メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ポール・オースター 「ガラスの街」

2020-05-26 09:23:00 | 本と雑誌
ガラスの街 (City of Glass)
ポール・オースター 著  柴田元幸 訳 (新潮文庫)
 
ポール・オースター (Paul Auster, 1947- ) の名前はしばらく前からよく目にするようになっていて、現代アメリカを代表する作家のようだし、評価の高い柴田元幸の翻訳が多い、ということもあり、この時期何か読むものは?という中で、選んでみた。オースターの処女作である。
 
ニューヨークに住むクインという一応作家であるらしい男、探偵小説を書いたこともある。その彼に知らないところから電話がかかってきて、先方はクインが探偵と思っていて、依頼があるという。間違い電話のようなのだが、クインがなんと「ポール・オースター」という名前だと信じている。
 
しつこいのでやむを得ず会うことにすると、先方は若い夫婦で、夫が何かいわくある父親にいわば世間に;対して無菌状態で育てられる実験に供されていたらしい。父親は学者だが、エデンの楽園、ミルトンの「失楽園」あたりから話がはじまり、それに対する見解の実験のようである。
 
父親は騒動を起こし、懲役になるのだが、釈放されるらしく、息子は危険を感じ、クインに保護を求める。
クインは父親を念入りに追跡するが、そこではニューヨークの街が作者なりの見方、表現で描かれるというわけである。
 
そして、電話の間違いを探すうちに、本物のポール・オースターに会うが、この人は作家まがいのひとのようだ。そこから先、クインにとっては途方に暮れる展開が始まる。ニューヨークの街中で、すべてを失って、保護もされない、原始の状態になっていく。
 
終盤、驚くのは文中に突然この作者が登場することで、叙述のレベルがこれまでと変わっているのかどうなのかはよくわからない。
  
ここまできて、頭の中にうかんだのは、少し前に読んだ「批評理論入門」で、本編はクインの目を通して続いていくが、一応三人称の叙述、そして依頼主(息子)の長い身の上話(一人称)、出会う相手のポール・オースターの語る話、そして、なんとその上に超上というか出てくる作者、という凝った構造になっている。
 
しかもそのポール・オースターが書こうとしているセルバンテスと「ドン・キホーテ」の関係が作者と登場人物、それが成立するまでの込み入った構造であり、この小説に対応しているようにも見える。
私の読解力では、なんともしがたいところはあるが、相当凝った作り方なのだろう。
 
そのうえ、エデンの園、失楽園となると、上記「批評理論入門」で俎上にのせた「フランケンシュタイン」にまさに対応している。私にとっては、このタイミングでなんといういう偶然だろうか。
 
とはいえ、そう理詰めでわかりにくい小説ということはなく、ニューヨークの街中を歩きながら、心地よく読み進む楽しみもあり、訳者のさずがの文章もあって、後味はわるくない。
たまに他の作品も読んでみようかと思っている。 


 





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アガサ・クリスティ - ねじれた家

2020-05-23 16:10:05 | 映画
アガサ・クリスティ ー ねじれた家 (Crooked House、2017英米、115分)
監督ジル・パケ=ブランネール、原作:アガサ・クリスティ
グレン・クローズ(イーディス)、マックス・アイアンズ(ヘイワード)、ステファニー・マティーニ(ソフィア)、テレンス・スタンプ(タヴァナー警部)、オナー・ニーフシー(ジョセフィーン)、クリスティーナ・ヘンドリックス(ブレンダ)
 
大家族が住んでいる邸宅の主が謎の死を遂げ、遺言書によれば若い後妻にすべての遺産が舞い込むことになる。その騒動がおおげさにならないよう、孫娘ソフィアが知り合いのヘイワードに探偵役を頼むのだが、家族内の相互の愛憎が明らかになってきて、、、というもの。
 
クリスティの作品、そうたくさん読んではいないけれど、ポアロが出てくる謎解きものにしろ、そうでないものにしろ、作者は登場人物たちの動機、そのかかわりを重視しているようで、読んでいてかなりしつこい感じもある。
 
この映画それがかなり強いようで、原作とのちがいはたしかめていないが、これら動機のコンプレックスを追いかけるのはなかなか大変である。そしてイギリスものは、なぜか俳優たちの顔だちも、当方日本人の高年齢からすると見分けにくいところがあり、だれが犯人かという推理、推測もなかなか進まない。
だから結末は???という感じである。
 
探偵ヘイワード役のアイアンズは普通の若者という感じで、どうということはない。そうなるとやはり画面におさまりがいいのはグレン・クローズとテレンス・スタンプということになる。
 
