伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

一人ひとりが自分に向き合うところから始めたら

2019年07月27日 | 活動報告
 何しに来たんだろう。
 共産党いわき・双葉地区委員長と県議会議員の1人が謝罪だと言って自宅に来ました。何に対しての謝罪かを問うと、「きちんとした対応をとれなかった」ことだという返事です。

 ああ、またか。結局、問題の原点ではなく、問題発覚後の対応に焦点を当てることで、問題の本質を覆い隠し何事もなかったことにしよう。ようするに、始めの問題はささいなことだったのに下手をうったために大事にしてしまった。下手をうったことを謝りたい、そういう謝罪に過ぎなかったのか。私はそう受け止めるしかありませんでした。

 この2人が関わる直接の問題は、民間事業者の事業計画に関わって、計画された施設を「廃棄物処理施設の機能も持つ」と評価し、そのように記載した文書を私の居住地である遠野町で新聞折り込みしたことでした。後日、そのように評価した根拠とする国の文書を読み間違っていて根拠とすることができないと指摘したにも関わらず、まともな反論もできないのに誤りを認めようとはしないし、関係者に謝罪もしないということ、そして、その問題を不問に付そうとしたことに問題の本質があります。民間事業者の悪口を、根拠もなく言いふらして、その反省もできないのは妥当な行為なのでしょうか。


■謝罪は本質に向き合わなければできない

 謝罪というなら、少なくとも、この時の評価の間違い及び間違った評価を住民に知らせたという点を理解し、それに反省を加えた上でなければできません。しかし、間違いを認めるかと問うと、「伊藤さんとは政策的な対話ができなくて」と、全くとんちんかんな話を持ち出してきます。この問題の本質は政策の話じゃなくて国語の話なのです。とんちんかんな話を持ち出すところに、彼らに反省がない本質を見いだすことができます。

 しかも、怪訝を浮かべる目の表情を見ていると、読み間違いを未だに理解ができておらず、問題の文書を自分達の主張の根拠にできると考えているようにしか思えませんでした。

 また、ごみ処理施設というためには、事業で燃料とする「バーク(木の皮)」がごみでなければなりません。彼らは、バークはごみとも、ごみでないとも言えない、つまりごみと断定できないこを知りながら、その見解は内緒にして私との関係改善を図りましょうと陰謀めいた提案まで検討したことがありました。なぜそのような提案・検討をしたのかも、全く、明らかにしようとしませんでした。

 「総括にあるように」という話がありました。その総括の記載では私とこの問題をめぐる住民運動の関係などを知らなかったから内緒と関係改善の提案をしてしまった旨が書いてあったと記憶しています。説明にもならない。知らないと見解を内緒にするという提案になぜなるのか、つじつまが全く合っていないのです。

 おそらく提案した者が私と住民運動の関係を知らなかったという事実はあったのでしょう。しかし、それすら、現地の党員に問い合わせれば分からないはずはないので、最も基本的な事実の確認も怠り物事を判断するというお粗末な姿勢が浮彫りになるだけなのですが・・それはともかく、「知らなかった」という事実と「内緒にする」という結論の間で、どんな要素を元にしてどんなふうに考えをめぐらして結論に至ったのか、このミッシングリンクを明らかにしてこそ反省と謝罪ができると、私は考えています。

 「反省がない謝罪は謝罪にならない」。このことは様々な場面で、関係者に語ってきたことですが、彼らには未だに本質的な反省はない状況を、今日の訪問で三度確認することができたということになります。


■県議選に向けたあさましい考えでは

 内緒と関係改善の提案は、今年の県会議員選挙で候補者になる現職の県会議員に問題があったと言えないから、うるさく言う奴を何とかごまかして静かにさせてこの場をやり過ごし、大過なく県会議員選挙を迎えようという、あさましい感情が背後にあったからされたものとしか考えられません。議員の存在は住民の信頼がその立脚点ですから、住民にいわばデマを振りまく議員が信頼を失うことは明らかなのですから、間違った情報を振りまいた事実を認め公表をしないというのでは、県会議員を擁護して、市会議員は切り捨てるという判断をしたということにしかなりません。

 私は、そのことを指摘しましたが、特に反論らしい反論もありませんでした。とにかく「申し訳ありませんでした」と繰り返すだけでした。いくらそう言っても、内容を伴わない謝罪は謝罪とは言えないのです。

