日月神示の研究と実践

日月神示を中心に、神道、密教などを研究、実践するブログです。農薬不使用栽培などについても述べたいと思います。

「プラス発想は難しい?」 相澤智子氏

2011-05-29 21:36:04 | 日月神示の実践

<船井幸雄.comより記事転載>

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プラス発想は難しい?

 皆さまこんにちは。

 船井は、以前からよく「自分に起こることはすべて必要・必然・ベスト」であると言っています。
 自分に起こる事はすべて自分に必要なことで、必然的に起きていて、すべてベストであるという意味の言葉ですが、人間生きているとなかなかプラス発想できないような出来事に出会うこともたまにはあります。
 「自分に必要なことなのだろうな‥」と思いつつ、わかっていてもなかなかそう思うことができないこともあります(そんな時、自分はまだまだ未熟だなあと感じます)。

 プラス発想をし、「よし!がんばろう!」と明るく前向きな気持ちになったつもりでも、その後にふつふつ‥と溜まっていた感情がどーっと出てしまう体験をされた方はいないでしょうか。そんな時というのは、無理やり自分を前向きにし、自分の気持ちにふたをしてがまんしているときが多いようです。

 なかなかプラス発想に考えるって難しいなあと思っていたときに、「会長、プラス発想というのは、良い面だけを見ることでしょうか?」と船井に聞いたことがありました。
 すると船井は、「みんな包みこんでしまえばいいんだよ^^」と言っていました。
 「包みこむ‥」どういうことでしょう‥? そのときの私はその意味がよく理解できませんでした。

 船井がよく皆さまにお薦めしている「日月神示」には、「悪を抱き参らせよ」という言葉が出てきます。悪をよくないものとして排除するのではなく、悪もよくなるためには必要なもので、それを包みこみよい部分を取り入れ活かすことが大事だという考えです。
 この考えが、これからの時代で大事になってくると船井は言っています。
 
 中国には、太陰対極図というものがあります。これも同じようなことを言っています。
 この図には白い勾玉の中に黒円、黒い勾玉の中に白円が描かれており、それが合わさって一つの円になっています。陰の中にも陽があり、陽の中にも陰が存在しているということを表わしています。
 決して光は光だけで存在しているのではなく、闇は闇だけでは存在しているのではない。
 どちらの中にも、反対のものが存在している。陰が極まれば、陽に変じ、陽が極まれば陰に変じます。常に変化しています。この図を見て、なるほどなあと思いました。船井が言っていたこともこういうことなのかなあと思いました。
 プラス発想というと、すべてをよいものととらえようとしたり、怒りや憎しみのような感情を持つことはいけないことのように思いがちですが、よいもの、悪いもの、どちらも同時に存在していて、自分の中にあってもよいものなのだと分りました。
 それを無視したり、自分が感じていることをきちんと見ないことがよくないようです。
 自分にとって嫌な出来事があったとき、それを嫌だと思う気持ちにふたをして無理やりプラスに考えようとするとだんだん辛くなりますが、嫌だと感じた自分をそのまま受け入れると、いつまでもそのことに執着するようなことはありません。「ああ自分は嫌だと思ったんだ」。ただそれだけで終ります。
 船井が言っていた「プラス発想」と「包みこみ」について、よいことも悪いことも両方含めた「そのまま」を受け入れることがまず大事なのだと感じました。

<転載終わり>

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 相澤さんが日月神示を引き合いに出されていますが、最近は日月神示を引き合いに出しているブログも多くなりました。日月神示は3年前よりもずいぶんと有名になってきたものです。

 相澤さんが指摘されているように、日月神示には「悪を抱き参らせる」という表現が多く出てきます。最初はどういう意味なのか理解できませんでしたが、中矢代表の著書を読み、意味が解りました。船井会長は包み込みと言われていますが、同じ意味だと思います。

 日月神示には、悪も大事なお役とありますので、悪を滅ぼすのではなく、悪を改心させることが大事だそうです。相澤さんも言われている通り、善だけの存在はいませんので、善と悪両方が必要だということのようです。私は以前はキリスト教徒でしたので、悪を滅ぼさなければいけないと思っていましたし、勧善懲悪が素晴らしいと考えていました。キリスト教でいう善悪闘争的な哲学になっていたと思います。ですので、日月神示の悪を抱き参らせるということが、なかなか理解できませんでした。悪を滅ぼして何が悪いのだろうと考えていました。どうせ悪は悪なんだから、滅ぼしたほうがいいだろうという単純な考えです。

 ですが、悪を滅ぼすという観点では、いつになっても和解には至りません。イスラエルとアラブのようなもので、「自分は善だ」とお互いに考えていますので、いつになっても戦争は終わらないと思います。今の世の中は、悪は滅ぼせという思想が多いですので、問題はなかなか解決されません。やはり、互いに悪いと思っても、それを包み込んでしまえば、より良い解決方法が導き出されるように思います。日月神示には、「違い」は「悪だ」と認識されるのが、人間だとあります。つまり、Aさんの意見と自分の意見が相反する時には、Aさんの意見を「違い」とは認識せずに、「悪だ」と感じてしまうそうです。同じ意見の人は「いい人」で、違う意見の人は「悪い」と感じてしまうということのようです。言われてみれば、確かにそう感じますね。反対意見を言われると、やだなぁと思うのが、普通のようです。

 自分にとってイヤなことは、無理遣りプラスに考えずに、イヤなんだなと認識すればいいそうです。これならできそうです。

 ただ、日月神示には、「どんなことも受け入れよ、受け入れるだけでは足りん。感謝せよ」とあります。これは無理やりプラスに考えるようにも取れますが、どうなのでしょうか。よく解りません。八通りに読めるのが日月神示ですので、いろいろな解釈があるのだと思います。これが日月神示の深さだと思います。

 

・船井幸雄.com


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