作者はこの作品と「無実はさいなむ」の二つを、自らの最高傑作としていたそうである。こっちも読んだことはないが、昨年BBCがクリスティの三作をドラマ化したものが放送され、その一つが「無実はさいなむ」だった。
これも大家族の話で、そこに属する多くの人物がかなり問題を抱え、お互いに複雑な愛憎のコンのプレックスがあって、そこは本作と共通する。そしてやはり、敏腕の探偵がいるわけではない。
 
こういう映画では家族を牛耳る役にそれなりの俳優を置かないと、というわけだろうか、本作では孫娘の大伯母イーディスにグレン・クローズを配したのは効いている。「無実はさいなむ」で、老いた当主はビル・ナイだったことを思い出した。
 
というわけで、映画としては退屈しのぎにでも、そう勧めるという感じでもないのだが、半世紀ちょっと前あたりの風俗(車など)はすこし楽しめる。
 
それにしても、クリスティ自身の高い作品評価というのは、彼女の暗く深い内面を想像させる。



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ベートヴェンのチェロソナタ全5曲

2020-05-22 09:49:40 | 音楽
ベートーヴェン:チェロソナタ 全5曲
チェロ:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、ピアノ:スヴィアトスラフ・リヒテル
録音:1961~1963 英デッカ フィリップス盤
 
前にアップしたヴァイオリンの次はチェロである。こっちの表記は英・独・仏などで単にチェロソナタのようである。
といっても、必ずしもチェロが完全に主役、ピアノは伴奏という感じでもない。
 
第1番、第2番は作品5の1と2、一番有名な第3番は作品69、第4番、第5番は作品102の1と2、ピアノソナタと比べてみると面白いのだが、このカテゴリを手探りした初期、油が乗り切った中期、自在にどこへ行くのかという晩年、この曲数で一気にいってしまったという感がある。
 
第1番、第2番にしてからがかなり意欲的だし、第3番はやはり迫力、完成度とも素晴らしい。第4番、第5番は小ぶりではあるが、ピアノソナタでいえば、個人的に大傑作と思っている第28番作品101とハンマークラヴィアの間ということがなるほどと納得できる意外性のある展開と不思議な深みがある。
 
演奏は録音当時、この二人以外に誰がという感じだっただろうが、改めて聴いてみると、うまいとか迫力があるとかいうより、もっと違ったことが理解されてくる。
 
すなわち、この曲で作曲家はヴァイオリンとピアノの場合とは異なって、二つの楽器、パートの対置で曲を創っていくというより、この二つ合わせてもっと高度な「楽器」による演奏を目指したのではないかと思える。特に第3番。
 
二人はそれを完璧にやり遂げている。特にリヒテルは、強い相手奏者に対して、強いピアノで対抗することができる人だが、あまりそうすると前に出すぎてしまうことを避け、一音一音が響きすぎないよう、ノンレガート気味に進行させているように思える。

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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ 全10曲

2020-05-15 09:21:34 | 音楽
ベートーヴェン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ
ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ、ピアノ:レフ・オボーリン
録音:1962年 英デッカ、フィリップス盤
 
ピアノソナタを1番から32番まで毎日一曲ずつ聴き始め、ついでピアノトリオ全10曲+α、ときて、こんどはヴァイオリンである。
 
考えてみると有名な2~3曲以外、まともに聴いていなかったかもしれない。そこがピアノの場合とちがう。
聴きだすとあれっと思った。ベートーヴェンずいぶん迷っていいるな、苦労しているなということである。最初の3曲は作品12の1,2,3 であのピアノの作品10の1,2,3に比べると、手さぐり感がある。ピアノについては効果的だし、聴きどころがあるものの、ヴァイオリンはいくぶん弱い。第3番で少し見えてきたというところだろうか。
 
そして作品23の第4番は次にくる第5番作品24「スプリング」の準備に入ったという感があって、このあたりからヴァイオリンが表に立ち始め、今回これは傑作と思った第7番作品30の2を経てあの第9番作品47「クロイツェル」に至る。そして第10番は作品96だからピアノソナタの最後の方に近いけれど、あのあたりに共通するある種の軽さと深さのうまいバランスを感じた。
 
そこで気がついたのだが、このアルバム(輸入盤)のタイトルはなんと「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」なのである。英語、ドイツ語、フランス語の解説すべてがそうであった。原典の楽譜がどうなのかはしらないが。試しにチェロのソナタの録音をいくつか見てみたが、こちらは単にチェロソナタとあって、ピアノは伴奏と見ているのかもしれない。
 
この録音もオボーリンのピアノは雄弁であり、第1番から後、通じて音も大きくよく聴こえる。そこにいくとソリストとしてのランクはより高い、当時世界指折りの奏者だったオイストラフの音はそうでもなくて、上記のように第4番あたりから少し目立ってきて、さすがに「スプリング」ではその美しく決して歪まない伸びやかな美音、とりわけ見事なレガートが、聴くものにしみてくる、という感じにようやくなってくる。
  
オイストラフはすべてベートーヴェンの書いた楽譜にまかせ、信頼して弾いていった、それは聴き進むにつれて結実していった、ということだろうか。10曲をまとめて録れたから出来たのかもしれない。そして今回こういう聴き方をしたからよかったのかもしれない。
とはいえ、録音については、もう少しヴァイオリンをオンにしてほしかった。聴くものとしては。
 
このあと、思い出してオイストラフ(1908-1974)がこの少し前(1958)に録音したヴァイオリン協奏曲作品61を久しぶりに聴いた。CDも持っているけれどあえてアナログLP、オーケストラはアンドレ・クリュイタンス指揮フランス放送局管弦楽団である。
 
あっやっぱりという感で、このソナタの解釈がもとにあって、それらより少し後にできた協奏曲のこの柔らかい美しさ、それがたっぷり続いて最後大きな感動、満足感に至る、これ以上ない名演だと思う。それに指揮がクリュイタンスとは、なんという名配役。

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リオ・ブラボー

2020-05-12 09:14:14 | 映画
リオ・ブラボー (Rio Bravo、1959米、141分)
監督:ハワード・ホークス、音楽:ディミトリ・ティオムキン
ジョン・ウェイン(保安官チャンス)、ディーン・マーチン(デュード)、リッキー・ネルソン(コロラド)、アンジー・ディキンソン(フェザーズ)、ウォルター・ブレナン(保安官助手スタンピー)、ワード・ボンド(ホイーラー)、ジョン・ラッセル(ネイサン・バーデッド)
  
シリアスな西部劇から始まり、脚本、配役、演技(ガン・プレイ他)、撮影など、娯楽要素を充実させてきたホークスの一つの回答というように受け取れる傑作。見た記憶がなくはないが、おそらくカットも入ったTV放送だったのだろうか、もっと軽い娯楽作品と思っていた。
 
リオ・ブラボーの酒場で、いざこざがあり殺人を犯した男を保安官チャンスが捕まえるが、男はこのあたりの有力者の弟で、その一家はチャンスに脅しをかける。いざこざに巻き込まれたのは、以前は拳銃でも名の知られたデュードだが、落ちぶれた飲んだくれになっていた。町でなんとかしようとしたホイーラーが殺され、その組にいた若い拳銃使いのコロラドが、チャンスの味方になってくる。老いて足の悪い助手スタンピーも含め、この4人で、一味にあたることになるが、もちろんこの種の映画でお約束通り多勢に無勢、4人の中にもそれぞれ事情があり、一筋縄では一体にならない。
 
それで映画は長くなるのだが、そのなかに楽しみは数多く撒かれている。飲んだくれのガンマンといえば、同じホークスの「エル・ドラド」(1960)のロバート・ミッチャムを思い出す。ディーン・マーチンはまだ顔も体も細くて、落ちぶれたイメージによくフィットしている。
 
リッキー・ネルソンはまだ19歳? でもこのとき私もよく見ていたネルソン一家のホームドラマでおなじみだった。このあと歌手としてかなりヒット曲を出し、人気もあったが、飛行機事故で死んでしまったのは気の毒。45歳だった。「赤い河」のモンゴメリー・クリフトといい、このリッキー・ネルソンといい、ホークスは意外性のある配役、特に若手の起用で新鮮味を出してくれる。
 
ウォルター・ブレナンも、これはお約束どおりというか笑わせてくれるが、肝心なところで納得できる働きをする。
  
そしてここに旅の女、ちょっと怪しげでいわくありげな美女、アンジー・ディキンソンである。風貌、髪型、服装などモダーン、とてもこの時代のこの場には、という感じなのだが、あえて彼女を使ったのはホークスの好みだろう。決して演技がどうのという彼女だけれど、見ていて楽しい。保安官のウェインも彼女とのからみがあるから、単に従来の保安官役から想像するイメージより、少しふくらみが出ているようだ。
アンジーが確かその美脚に高い保険をかけたということをきいた覚えがあ、それはそうだろう。
 
有名な割にあまり映画には出なかったようで、しばらくはあのバート・バカラックと結婚していた。バカラックの「自伝」よれば、二人の間に生まれた娘につらい疾患があり、苦労したようだ。
 
音楽はホークスとのコンビが多いティオムキン。保安官たちと一家の決闘が近くなって、酒場から聞こえるのが印象的な「皆殺しの歌」(トランペット)、これはアラモを攻撃したメキシコ軍の曲をもとにしたといわれていて、この映画のすぐあとの「アラモ」でも使われている。
また「ライフルと愛馬」はよく知られたヒット曲で、決闘の前夜、室内でマーチンがネルソンと彼のギターで歌って楽しませてくれる。「赤い河」でも印象的だったが、確か歌詞はなかったと思う。


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