 ここで問題になったケースでは、事業を計画した事業者も住民だということを考えるときに、その住民の悪口を言いふらして良しとする今の地区常任委員会の体質、また県議会議員で、住民のための政治をできるのか、はなはだ疑問です。


■1mmも進まない反省

 繰り返される意味のない謝罪は、もういい加減にうんざりです。政治活動期間中のたすきの着用や氏名のぼり旗の使用の強要などそもそもの問題が生じた前回市議会議員選挙問題から3年、バークはごみのデマ(未だに誤りを認める姿勢がないので今後はこのような表記にします)宣伝から2年、私以外の市議会議員が問題解決を図ろうと動いてから1年半年、中央委員会が乗り出してからたぶん10ヶ月が立ちました。

 中央委員会が乗り出してから彼らは反省の言葉を使い出しましたが、問題の本質から目をそらす姿勢は変わらず、反省を言い出した当初から1mmも彼らの反省は進みません。 事の重大さに大きな隔たりがありますが、彼らの姿勢と、森友・加計問題で終始言い逃れを図ってきた安倍首相の姿勢に何の違いがあるのでしょう。

 今日の彼らの訪問は、ただただ私を不愉快な思いをさせるためだったのだろうか。いや、そうではないはずです。彼らだって訪問することでいやな思いをするのは分かっているはずだから。とすると考えられるのは、県会議員選挙が近づくし、もう1人は衆院選挙の候補者などと公表され、選挙の可能性も言われているので、謝罪に行ったというアリバイ作りのために来たのだろう。謝罪を私が受け入れるかどうかは別に、謝罪に行ったという事実だけは語ることができるから。まあ、考えそうなことだ。彼らの深まらない反省を振り返るに、ほぼ間違いないだろう。

 と考えるとやっぱり不愉快な思いをさせるために来たんだということに確信を持てた。


■麻痺の原因のストレスは彼らそのものと自覚

 今日、彼らと話して確信しました。
私は2月に左顔面麻痺を煩い、お医者さんの見立てでは現状でほぼ回復していますが、それでも不自由な感じが残っています。

 今日、彼らと話しているうちに、左顔面が強ばりが増し、話す口元が強ばりゆがんでいる感覚がありました。麻痺の原因ははっきりしませんが、ストレスもその要因なんだとか。心配する知人に麻痺の原因を問われると、「基本私はストレスを感じてないんですけどね」と答え、この問題もそれほどのストレスになっているとは考えていませんでした。しかし、彼らと話す中で感じた強ばりで自覚しました。彼らの存在、謝罪もできないその声がストレスの元になっているということを。

 少なくとも頼んできてもらったわけではないのです。まじめに謝罪する気があるのなら、アポイントをとってから来たら良い。もっとも、アポイントの時点で、謝罪の内容を文書で送ってよこすよう伝えるとは思いますが。直接会わなければそれほどストレスにはならないと思うので。とにかく勝手に我が家を訪問することはやめていただきたい。心からそう思いました。


■政経東北報道にニュアンスの違い

 ついでに、私が共産党を離党した件で、月刊誌「政経東北」6月号の「今月のわだい」欄に「いわき市で異例の『共産党市議離党』騒動」という記事が載りましたが、この記載に気にかかる箇所がありました。あれこれの多事にかまけて、そのままにしていました。取材で説明した内容とニュアンスの違う引用があったので、この際、コメントしておきたいと思います。文書はすでにまとめていたもので、先の文書と一部重複する部分もありますが、ご容赦ください。




 しかし、まあ、見出しにあるように、私の離党が「騒動」になったのかどうか。そこまで大きな騒ぎになったという実感はありません。福島民報が一段1行見出しの10行程度で会派名変更の記事を掲載し、朝日新聞が離党に至る経緯等も紹介する記事を掲載した。新聞の報道を見た方からその辺の事情を聴かれることもありましたが、まあ、騒ぎと言ってもその程度のお話。これを「騒動」と言えるのかどうか。そこは私には分かりませんが、まあ、耳目をひくため見出しは多少大袈裟に表現されるものなのでしょう。

 さて、この記事は、「離党の原因は、“県本部”である党県委員会、“支部”であるいわき・双葉地区委員会の幹部役員との信頼関係が崩れたためだ」としています。正確には、私が信頼できないと判断したのは、県常任委員会の一部幹部役員であり、地区常任員会の役員となるのだが、その点は良いとしましょう。

 ただ次の引用は気にかかります。信頼関係が崩れる原因の1つとなった「市議選の際の対応」を紹介した部分で、私のコメントとして引用された言葉です。

 こう書いています。

「立候補者の事務所開きをする際にたすきをかけて活動したところ、市選挙管理委員会から何度も注意を受けました。そのため、公職選挙法の法解釈について明確化してほしいと県委員会や地区委員会の幹部役員にお願いしたのですが、『問題はないはずだ』と返されるばかりで、明確な答えが示されないまま放置されてきました」

 後段はその通りです。しかし、前段の「立候補者の事務所開きをする際にたすきをかけて活動したところ、市選挙管理委員会から何度も注意を受けました。」は、私のコメントとは違います。


■選管の忠告対象は街頭でのタスキ着用

 まず、私が選管から忠告されたのは事務所開きの際のたすきの着用に関してではありませんでした。同じく立候補を予定していた新人の候補者が、選挙期日前の政治活動として街頭で宣伝した際にたすきを着用していたと市民から通報があったことに関してでした。選管は、「伊藤議員、知っての通り、選挙期間以外のたすき着用は公選法ではだめとされているんです」と、同じ政党所属の私に、やんわりと忠告してきたのです。

 当然、私はこの忠告を共産党事務所の地区委員長に伝え、それぞれの立候補予定者の事務所にたすき着用をやめるよう求めました。しかし、なぜか2回目の忠告があった。たすき着用をやめていなかったのです。私以外の同僚議員も、選管の忠告を事務所に伝えています。それでも、役員側でたすき着用をやめることがなかったのです。

その後、たすきに関するこちらの考えを何回か伝えましたが、役員側はたすきの着用に問題はないという私見を繰り返しました。それでやむなく、たすき着用の是非について公にはっきりさせることを求めました。しかし、記事の発言引用の後段にあるように、私の求めはいっさい無視して、選挙が終わった後も、たすき着用は正しいという主張の押し付けを繰り返す姿勢をとったのです。

 その他にも様々な問題があって幹部に対する信頼感が霧散してしまった選挙となったのですが、そのきっかけを作った大きな問題として、政治活動期間におけるたすき着用の問題があったことは間違いありません。


■コメントは説明の誤用か

 引用されたコメントはとうしてこのような内容になってしまったのだろう。おそらく複数の事例を混同したのだろう――そう思います。

コメント前段の部分も、取材を受けた際にたしかに説明しています。あの選挙の前、いわき経済報(青いポスト社)が、「日本共産党いわき市議団が公選法抵触で厳重注意受ける」「いわき中央署捜査に期待」などと、ビラにしてばらまいた事件でした。このビラは、いわき民報に掲載された共産党の立候補予定者の政治事務所開きの写真で、立候補予定者がたすきをつけているのを確認し、選管に聞き取りをした上で書かれたものでした。

 このいわき経済報のエピソードを紹介しながら、市民的に見ればたすき着用が違法とされ、共産党員や後援会の方々から見れば、問題がないたすきをなぜ着用しないのかと疑心暗鬼の目で見られる状況に陥り、「前からいわき経済報(青いポストと言ったかも)が弓を引いていて、振り返ってみたら後ろから共産党幹部が弓を引いていた」と、挟み撃ちにされた状況だったことを説明したのです。このエピソードの下りと、法解釈を明確にすることを求めた私の説明をまぜこぜにしてまとめたために、コメントの事実関係が変わってしまったのでしょう。

 政経東北に掲載されたような状況でなかったことは、いわき経済報に記載された文章でも確認できます。ここでも、選管の忠告は、私ではない立候補予定者の街頭宣伝に対する市民からの通報に関するものとされているのです。また、事務所開きでのたすき着用については「公選法第143条に抵触する疑い」と記載されています。あくまで文章を書いたものの主観、あるいは類推です。選管の判断がなかったために、執筆者の考えを書くしかなく、「疑い」と表記されたわけです。


