メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

「枯れ葉」

2024-10-12 14:34:24 | 映画
枯れ葉 ( Kuollest lehdet, 2023フィンランド・独、81分)
監督:アキ・カウリスマキ
アルマ・ボウスティ、ユッシ・ヴァタネン
 
カウリスマキはとても有名、評価が高いのは知っているが見るのは今回が初めて。製作から一旦退いていたがこの作品で復活したという。
 
これだけ見てどうということは避けるが、かなり変わった撮り方で、台詞は饒舌でなく、カットからカットへもつなぎの部分はなくいきなりである。ただ見ている側でつなげないということではなく、慣れてくるとこっちの方がしつこくなくていいかと思えてくる。
 
ヘルシンキで暮らす多分40前後の男と女、男はそこそこの仕事をしていたらしいが酒を断ちがたいせいか常勤のまともな仕事につけず、肉体労働もかなりある工場の中で働いている、女はある程度まじめだがこれもなかなか集中できないのかうまく職場と折り合えないのか。
あるカラオケバーで近くに座ったことからお互い意識しあい、なんとか会えるようになるが男の酒癖もあるのかなかなかうまくいかない。
 
男が心を入れ替えようとして会いに行くところで事故にあい、治療のあげくなんとか一緒になりそう、というところでエンディング。
 
俳優は二人ともあまり前に出るところはない。どちらかというと女の方がそれでも見ていて最後気持ちよく納得させる。
音楽の使い方はバーで歌われるものの調子に合わせていて、アメリカ、日本でかなりポピュラーになった(俗っぽいものも含め)ものがうまく使われている。「竹田の子守り歌」が出てきたのには驚いた。
フィンランドの最下層の人たちではないのだろうが、こちらから想像していた生活ぶりよりちょっと低いように感じた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべてうまくいきますように

2024-08-20 17:14:49 | 映画
すべてうまくいきますように ( Tout s'est bien passe。2021仏、113分)
監督:フランソワ・オゾン
ソフィー・マルソー(エマニュエル)、アンドレ・デュソリエ(アンドレ)、ジュラルディン・ペラス(パスカル)、シャーロット・ランプリング(クロード)、エリック・カラバカ(セルジュ)、ハンナ・シグラ
 
本人の意思による安楽死について、最後までひきつけるつくりで、このテーマについての主張、結論というよりは本人、家族たちの思い、ためらい、うごきを映画としてのきわめてうまい語り口で結末まで一気に見せる。
 
85歳のアンドレ、脳疾患で倒れ自由がきかず認知症も、もう生きていくのが限りなくつらく自分の意志で死にたいと考え、二人の娘エマニュエルとパスカルの姉妹に頼み、彼女らもいろいろ悩み苦労しながら、フランスでは法律的に禁止されているからとスイスで実行という計画をたてる。
 
アンドレには不仲の妻クロードがいるが、進行とともに実はアンドレはホモセクシュアルでもあり、その相手も登場する。
そうやって最後はとなるのだが、その数分はこまかく意外、意外が続いていき、ラストをみんなが聞いて、、、終わる。
 
つくりはさすがフランソワ・オゾン、場面転換が早く、そのカメラワークが見ていて飽きない。テーマは深刻だが疲れずに見ていけるというか、映画の魅力を楽しめる、というとテーマに失礼か? そうでもないだろう、見終わったあとにこの問題が人間味をもって残っている。
 
この映画、オゾンだからというよりまずはソフィー・マルソーを見たいというのが一番で、どの場面、どのカットも、我ながら本当にソフィー・マルソーが好きなんだなあと思う。
 
妹役のジュラルディン・ペラスがいい取り合わせでドラマの進行をうまく見せている。父親役のアンドレ・デュソリエもとぼけてわがままで存在感を出している。
母役のシャーロット・ランプリング、この人も好きで他のオゾン作品でもいい役をやっているのだが、なぜか今回は登場場面がほんの少し、でもここはこの人ならではだったのか。

