迎え火はすっかり忘れていた。
なたで木を割り、迎え火の準備をして、夕方、火をつけた。
迎え火は、たしか、お盆で里帰りする先祖の霊が迷わず帰ってくることができるように目印に炊くものだと思った。霊は昨日帰ってくるはずだから、丸一日、迷子になっていたのかも知れない。
ユラユラ揺らめく迎え火はたしかに目をひきつける。
ご先祖様もこれで帰る道を見つけることができただろう。
さて、天皇の靖国参拝要請を宮内庁が断ったという記事は、前天皇が戦争に対してどのような考えを持っているかをうかがい知ることができるものだった。
この記事によると、靖国神社の前身である「東京招魂社」は、戊辰戦争の官軍戦死者らを弔う明治天皇の意向を受けて1869年に創建され、50周年、100周年をはじめ平成天皇以前の天皇が参拝をしてきたという。
ところが、1975年の昭和天皇参拝後、78年のA級戦犯の合祀をきっかけに天皇は参拝を取りやめる。戦争を引き起こした責任者を参拝によってあがめることはできないという明確な考えが披瀝されているのだと思う。
記事は、昨年9月、靖国神社が2019年の創立150年に合わせた当時の天皇の参拝を求める行幸請願を宮内庁掌典職に行ったものの、掌典職は多忙を理由に宮内庁長官や天皇側近部局への取り次ぎを「できない」と回答したのだという。これを靖国側は「断られた」と判断しているという。
解説記事はこう書く。
「靖国神社の前身の東京招魂社は1869年に明治天皇の意向で造られ、戦没者を慰霊、顕彰する中心は天皇本人だ。天皇の不参拝が続くことは、当事者の靖国神社にとって本質的な危機といえる。」
さらにこう書く。
「戦没者慰霊を巡る議論の中心となってきた靖国神社の存在意義が問われる局面だが、他方、戦没者慰霊は靖国神社だけが担っているわけではない。国民が慰霊の在り方考える契機でもある。」
そういえば昨年だったか、週刊ポストが靖国宮司の天皇批判発言をすっぱ抜いた記事を掲載したことを思い出す。
同記事では、この宮司が「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」とか「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」などと天皇を批判する発言をしていたことを明らかにした。
解説記事は「上皇さま(前天皇)は国内外の太平洋戦争の激戦地を訪れて戦没者を追悼する『慰霊の旅』を重ねた。新たな国立追悼施設などが提唱されながら実現せず、議論が滞る中、昭和の『負の遺産』の記憶を刻み、平和への思いを新たにする機会を国民に示した格好だ」と指摘する。靖国神社の参拝でなくとも、戦没者の慰霊はできるということを身をもって示したということだ。
別の記事は、1966年に旧厚生省がA級戦犯を含む「祭神名票」を靖国神社に送り、神社総代会もA級戦犯合祀を了承していたと明かす。しかし、当時の宮司は合祀に慎重な姿勢を崩さず、「宮司あずかり」にしていたのだという。ところが、「戦勝国による東京裁判を認めるわけにはいかない」という持論を持つ後の宮司が「宮司あずかり」を解除し合祀をさせた。調べてみるとこの宮司は、「東京裁判を否定しなければ、日本の精神復興は出来ないと思うから、いわゆるA級戦犯者の方々も祀るべきだ」と、合祀に至る考えを発言していたという。
東京裁判に対しては様々な評価があるようだが、日本と米国との間で締結されたサンフランシスコ講和条約の11条で、日本は東京裁判の判決を受託しており、東京裁判の否定は講和条約の改定を求めることと同義となるのだが、東京裁判否定論にはそこまでの考えがあるのだろうかと別の疑問も湧いてきた。
それはともかく、記事では靖国を支える遺族会の一部に天皇の参拝を実現するためにA級戦犯の分祀を求める声があるが、靖国側は「神道の在り方を踏まえ『認められない』」と拒否しているという。以前何かで読んだのだが、いったん合祀された〝英霊〟は溶け合って一つになるために、A級戦犯だけを取り出すのは不可能だという理屈だったと記憶している。
とすると天皇をはじめ、国民全てがわだかまりなく戦争犠牲者を追悼するためには、それにふさわしい施設が必要ということになるだろう。以前、米国の・・誰だったかな・・ともかく代表が訪日した際、戦争犠牲者を追悼するために訪れたのは東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑だった。ここは、「名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある『無名戦没者の墓』」であり、「先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑」である。昨年5月28日現在36万9,166柱の遺骨を奉安しているという。米国の代表は、日本の政府関係者が参拝する靖国ではなく千鳥ヶ淵に参拝することで、戦争犯罪に対する姿勢を明確に示したのだろう。
明日で戦後74年になろうとしている。遠野町では戦没者の慰霊も含めたじゃんがら念仏盆踊り大会が開催される。56回目になるが、こういう慰霊も全国的には行われているということを政府は理解し、全国的な慰霊の在り方について政府は検討すべきと思う。
