伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

遠野高校の思いをコメントに寄せていただきました

2019年09月16日 | 学校教育
 コメントありがとうございます。

 「遠野高校の特性を尊重しての統合なら」とおっしゃられています。問題はそれが活かされる統合にはならないとの懸念があるんです。



 たしかに遠野和紙の作成を自分でやるようなことは湯本高校の校舎を活かしてもできるでしょうけれど、コウゾの栽培などの取り組みはできないでしょう。そういう地域を活かした取り組みだけでなく、少人数だからこそできていた遠野高校での学習、また、遠野地区にあるからこそ成立する安心できる教育環境の創造、これらは湯本高校校舎への統合では提供することができないと思えるのです。


 統合方法は、遠野高校としての募集停止をすることはなく、統合時に遠野高校の生徒が湯本高校校舎で確保された教室に通うことになると聞いています。

 一つは、こうした統合により生徒の学習環境、学校生活環境が激変します。その環境に生徒達がなじむことができるのかという懸念が生じます。

 二つには、統合後しばらくすれば、新しい高校の学習と生活に平均化され、遠野高校に培われてきた学習や生活スタイルはなくなっていくのではないか、すなわち遠野高校の特性は消えてしまうのではないか、私はそんな懸念も持っています。

 どんな子ども達も市内で高等学校教育を安心して受けることができるように措置しておくことが必要だと思います。この間、学んだり、お話を聞いてきて、そのために遠野高校はどうしても必要な高校だと私は思っています。


 湯本高校、遠野高校の関係者による高等学校改革懇談会では、遠野高校関係者からの継続を望む声とともに、湯本高校関係者からも統合反対の声があったと聞いています。

 それぞれがそれぞれの伝統と校風を育んできました。その伝統と校風は、教育のあり方、内容とも深く関わっているでしょう。ことなる物を無理に一緒にすることで、本当に新しい魅力ある高校が生まれるのか。双方の側から問いかけていくことが必要なのではないかと思っています。


 決まったから仕方ないとあきらめず、少しでも良い物を次の時代に繋げていくために声を上げ続けることが大事なのではないかと思っています。

 9月定例会には質問しませんが、次の定例会には、懇談会がどのような状況になっているのか、そして市としては何を求めているのか、確認のための質問をしてみるのも良いかもしれませんね。考えてみたいと思います。


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2 コメント

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Unknown (***)
2019-09-18 08:49:01
遠野高校の合併(併合)は、ただ高校を減らすためにやっているようにしか見えません。
ふたば未来学園のように、従来の発想にとらわれない高校を目指すべきなんです。
遠野ほど、中山間地(里山)が色濃く残されている地域はありません。なぜこれを生かそうとしないのでしょうか。
地域おこし協力隊が全国でここまで浸透してきている状況の中、遠野が、地域ぐるみで、新しいことを学べる高校「中山間地を学べる学校」を作れば、遠野高校への志願者は、いわきだけでなく、全国から集まってくることだってできるのではないでしょうか。
こういった妄想を持ちながら・・・
遠野で、新しい高校のかたち、そして新しい中山間地のかたちが作れないか、と切に願っております。
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Unknown (hiroyuki19601121)
2019-09-20 09:33:14
私も同じ思いを持っています。
「中山間地を学べる学校」・・いいですね。
昨年までの遠野高校では、遠野和紙による卒業証書づくりにとどまらず、材木を利用したプランターづくりや木材を軸に利用したボールペン作成、磐城高箸とコラボした箸袋デザインなど、中山間地の産物を学びに活かす活動をしていました。
こうした体験が、学んだ生徒たちが社会に出る時の貴重な体験になっただろうし、おそらくかかわった大人たちとのコミュニケーションを通じて、その能力を高める機会になっていたのだろうと思います。
こうした活動が、統合した高校で実践できるのかどうか。湯本高校も普通科、遠野高校も普通科という現実を考えれば、統合した高校で学年の一部を切り離して別々のことを実践する事は難しいと思いますし、生徒募集も2つに分けるとは考えられないので、遠野高校で実践していたような教育は、消えてなくなっていくのだろう。そんなふうに思っています。
県教委の基本計画では、統合後の高校はキャリア指導推進校とされています。キャリア教育とは基本計画の用語解説によると、「生徒一人ひとりが、社会の一員としての役割を果たすとともに、それぞれの個性、持ち味を最大限発揮しながら、社会的・職業的に自立して生きていくために必要な基盤となる能力や態度を育てる教育のこと」とされていました。つまり、進学指導に重点を置いた視点はないのです。
これでは同校に通う生徒の多様性が失われてしまうでしょう。就職をめざす生徒もいる、進学をめざす生徒もいる、こうした多様な生徒たちの交流で子どもたちに生まれる・・何というか、新しい価値観が芽生える機会を失してしまうのじゃないか。そんなことを思ったりします。
「中山間地を学べる学校」という発想もいいかもしれませんね。これらかどんな検討が進められるのかよく見ながら、意見を発信することも必要だと思います。
コメントありがとうございます。

(※9月18日のコメントに言葉足らずがあったように思ったので、少し書き足しました。)
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