そして音楽が場面をひきたて秀逸である。
ブラームスのいくつか、ベートーヴェン最後のピアノソナタがうまく使われているし、終盤に主人公は、孫がクラリネットでチェロ・ピアノとの三重奏「町の歌」をやっているのをうれしそうに聴いていた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モリコーネ 映画が恋した音楽家

2024-01-21 14:57:28 | 映画
モリコーネ 映画が恋した音楽家
( Ennio、2021伊、157分)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
 
エンニオ・モリコーネ(1928-2020)について評価、言及はいや増しになっていて、そうだろうなとは思うもののこの人の業績についてそう詳しくは知らなかったから、この映画はみたいと思っていた。
 
いわゆるマカロニ・ウエスタン、ニュー・シネマ・パラダイス以外タイトルを言える状態になかったのは、こうしてみると作曲家に対して失礼だったかなと思わされた。
それも私がよく知っている60年代、70年代あたりのヨーロッパ発祥のポップス(あれも?これも?)、そのほか重厚な歴史を描いたもの、ここに出て証言、言及している監督、音楽家などなんと多彩こと。
 
すべて短い言葉だが、みなエンニオが彼の音楽が好きなことがよくわかる。そしてその音楽は必ずしも愛らしいものばかりでなく、きついものもある。
音楽のあらゆる要素が彼自身の、関係者の口から出てきて、20世紀の音楽がどうだったか、ふりかえってしまった。美しいメロディーばかりでなく、いわゆる現代音楽もそのベースとしている。これは知らなかった。
 
それにしてもアカデミー賞は6度目のノミネートでやっと、名誉だか貢献の賞をもらった後だったからアカデミーは恥ずかしかっただろう。
 
考えてみたらこの人はバート・バカラック(1928-2023)と同世代、分野はちがうけれどこの二人、20世紀でもっとも偉大というか、音楽の喜び、感動を与えてくれた二人である。
エンニオ、なんとも素晴らしい人生。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルートヴィヒ(完全復元版)

2024-01-04 15:39:47 | 映画
ルートヴィヒ(Ludvig、1972伊仏独、237分)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
ヘルムート・バーガー(伊語ジャンカルロ・ジャンニーニ)(ルートヴィヒ)、ロミー・シュナイダー(エリ-ザベト)、トレヴァー・ハワード(ワーグナー)、シルヴァーナ・マンガーノ(コジマ・フォンビューロー)、ゲルト・フレーべ(ホフマン神父)、ウンベルト・オルシーニ(ホルシュタイン伯爵)
音楽:シューマン、ワーグナー、オッフェンバック
 
かなり前におそらく短縮版を見てあまりまとまった印象を受けなかった。今回もう一度とかなり長い完全版を見たが、よりよく理解できたとはいえない。短いものでもよかったのではないかと思う。
やはりヴィスコンティはワーグナーが好きだったようだ。ワーグナーの行動、コジマとのなりゆきは私のきいている事実によく沿っていて、子供を祝福するために階段のところにオーケストラを配した「夜明けとジークフリートのラインへの旅」などはワーグナーへのオマージュをいうか、雰囲気たっぷりでここは楽しめる。
 
ただ全体としてはルートヴィヒのこういう浪費と政治的な無策に抗する関係者との軋轢、それも後者の方がもっともと言える話で、最後は湖での自殺で終わる。
 
もう一つ、ルートヴィヒが国王としてうまくいかないのは彼が同性愛者でみせかけの結婚すらしないことだが、それは想像でわかるように描かれてはいるものの、映像表現ではあまりない。
 
唯一人間的な面を見せるのは婚約者の姉で従姉のエリーザベト(ロミー・シュナイダー)との関係、彼女はオーストリア皇后だからどうしようもないのだが、映画前半の見せ場として味わいがある。性的に愛しあえないとわかっているから距離のある憧れを続けていたともいえる。
 
これは私がロミー・シュナイダーのファンだからでもあるのだが、相手に好意は持ちながら結びつくわけにはいかないそれも外部的要因と内面的要因両方という微妙なバランスの中で演じることにかけて彼女の右に出るものはいない(他にもいくつか作品がある)といったらおおげさだろうか。
 