■地区幹部が「非を認めた」の意味

 2点目は、今回の問題で地区幹部が非を認めたとする点です。これには説明が必要だと思うので加えておきたいと思います。

 記事はこう書いています。

 「いわき双葉地区委員会の熊谷智委員長は『責任は当委員会にあります。誤りを重ね、共産党員を離党に追い込んでしまいました。このことを反省し、お詫びしながら関係回復を目指していきたい』と全面的に非を認めて謝罪した。ただ、伊藤市議は『関係者から謝罪を受けたが、果たしてどこまで反省しているのか分からない』と引き続き不信感を示しており、早急な関係回復は難しそうだ。」

 そもそも一部の地区委員が謝罪を始めたのは、私が離党の思いを強くしたはるか後のことでした。また、そのタイミングは上部機関、具体的には中央委員会で、それまで地区委員会等のとった対応に間違いがあると指摘されて以降のことでした。詳しくはブログ「疑問がよせられた離党した私が謝罪を受け入れなかったということと実際とは違いがあります」に書いていますが、この間の彼らの言動を聞いていても、彼らがどこに責任を感じて謝罪をしているのかは、まったく分からないのです。
(https://blog.goo.ne.jp/hiroyuki19601121/e/9fe9257738ca0bbd4038ca34c2f26f4c)」

 「すみませんでした」あるいは「申し訳なかった」と謝罪した常任委員は3人(この時点のことで、今日で4人になりました)います。それしかいないとも言えるのですが、改めて振り返ってみると、1人は2月にメールで謝罪文を送ってきました。もう1人の常任委員である県議会議員は、4月27日朝、自宅にやってきて口頭で謝罪しました。そして5月1日のメーデー会場では、前記2人と地区委員長3人が、私のところにやってきて「すみませんでした」と頭を下げていきました。謝罪と言えば謝罪です。しかし、私はそれでよしとはしません。なぜなら、一つは、それまで非を認めず、あるいは、非を隠すための方策ばかり考えていたということが明らかなこと、もう一つは謝罪のきっかけが中央委員会の指摘を受けたからとしか思えないこと――この状況から、彼ら自身が自分のどこが悪かったのか、あるいは何が悪かったのかを直視し、理解していると思えないからです。


■自のうちにこそ原因が

 4月27日口頭で謝罪された際に、「どこに問題があったと思っているのか」とたずねました。「組織に縛られた」という答えでした。私は「謝罪に来た勇気は評価するが、その反省では話にならない」と伝えました。なぜか。自分の内なる問題点を直視することなく、組織のせい、すなわち他人に責任を押し付けていました。彼らの謝罪は上辺だけという私の印象が明確に裏付けられました。

 この常任委員が、一連の問題での私に対する行為は、民間事業者の誹謗中傷につながる誤った見解を記載した県議会議員名の文章を、私が居住する遠野地区に新聞折込で配布した問題に関するものでした。私は、その見解が誤りであることを記載した「活動日誌」を作成し、いつものように赤旗折り込みと地域の新聞折込の手配をとろうとしていました。これに対し、この常任委員は赤旗の折り込みを妨害し、また、地元の新聞折込をやめるよう求めてきたのです。

 この時点では、彼らの誤った見解の根拠がつまびらかにされてはいなかったので、その対応もありだったのかもしれません。しかし、その後、私は誤った見解が国の文書の誤読に基づくものであることを明らかにしました。彼らは、まともに反論できませんでした。この時点に立っても彼らは、誤った見解を是正しようとはしなかったし、赤旗への折込を妨害した行為等に謝罪もしませんでした。それどころか、自らの見解の誤りに気が付いた一部のものが、この事は伏せておいて、私との関係改善を図ろうとする提案までしていたことが後に分かりました。

 それで合点がいくのです。私が公務でたまたま出会った先で、彼らに常任委員会としてきちんとした対応をするよう求めても、「まあ、まあ」と口を濁しながら立ち去り、結局、何もしなかった。まともに対話すると自分たちの間違いが明るみに出るので、この問題に深入りするような事態は避け、「昔のよしみで仲良くやろう」という水準で対応できるタイミングを推し量っていたのでしょう。その結果として、私の離党断行という現在があるわけです。

 彼が誤りを是正できなかったは組織のせいではありません。その組織、すなわち常任委員会は、彼も含めた個人の集合体です。その集合体の意思の決定には、当然、それぞれの個人がかかわっています。別の言い方をするなら、その集合体に参加しているのだから、そこで間違いを是正するための活動ができるし、活動することがその集合体に参加する個人の責任だということです。つまり、やるべきことをやらなかった個人の問題なのです。