なたで木を割り、迎え火の準備をして、夕方、火をつけた。
迎え火は、たしか、お盆で里帰りする先祖の霊が迷わず帰ってくることができるように目印に炊くものだと思った。霊は昨日帰ってくるはずだから、丸一日、迷子になっていたのかも知れない。
ユラユラ揺らめく迎え火はたしかに目をひきつける。
ご先祖様もこれで帰る道を見つけることができただろう。
さて、天皇の靖国参拝要請を宮内庁が断ったという記事は、前天皇が戦争に対してどのような考えを持っているかをうかがい知ることができるものだった。
この記事によると、靖国神社の前身である「東京招魂社」は、戊辰戦争の官軍戦死者らを弔う明治天皇の意向を受けて1869年に創建され、50周年、100周年をはじめ平成天皇以前の天皇が参拝をしてきたという。
ところが、1975年の昭和天皇参拝後、78年のA級戦犯の合祀をきっかけに天皇は参拝を取りやめる。戦争を引き起こした責任者を参拝によってあがめることはできないという明確な考えが披瀝されているのだと思う。
記事は、昨年9月、靖国神社が2019年の創立150年に合わせた当時の天皇の参拝を求める行幸請願を宮内庁掌典職に行ったものの、掌典職は多忙を理由に宮内庁長官や天皇側近部局への取り次ぎを「できない」と回答したのだという。これを靖国側は「断られた」と判断しているという。
解説記事はこう書く。
「靖国神社の前身の東京招魂社は1869年に明治天皇の意向で造られ、戦没者を慰霊、顕彰する中心は天皇本人だ。天皇の不参拝が続くことは、当事者の靖国神社にとって本質的な危機といえる。」
さらにこう書く。
「戦没者慰霊を巡る議論の中心となってきた靖国神社の存在意義が問われる局面だが、他方、戦没者慰霊は靖国神社だけが担っているわけではない。国民が慰霊の在り方考える契機でもある。」
そういえば昨年だったか、週刊ポストが靖国宮司の天皇批判発言をすっぱ抜いた記事を掲載したことを思い出す。
同記事では、この宮司が「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう?」とか「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ。わかるか?」などと天皇を批判する発言をしていたことを明らかにした。
解説記事は「上皇さま(前天皇)は国内外の太平洋戦争の激戦地を訪れて戦没者を追悼する『慰霊の旅』を重ねた。新たな国立追悼施設などが提唱されながら実現せず、議論が滞る中、昭和の『負の遺産』の記憶を刻み、平和への思いを新たにする機会を国民に示した格好だ」と指摘する。靖国神社の参拝でなくとも、戦没者の慰霊はできるということを身をもって示したということだ。
別の記事は、1966年に旧厚生省がA級戦犯を含む「祭神名票」を靖国神社に送り、神社総代会もA級戦犯合祀を了承していたと明かす。しかし、当時の宮司は合祀に慎重な姿勢を崩さず、「宮司あずかり」にしていたのだという。ところが、「戦勝国による東京裁判を認めるわけにはいかない」という持論を持つ後の宮司が「宮司あずかり」を解除し合祀をさせた。調べてみるとこの宮司は、「東京裁判を否定しなければ、日本の精神復興は出来ないと思うから、いわゆるA級戦犯者の方々も祀るべきだ」と、合祀に至る考えを発言していたという。
東京裁判に対しては様々な評価があるようだが、日本と米国との間で締結されたサンフランシスコ講和条約の11条で、日本は東京裁判の判決を受託しており、東京裁判の否定は講和条約の改定を求めることと同義となるのだが、東京裁判否定論にはそこまでの考えがあるのだろうかと別の疑問も湧いてきた。
それはともかく、記事では靖国を支える遺族会の一部に天皇の参拝を実現するためにA級戦犯の分祀を求める声があるが、靖国側は「神道の在り方を踏まえ『認められない』」と拒否しているという。以前何かで読んだのだが、いったん合祀された〝英霊〟は溶け合って一つになるために、A級戦犯だけを取り出すのは不可能だという理屈だったと記憶している。
とすると天皇をはじめ、国民全てがわだかまりなく戦争犠牲者を追悼するためには、それにふさわしい施設が必要ということになるだろう。以前、米国の・・誰だったかな・・ともかく代表が訪日した際、戦争犠牲者を追悼するために訪れたのは東京都千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑だった。ここは、「名前のわからかない戦没者のご遺骨が 納骨室に納めてある『無名戦没者の墓』」であり、「先の大戦で亡くなられた全戦没者の慰霊追悼のための聖苑」である。昨年5月28日現在36万9,166柱の遺骨を奉安しているという。米国の代表は、日本の政府関係者が参拝する靖国ではなく千鳥ヶ淵に参拝することで、戦争犯罪に対する姿勢を明確に示したのだろう。
明日で戦後74年になろうとしている。遠野町では戦没者の慰霊も含めたじゃんがら念仏盆踊り大会が開催される。56回目になるが、こういう慰霊も全国的には行われているということを政府は理解し、全国的な慰霊の在り方について政府は検討すべきと思う。
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