伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

社会福祉大会の最中、久々の大きな揺れにビックリしました

2015年10月21日 | イベント
 毎年、いわき市総合社会福祉大会が開かれていますが、41回目の今年の大会は、本日、いわき芸術文化交流館アリオスで開かれました。

 大会では社会福祉の向上に努めた方や団体などを表彰しますが、今回は市長の感謝状や大会会長表彰あるいは感謝状等に該当したのは229名、9団体のみな様でした。受賞おめでとうございました。

 今回表彰された中には福島県立平工業高等学校生徒会が含まれており、謝辞は生徒会代表が行いました。この謝辞がまた、まことに立派。次のような内容です。

 福島県立平工業高校生徒会は、平成13年から「小さな社会福祉活動」に取り組んできましたが、この活動が評価されたことに感激を覚えています。

 きっかけは老人ホームでの研修でした。受け入れていただいたお礼に、アルミ缶を集め換金し、車いすを寄贈したことから始まり、これまで37台を寄贈してきました。メンバーは自分たちにできることはもっとあると考えるようになってきています。

 これまで様々な国際活動もしてきました。モンゴルのマンホール児童やマリ共和国の児童へのジャージ寄贈などです。

 私たちの活動理念は「全ては喜んでくれる人たちの笑顔のために」です。地道な活動です。たくさんの人に笑顔届けられ、喜んでいいただくことができただけでなく、自分たち達成感を覚え、また学んで成長することができたと思います。

 できることは小さいことですが、人にかかわる活動の第一歩を踏み出すことができたと思います。

 きょうの感動や充実感がより多くの人に伝われば、きょうの受賞はより意義の大きいものになると思います。

 今後とも小さな社会福祉活動を広げていきたいと思います。


 乱雑なメモをもとにした復元なので、書き落としや聞き違えが多少あるかもしれませんが、大筋では間違いないと思います。

 明日を担う高校生たちのがんばりにエールを送りたい気分でした。

 式典後に、書家の金沢翔子さん(娘)と金澤泰子さん(母)が揮毫とともに講演を行いました。お話を聞いていこうと思って観覧席に移ったのですが、お話が始まって間もなく15時04分、地震が会場を襲いました。

 翔子さんが「愛」という文字の揮毫を終えて、「元気と感動を、心をこめて書きました」と紹介し、泰子さんの講演が始まったばかりのことでした。



 初めは小さな揺れが会場にやってきて、やがてユラ~リと大きく揺さぶりました。

 2011年3月11日、東日本大震災の時は、いわき市文化センターの3階で行われていた集会が終わろうとするまさにその時に大きな揺れにみまわれました。今回は、500人~600人かな、それだけの人が入ったホールの中という似た条件の中での地震でした。それだけに少し背筋に冷ややかに感じるものがありましたが、幸い、パニックになることもなく、無事に地震をやりすぎることができたことは、集まっていた人たちの理性的な対応があったからでしょう。

 また、ホールの係の方も観覧席の照明を点灯し安全を確保していました。この地震で災害への対応の現実を知ることができたことは、貴重な体験にもなりました。

 ただ揺れが大きい地震の詳細が分からなかったために会場は辞することにしました。津波の心配も、被害もなかったようで、その点は幸いでした。

 泰子さんの講演は、ダウン症の翔子さんが30歳になったら自立するとあちこちで宣言してきたので、30歳になって住居を大手の不動産で探してもらったものの、「障害者に貸してくれるところはありません」となかなか見つからず、やっと契約できましたと紹介し、このような面での障がい者への支援も必要だという趣旨で報告していたところまで聞きました。

 泰子さんが、自立できるように教育してきたので何の心配もしていなかったという翔子さんも、「カレー、ハンバーグ(マーボー豆腐も言ったかも?)も作れます。遊びに来てください」と、自立に何の問題もないことをアピールしていましたが、「『天使がこの世に降り立てば』~ダウン症の娘と生きて~」が演題の講演が、この後、どのように展開したのか、気がかりです。それだけに最後まで聞けなかったことは残念です。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