんどないように見える。患者発生時の対応充実につながるだろう消防職員の増員や医師の確保、またアフターコロナにつながるだろう児童生徒へのタブレット端末の整備とスマートシティの方向性作りが、わずかに関わる施策だと思える。しかし、これでは感染拡大という危急の事態に市長が、どのように取り組んでいこうとしているのかが見えてこないし、市民の関心・懸念に応えることができないのではないだろうか。
放送では、昨年の取り組みとして、発熱外来・市PCR専門検査センターの設置や「あんしんコロナお知らせシステム」の構築、また、事業所等への支援金の給付などの取り組みを進めてきたと語っていた。しかし、こうした取り組みの開始後に感染が拡大していいる現実がある。この現実を踏まえるならば、市長としてこの感染拡大防止にどのように取り組んでいくのか、その姿勢を、しっかり市民に伝えていくことが、市民の安心・安全につながるように思えて仕方がない。
清水市長の過去2回の選挙での公約や発言を、公約の問題点という観点から市議会で取り上げてきた経過があった。最初の選挙は東日本大震災後で、震災からの復旧等の取り組みが遅い等と現職の候補を批判したが、選挙後の質疑ではこの発言を撤回し、「着実に復興の歩みを進めてきた」とする一方、情報発信ができていなかったことが市民の閉塞感につながってきたなどと、情報発信の強化を打ち出していた。
逆に、2度目の選挙では、オリンピックを控えた時期で、磐城平城に櫓を建てて「オリンピックで増える観光客に、いわき駅を降りた時にオーワンダフルと言わせたい」と有権者の前で発言し、市議会の質問ではこの発言は「たとえ話」とごまかそうとした。選挙中に有権者を錯誤に導く情報発信をしていたわけだだが、情報のあり方を語る市長が、新型コロナ感染拡大の基調の中で、市民が深める懸念を解消し、年頭のことばで安心・安全のための情報発信ができていないのはどういうわけなのだろう。
行政的に見れば、新型感染症の取り組み主体は都道府県となり、市町村が独自にできることは限定的になる。としても、住民にもっとも身近な自治体として、住民の懸念を汲んで、その解消のために取り組む姿勢を鮮明にしていくこと大切だろうと思う。それは場合によっては、法制度の変更を求めるような内容になることがあるかもしれない。あるいは法制度の隙間をつくような取り組みとなる場面があるかもしれない。
東日本大震災の被害を受けた本市の取り組みを評して、法制度上明確でない問題があれば、まずは実行するために準備をすすめる取り組みをしたと聴いたことがある。そのことによって、様々な場面で、後に国が問題に関わる制度の仕組みを立ち上げた時に、本市がいち早くこれに取り組むことを可能にしたというのだ。この新型コロナ対応でも同様の姿勢が必要で、それはひとえに市長の姿勢なのではないだろうか。そんなふうに思えてくる。
今年の年頭のことばは、新型コロナの流行という情勢認識を持ち、これに対応するという特別の方向性を打ち出しながら、現実に並べられた施策は各部の主要新施策を取り出し3つの柱にぶら下げただけの、ごくごく一般的な施策展開となっている。そしてそこに市長の独自の政策的意思というか、決意というか、そういうものが見えてこない。だからこそ、この年頭言葉や放送で語られた一つひとつ心に響いてこなかったのではないか。そんなふうに思う。
毎年、恒例の年頭所感は4日時点では公表されていないが、直公表されるだろう。そこで何を語っているのか、関心を持って見ていたい。
ちなみに今回盛られた施策のうち児童・生徒1人に1台のタブレット端末整備についてふれておきたい。
子どもの教育で、大きな問題の一つが、親の経済力が子どもの教育に影響しているとされる問題だ。親が貧困な状況が子どもの学習にも影響し、その結果、成人した子どもも貧困の下に置かれてしまうという。
家庭の経済環境は、IT関連の学習環境の優劣を家庭に作り出すと考えられる。パソコンやインターネット環境がある家庭とない家庭では、その利用についての子どもの学習に格差がついてしまいかねない。ネット環境の利用は、問題があるサイトとの接続等の危険性もあるが、安全に使えるような教育や仕組みの導入を含めながら、家庭の経済力でこの面での学習格差を少しでも小さくするような取り組みが必要だろう。
こう考えて、市議在職時には提案されたタブレット端末の整備などIT関連教育に必要な予算の提案に賛成してきた。ただ最近読んだ新聞記事が気にかかった。
Apple社の創業者でipadの産みの親であるスティーブ・ジョブズは、自分の子どもの使用には慎重だったというのだ。インターネットのアクセスに非常に便利なipadの高い依存性に気付いており、ある記者のインタビューに答えジョブズは、自宅では「ipadはそばに置くことすらしない」とし、スクリーンタイムを厳しく制限していると話したというのだ。マイクロソフトのビルゲイツは、子どもが14歳になるまでスマホを持たせなかったという。
ジョブズが子供の「iPad使用」に慎重だったワケ
IT企業のトップたちは複雑な感情を抱いている
(東洋経済オンライン、2020/12/27)
これを読むと、児童生徒におけるIT教育は慎重に対応することが必要なようにも思えてくる。以前からインターネットの依存性は問題視されてきた。こともあろうに、便利なインターネット接続環境を提供してきた企業のトップが、子どもに対して危惧をもっていたというのだ。そのことを考えると、タブレットやPCが子どもにもたらす影響、子どもへのIT教育の必要性やあり方など、幅広い分野からあらためて検討していくことが必要そうだ。
決して企業的な論理から、この問題を取り扱ってはならないようだ。
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