朝の空に流れていた雲は高層の雲と思われる。たぶん巻層雲と呼ばれる雲だ。
地上で強風が吹くだけでなく、上空の空大気流れも早いようだ。雲がどんどん流れていく。
雲の流れの具合で変わるのだろう。空の上、太陽の上部に虹色の孤が浮かぶ。愛犬の散歩をしながら気づいた。
真ん丸の孤ならハロだが、これは少し扁平に見える。たぶんこれは上部タンジェントアーク。
以前なら間違いなくハロと判断しただろうが、今は、形の微妙な違いからその現象の正体を判断できるようになってきたように思う。
雲は時間とともに流れる量やその質が変わる。そのたびアークは消えたり、短くなったり姿を変えていった。
その間も地上では、ゴーゴーと強い風が吹き抜けていく。干した洗濯物が物干しからずり落ち地上に転がることもある。早くおさまってくれないだろうか。夕方までずーっとそんなことを考えていた。
さて、午後8時を過ぎた。
県議選の街頭での選挙活動は終わり、午前0時を過ぎれば選挙活動は禁止される。「〇〇候補に一票を」「〇〇候補をお願いします」と支持を依頼することはできなくなるのだ。
今回の県議選の有権者の関心は高まっているのだろうか。
中山間地に位置する我が家の場合、候補者カーで通り過ぎた候補者は、記憶の限りでは自民党の候補者が2人、無所属が1人、維新が1人、公明1人、共産1人といったところだろうか。記憶漏れがあるかもしれないが、全部の候補者が通ったわけではないない。加えて、それぞれの候補者の政治信条や政策を知ろうと思えば、一般的に共通してあるのは報道と選挙公報だけとなる。
我が家で購読している新聞は福島民報だが、その候補者アンケートでは、東電福島第一原子力発電所事故での処理水対応や政治課題への対応の考え方などが問われていた。一読して思ったことは、どの選択肢をとっても大きな間違いにはならないだろうということ。このことをもって候補者の優劣を決めがたいということだった。
ざっぱに見れば処理水の放出に反対か、放出を認めながら政府等の今後の対応強化を求めるかという点で、それぞれの候補者の違いが見えてきそうだった。私自身は、処理水の放出は、政府がその安全性に点について国民に広く理解を広げることで風評被害の芽をなくすることをもって漁業者など関係者の理解を得ることができると考えていた。
政府の取り組みが十分ではない段階で放出を開始したという点では問題があると考えていた。しかし、現実には放出による風評被害は発生していないようで、政治的な思惑らしい中国の対抗措置が続いているだけになっている。この点は問題と言えば問題だが、たぶん為にする議論にしかならない。
となると手にすることができる候補者の政策等の違いは選挙公報で見るということになるが、これを見ても具体的な違いを見ることは難しい。抽象的な公約も、具体的な公約もあるが、予算編成権を持たない議員が実現をどう図るかを読み解くことは難しい。
また具体的な公約を掲げても、予算編成権を持たない議員がそれをどう実現するのか。そこを示したものを見ることもできない。
私自身は、居住地で起きた住民運動との関連等で、共産党の地区幹部や県会議員、また県の幹部が、事実誤認の宣伝文書を住民に配布しながら、その事実を認めずに、批判の対象となった事業者に謝罪もせず、また、私自身には間違っていた事実を隠しながら関係改善を図ろうとしていたこと、あるいは一部には間違いの事実にさえ向き合えずにいることを知り、これらの卑怯な人々と関係を断つために離党をしたこともあり、古巣の政党候補者を支持する気には全くならない。
前回の県会議員選挙を前に離党したのも、政党として現職県議の擁立を決定し、民主集中制の組織原則の下で所属市議会議員として、そんな候補者の選挙運動をすることはできないという気持ちもあったからだったのでなおさらだ。
別の観点から考えて投票するしかないと考え、地域の問題で、その解決に力を尽くした候補者に投票したいと考え、期日前投票ですでに投票を終えている。
さて、多くの優位権者は明日の投票日にどんな判断を下すのか。今日のように強風が吹き荒れるような日になるのか、それとも無風のしんみりとした日になるのか。できれば過去の結果を覆す、大荒れの日になればいいな。そんなことを思っている。
そのためにも棄権せず投票に出かけてほしい。心からそう思う。