 なぜやるべきことをやらなかったのか。そこには、他の常任委員会メンバーとのトラブルを避けたい、他の常任委員会メンバーとの軋轢の種を作りたくない、他の常任委員会メンバーに悪く思われたくない、あるいは、面倒くさいことにはかかわりたくないなど、様々な心に巣くう問題があったはずです。総じて言えば、面倒を起こさずに組織の中で自己保身を図ろうという意識があったに違いがないのです。そういう問題に踏み込むことができない謝罪などないに等しいと私は考えています。自分の内面にメスを入れて自己批判をすることがない謝罪では、また、同じことを繰り返すにちがいない、私はそう考えています。

 3人が謝罪したと書きました。しかし、それぞれの謝罪あるいは総括らしき文章の中で、一連の問題への自己のかかわりを自分の内面に踏み込んで自己批判をしたものは一つも見ることができませんでした。それでも、未だに間違いを認めない、あるいは間違いを間違いとして認識できないよりましと言えばましですが、その程度で終わらせるのは、組織の未来にとってどうなのかと思います。


■誤りを認めない者は同類の者を批判できない

 そして、一人ひとりの関係者が内面に立ち入って自己批判をすることの大切さは、彼らの政治的発言に対する責任の上からも重要だと考えています。

 私は、離党の理由を説明する時に、「安倍首相を批判することができる自分でいるためだ」と言います。安倍首相は、森友・加計学園問題等、様々な疑惑を抱えながら、疑問にまともに答えず、また、自分の発言に対するヤジには「話を聞け」と言い返して持論をだらだら垂れ流し、自分の政策を批判する発言にはヤジを飛ばして妨害する、そんな場面をたびたび作り出します。自分の誤りは認めず、糊塗しようとする姿勢がありありです。

 こうした安倍首相の姿勢を批判しているのが共産党です。ところが、自らの誤りを是正することもできない、あるいは、それを覆い隠そうとする彼らの姿勢は、安倍首相のそれに共通します。そんな人間が安倍首相を批判することができるはずがありません。批判しても、その批判は天に唾する行為、そのまま自分に返ってきます。少なくとも、今度の問題に関わっている地区常任委員会や県党の一部幹部に安倍政権を批判する正当性はない。私はそう考えています。彼らが、集会等で共産党が主張するような発言をしているのを聞くと、私は気色悪さを覚えます。根っこに共通の性質を持つその言葉には欺瞞しか感じないからです。批判をするならば、まず、自分の襟を正しなさい。私はそう考えています。

 「ごめんなさい」「すみません」「申し訳なかった」と言えば謝罪になるのか。私はそう思っていません。彼らが有権者に対して共産党として立派な事を、責任もって言えるようになりたいのなら、それぞれの心(いや、「腹」か)にある汚れたものをえぐり出し、きれいにしなさい。その汚れたものを赤裸々に語りなさい。そこにこそ真の謝罪が生まれる。私はそう考えています。この記事にある「果たしてどこまで反省しているのか分からない」というコメントは、背景にこうした私の考えがあるということをご承知いただきたいと思います。


■覚えが全くない支持者コメント内容

 3点目は、ある共産党支持者のコメントが気にかかりました。

 記事中で「以前から火種はあった」とするある共産党支持者のコメントが、次のように紹介されています。

 「4年前の県議選で、伊藤市議は今回の騒動にも関わった県議の応援に入っていたが、あまりに市議におんぶにだっこの選挙活動だったため、その場で県議本人に抗議し、事務所内が凍り付いていました。」

 このコメントは最後に「支持者が多い伊藤氏に離脱されたのは党にとって相当な痛手であり、場合によっては県議選にも大きな影響が出ることが予想されます」としています。

身に余る過大な評価をいただいたことには感謝しますが、先に上げた部分には全く思い当たることがない。

 共産党は、選挙をする際に、地域割りをがっちり決めてその中で選挙をします。私の地域割りはこの県議と重なっていました。というより、もともとは、この県議が、市議から県議補選に出ることになり、市議補選も行われることになったために、私が立候補することになったという経緯がありました。その関係で、共産党的には市議が空白となった勿来地区も私の活動地域となったのです。