ヘルムート・バーガーはこれで育ったといえるだろう。トレヴァー・ハワードのワーグナーはイメージぴったりである。
 
ワーグナーの音楽の使い方がうまいのは当然としても、前半のシューマン(子どもの情景など)の適用は秀逸。
ヴィスコンティ作品をそう網羅的に見ているわけではないが、「ベニスに死す」、「夏の嵐」、「山猫」などと比べるとちょっとつらい。「家族の肖像」の方が好きではなくても印象的ではあっただろうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TAR / ター

2023-12-13 13:53:32 | 映画
TAR / ター
( Tar、 2022米、158分)
監督:トッド・フィールド
ケイト・ブランシェット(リディア・ター)、ノエミ・メルラン(フランチェスカ)、ニーナ・ホス(シャロン)、ゾフィー・カウアー(オルガ)、ジュリアン・グローヴァー(アンドリュー・デイヴィス)
 
かなり評判になっており好奇心と期待をもって見たが、がっかりだった。音楽に万能的な才能があり、なんとあのベルリンフィルの常任指揮者になっているターを、さまざまな音楽的な弁舌を表出しながら演じ切ったブランシェットは見事で、よくもここまで、他の人にはできないだろうとおもわせるが、要はそれだけである。
 
主人公ターはレズビアンを公言、女性の奏者をパートナーとして生活していて幼女がいる。また若い音楽家対象のアカデミーの仕事、副指揮者の交代検討、そしてレコード会社(ドイツグラムフォン)と単一オーケストラでは初めてのマーラー交響曲全集の最後として第5番にとりかかっている。
 
それがいろんなところからほころびが出てきて、これは観ているとどっちが真実かわからないところもあるのだが、セクハラ、パワハラなどSNSでいろいろ出てくる。周囲の妬みと、ターの独断的な性向などから、結局最後は、というわけになるが、そこからなんとか別の(私の世代にはちょっとわかりにくい)ところに着地するというのが救いといえば救いなのかもしれない。
 
2時間半の最初の30分くらい、ターへのインタビューが続き、それは(変ないい方だが)私のようにかなりクラシックの演奏・録音についてみてきたものにとっては理解できる(ほぼ正確だし)が、これわからなくて退屈な人もいるだろう。
 
あとこの数十年のあいだに、ポジションの交代、政治との関係、セクハラ・パワハラ疑惑の問題が出てきているのを、まだ生きている人の名前も出しているのは、いかがだろうか。ここで出すことではないと考える。
一方でバーンスタインをやたら持ち上げているが、この人にも私生活などかなりひどい面もあって、脚本の言説がなにかユダヤ上位の感じに見えることとともに、かたよっているように見える。

また本筋とは関係ないが、ベルリンフィルとマーラーの関係でいうと、全集というのは途方もなく無理な話だろう。いま録音は経費の点でライブからもってくることが多いから、一人の常任の期間に全部というのは無理な話である。合唱団が入るのも多いし。
 
ちなみにベルリンフィルがマーラーに取り組んだのは遅く、よく演奏するようになったのはこの30年くらいだろう。カラヤンが慎重すぎたのもあるだろうが(もっとも彼のいくつかの録音は素晴らしい)、おそらくきっかけは1963年にジョン・バルビローリが第9番を指揮て大評判となり、団員のリクエストで録音が実現したことだろう(このエピソードくらいは入れてほしかった)。
この映画では最後に残っていたのが第5だが、これは「ベニスに死す」でポピュラーになっていることをうけてかもしれないが、第5はいい曲だけれど点睛にというのはちょっと。
 
それにしても、いまはベルリンフィルもウィーンフィルも女性団員が多く活躍していて何の不思議もないし、女性の指揮者も多く大きな舞台で起用されている。
ただ、ベルリンもウィーンも正規団員として女性が加入するようになってから40年経っただろうか。今でも覚えているのはザビーネ・マイヤーという優れたクラリネット奏者をカラヤンがベルリンに迎えようとして楽団と対立、もめにもめたあげくあのカラヤンがあきらめたということ。
 
この映画は失敗作だが、今後オーケストラの世界は題材として面白いだろう(今までなかったわけではないが)。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする