伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

B29の編隊を見た。戦争体験を聞いた日。

2017年10月17日 | 平和・戦争
 きょう、昼ご飯を食べていたら、「全然、車来ないな。まぁー来なくていいけど、俺は決めた共産党」と店主に語りかけながら、入ってきたお年寄りがいました。

 店主が、「伊藤先生がいる」と声をかけたので、私も「ありがとうございます。よろしくお願いします」とあいさつをしました。私を見て気が付いてそんなことを言っていたのかもしれませんが、ひとしきり政治談議となりました。「先生」と呼ばれることには、若干抵抗がありますが、ここはスルーしてとにかくお話を聞いてみました。

 選挙情勢のアンケートで、自民党が300議席以上を獲得する勢いとの報に接し、何でこんなことになるのか疑問を持っているようで、私は「小選挙区制は比較第1党が有利な選挙制度だから、多数の候補者が出ると、どうしても自民党に有利になるけれど、1対1の選挙では、自民党と野党で競った選挙になっている。希望の党が野党共闘を壊したことが一番の問題」と話しました。

 こうした政治談議はお好きだとのことですが、ご自身の戦争体験も話してくださいました。

 77歳というから1940(昭和15年)生まれ、尋常小学校に上がった時には防空壕堀りばかりやらされたと話します。以前に別の方から聞いたことがありますが、勿来地区が機銃掃射されたこともあるとい実例とともに、田人の小学校に上がった年にB29が編隊をなして飛んでいく姿を見たといいます。

 郡山市は、日本が敗戦した1945(昭和20)年4月12日と、7月29日に爆撃をされていますが、7月29日は、福島市と現いわき市平に訓練のために投下された原爆の模擬爆弾とみられるといいますから、このお年寄りが見たB29の編隊は、おそらく4月12日の事だったのでしょう。保土谷化学工場、日東紡福山工場、東北振興アルミ工場、浜津鉄工場、国鉄郡山駅に加え、これらの周辺の民家等も被害を受け460名の死者を出しているようです。

 以前には、クレハ工場や植田駅の機銃掃射を体験され、ご自宅がクレハの近くにあったものだから、煙突を目標にしながら機銃掃射を仕掛ける戦闘機を、隠れた竹藪の中から、確かお姉さんと一緒におそるおそる見上げていたという体験談や、入遠野にあった防空監視所から昇っていく銀色の物体を見つけ報告すると「見ていたことは内緒にしろ」と言われた体験など聞いたことがありますが、兵士としての体験ではなくとも、記憶に刻まれた日常の戦争体験が心を打ちます。

 北朝鮮問題をめぐり、米軍の軍事的「圧力」が強まる中、「俺は戦争はだめだ」というようにあの時の体験を2度としたくないという思いが強いようです。

 「ところで北朝鮮問題に、共産党はどういう考えを持っているんだ」と問われました。

 「米韓共同演習が始まっているけれど、現状では間違いで戦端が開かれかねない状況があると思う。また対話という出口を用意しないと、北朝鮮が行き詰った時に行き場を失って、どんな行動に出るか分からないという問題もある。国連安保理の決議による経済制裁の実効性をあげるために外交努力をしながら、制裁強化の効果があがって北朝鮮が望んだ時の出口として対話を用意しておくために、その意思表示をしておくことが大切だと思います。対話を否定し圧力だけを口にする安倍政権の対応は問題があると思います」

 そんなお話をしました。

 夕方の時間には、「今度の選挙はむちゃくちゃ」と希望の党が野党共闘を壊したことを批判する人とお話をしました。

 くしくも天皇制の話になり、昭和天皇が「もう一度戦果をあげてから」と敗戦を引きのばしたために、関東空襲、沖縄、そして原爆投下と一般市民に戦争犠牲者を拡大したことから戦争責任はあるけれど、現在の天皇には責任がなく、憲法に定められた行動を厳格にとる限りには、憲法に盛られた天皇制を尊重することが必要だという主旨のお話をしました。

 考えてみると、日本の戦争体験を終日していたことになります。

 ちなみに本日、治療中の歯がブリッジでよみがえりました。

 残っていた歯根を抜き、傷口はおそらく二針縫って、借歯を装着してもらいました。

 まだ違和感がありますが、入れ歯装着時の話にくさに比べたらずっと調子よい。良かった良かった。

 


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