 勿来地区はもともとこの県議の地元中の地元で知名度が高いので、私に「おんぶにだったこ」の選挙になるはずもなく、コメントがいうように「抗議」し「事務所が凍り付いていました」という事態は考えられないのです。少なくとも、政策的な問題やら何やらならあるかもしれませんが、このコメントのような事態は考えられません。何があったんでしょう。心当たりは全くないんですね。

 しかもこのコメントの表現からするなら、共産党ウォッチャーどころか、「凍り付いていました」の表現に見られるように、その場にいて見ていたのでしょう。そういう人がこんなコメントをするのかな・・。とにかくこれは全く思い当たることがないエピソードでした。


■離党の原因は政策的な違いではない

 以上、政経東北6月号の記事について気にかかった点を書きましたが、最近、こんな問いかけがありました。私が離党したのは「政策的な違いがあったためなのか」という問いかけです。

 政策的な違いは基本的にないというのが私の答えです。そもそも共産党の政策に共感してきたからこそ、政経東北が「共産党一筋で生きてきた党公認候補」と書くよう長く共産党員を続けてきたと言えるでしょう。

 先にも書いているように、離党した原因は政策的な違いではありません。私に言わせれば自己保身のために誤りを認めず、権謀術策を弄して問題を包み隠そうとし、間違いを理解できず、反省もできない地区常任委員会のメンバーと一部県役員の人間性に幻滅したからです。こんな人と活動していくのはとても無理と。

 仮に、今回問題になった民間事業者に対する誹謗中傷に類する見解が、政策だと言っているのならば、それは全く政策ではありません。単純に、国の文書の誤読でした。彼らが誤読を認めればいいだけの事です。それができない、あるいは誤読と理解できないだけの問題です。ようは国語力の問題です。

今回はこれまでは廃棄物として扱われてきた木の皮を燃料と認めるかどうかが問題になるケースです。もし、これを認めないという政策を共産党が打ち出すとするならば、確かに政策の違いということになるでしょう。

 震災後、視察したドイツでは、建築廃材や林業から発生するバークを始めとした廃材を熱源として給湯や発電事業に役立てている事例を見てきました。また、製材等で発生する端材等活用し発電事業を展開している民間事業者もいたはずです。山林に覆われた日本で自前で確保できるエネルギー源をわざわざ捨てるような政策が妥当と考える人はいないでしょう。共産党が一括りにバークはごみなどという政策・見解を出したとしたら、総スカンを食うことは明らかです。

 ましてや、共産党として原発ゼロを公約し、原子力発電に代わって再生可能エネルギーの普及を図ることを公約する時に、多様なエネルギー源の一角を占める森林の富をわざわざつぶすような政策をとるはずはないと思います。今や党外の私が言うのも変な話ですが・・。


■自分の行いしっかり見つめよ

 これらの役員たちとは、強いて言えば運動論で違いがあるかもしれません。相手をくじくために誹謗中傷でもなんでもありというのが今回の事例です。もしこのような運動論に立っているとするなら、私はその運動に賛同するわけにはいきません。ところが、目の前で展開されたのは、民間事業者に対する誹謗中傷の類でしたし、その誤りを糊塗するために四苦八苦する醜い行為でした。そこを反省することができない現状は、彼らが持つ運動論は疑いの目で見た方が良いという結論しか導き出すことができません。

 まあ、そんなことを言ったとしても、私はすでに組織の外の人間ですから、外野からあれのこれの言っても何の足しにもなりません。これらの問題を問題と考えるならば、党内で良く議論して、より良い展望が開けるようにがんばっていただきたいと思います。

 現状を見るならば、この問題に関わった役員たちは、もう普通に活動しているように見えます。選挙の候補者になるものとして発表されているものもいます。その状況は、政党の有権者への責任ということを考えた時に、それでいいのかが問われなければならないと私は考えています。

 これまで私が指摘しているような問題を、問題として考えないならば、現状のまま進んでいくということもありでしょう。大したことがない問題を、大袈裟に言い立てているという私に対する批判もあるかもしれません。しかし、私はそのようなことで自己保身に走って今回のような問題を引き起こして反省することもできない人間を選挙の候補者にする政党を信頼することは出来ません。口先と腹の中にあまりにも違いがあり、信用することができない人間を議員にすることなどできる話ではありません。

 まずは謹慎しろ、ではないですが、自分の行いをしっかり見つめるところからスタートしたらどうだ。私はそのことを強く思っています。





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