地上で強風が吹くだけでなく、上空の空大気流れも早いようだ。雲がどんどん流れていく。
雲の流れの具合で変わるのだろう。空の上、太陽の上部に虹色の孤が浮かぶ。愛犬の散歩をしながら気づいた。
真ん丸の孤ならハロだが、これは少し扁平に見える。たぶんこれは上部タンジェントアーク。
以前なら間違いなくハロと判断しただろうが、今は、形の微妙な違いからその現象の正体を判断できるようになってきたように思う。
雲は時間とともに流れる量やその質が変わる。そのたびアークは消えたり、短くなったり姿を変えていった。
その間も地上では、ゴーゴーと強い風が吹き抜けていく。干した洗濯物が物干しからずり落ち地上に転がることもある。早くおさまってくれないだろうか。夕方までずーっとそんなことを考えていた。
さて、午後8時を過ぎた。
県議選の街頭での選挙活動は終わり、午前0時を過ぎれば選挙活動は禁止される。「〇〇候補に一票を」「〇〇候補をお願いします」と支持を依頼することはできなくなるのだ。
今回の県議選の有権者の関心は高まっているのだろうか。
中山間地に位置する我が家の場合、候補者カーで通り過ぎた候補者は、記憶の限りでは自民党の候補者が2人、無所属が1人、維新が1人、公明1人、共産1人といったところだろうか。記憶漏れがあるかもしれないが、全部の候補者が通ったわけではないない。加えて、それぞれの候補者の政治信条や政策を知ろうと思えば、一般的に共通してあるのは報道と選挙公報だけとなる。
我が家で購読している新聞は福島民報だが、その候補者アンケートでは、東電福島第一原子力発電所事故での処理水対応や政治課題への対応の考え方などが問われていた。一読して思ったことは、どの選択肢をとっても大きな間違いにはならないだろうということ。このことをもって候補者の優劣を決めがたいということだった。
ざっぱに見れば処理水の放出に反対か、放出を認めながら政府等の今後の対応強化を求めるかという点で、それぞれの候補者の違いが見えてきそうだった。私自身は、処理水の放出は、政府がその安全性に点について国民に広く理解を広げることで風評被害の芽をなくすることをもって漁業者など関係者の理解を得ることができると考えていた。
政府の取り組みが十分ではない段階で放出を開始したという点では問題があると考えていた。しかし、現実には放出による風評被害は発生していないようで、政治的な思惑らしい中国の対抗措置が続いているだけになっている。この点は問題と言えば問題だが、たぶん為にする議論にしかならない。
となると手にすることができる候補者の政策等の違いは選挙公報で見るということになるが、これを見ても具体的な違いを見ることは難しい。抽象的な公約も、具体的な公約もあるが、予算編成権を持たない議員が実現をどう図るかを読み解くことは難しい。
また具体的な公約を掲げても、予算編成権を持たない議員がそれをどう実現するのか。そこを示したものを見ることもできない。
私自身は、居住地で起きた住民運動との関連等で、共産党の地区幹部や県会議員、また県の幹部が、事実誤認の宣伝文書を住民に配布しながら、その事実を認めずに、批判の対象となった事業者に謝罪もせず、また、私自身には間違っていた事実を隠しながら関係改善を図ろうとしていたこと、あるいは一部には間違いの事実にさえ向き合えずにいることを知り、これらの卑怯な人々と関係を断つために離党をしたこともあり、古巣の政党候補者を支持する気には全くならない。
前回の県会議員選挙を前に離党したのも、政党として現職県議の擁立を決定し、民主集中制の組織原則の下で所属市議会議員として、そんな候補者の選挙運動をすることはできないという気持ちもあったからだったのでなおさらだ。
別の観点から考えて投票するしかないと考え、地域の問題で、その解決に力を尽くした候補者に投票したいと考え、期日前投票ですでに投票を終えている。
さて、多くの優位権者は明日の投票日にどんな判断を下すのか。今日のように強風が吹き荒れるような日になるのか、それとも無風のしんみりとした日になるのか。できれば過去の結果を覆す、大荒れの日になればいいな。そんなことを思っている。
そのためにも棄権せず投票に出かけてほしい。心からそう思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます