ガラスの街 (City of Glass)
ポール・オースター 著 柴田元幸 訳 (新潮文庫)
ポール・オースター (Paul Auster, 1947- ) の名前はしばらく前からよく目にするようになっていて、現代アメリカを代表する作家のようだし、評価の高い柴田元幸の翻訳が多い、ということもあり、この時期何か読むものは?という中で、選んでみた。オースターの処女作である。
ニューヨークに住むクインという一応作家であるらしい男、探偵小説を書いたこともある。その彼に知らないところから電話がかかってきて、先方はクインが探偵と思っていて、依頼があるという。間違い電話のようなのだが、クインがなんと「ポール・オースター」という名前だと信じている。
しつこいのでやむを得ず会うことにすると、先方は若い夫婦で、夫が何かいわくある父親にいわば世間に;対して無菌状態で育てられる実験に供されていたらしい。父親は学者だが、エデンの楽園、ミルトンの「失楽園」あたりから話がはじまり、それに対する見解の実験のようである。
父親は騒動を起こし、懲役になるのだが、釈放されるらしく、息子は危険を感じ、クインに保護を求める。
クインは父親を念入りに追跡するが、そこではニューヨークの街が作者なりの見方、表現で描かれるというわけである。
そして、電話の間違いを探すうちに、本物のポール・オースターに会うが、この人は作家まがいのひとのようだ。そこから先、クインにとっては途方に暮れる展開が始まる。ニューヨークの街中で、すべてを失って、保護もされない、原始の状態になっていく。
終盤、驚くのは文中に突然この作者が登場することで、叙述のレベルがこれまでと変わっているのかどうなのかはよくわからない。
ここまできて、頭の中にうかんだのは、少し前に読んだ「批評理論入門」で、本編はクインの目を通して続いていくが、一応三人称の叙述、そして依頼主(息子)の長い身の上話(一人称)、出会う相手のポール・オースターの語る話、そして、なんとその上に超上というか出てくる作者、という凝った構造になっている。
しかもそのポール・オースターが書こうとしているセルバンテスと「ドン・キホーテ」の関係が作者と登場人物、それが成立するまでの込み入った構造であり、この小説に対応しているようにも見える。
私の読解力では、なんともしがたいところはあるが、相当凝った作り方なのだろう。
そのうえ、エデンの園、失楽園となると、上記「批評理論入門」で俎上にのせた「フランケンシュタイン」にまさに対応している。私にとっては、このタイミングでなんといういう偶然だろうか。
とはいえ、そう理詰めでわかりにくい小説ということはなく、ニューヨークの街中を歩きながら、心地よく読み進む楽しみもあり、訳者のさずがの文章もあって、後味はわるくない。
たまに他の作品も読んでみようかと思っている。
ポール・オースター 著 柴田元幸 訳 (新潮文庫)
ポール・オースター (Paul Auster, 1947- ) の名前はしばらく前からよく目にするようになっていて、現代アメリカを代表する作家のようだし、評価の高い柴田元幸の翻訳が多い、ということもあり、この時期何か読むものは?という中で、選んでみた。オースターの処女作である。
ニューヨークに住むクインという一応作家であるらしい男、探偵小説を書いたこともある。その彼に知らないところから電話がかかってきて、先方はクインが探偵と思っていて、依頼があるという。間違い電話のようなのだが、クインがなんと「ポール・オースター」という名前だと信じている。
しつこいのでやむを得ず会うことにすると、先方は若い夫婦で、夫が何かいわくある父親にいわば世間に;対して無菌状態で育てられる実験に供されていたらしい。父親は学者だが、エデンの楽園、ミルトンの「失楽園」あたりから話がはじまり、それに対する見解の実験のようである。
父親は騒動を起こし、懲役になるのだが、釈放されるらしく、息子は危険を感じ、クインに保護を求める。
クインは父親を念入りに追跡するが、そこではニューヨークの街が作者なりの見方、表現で描かれるというわけである。
そして、電話の間違いを探すうちに、本物のポール・オースターに会うが、この人は作家まがいのひとのようだ。そこから先、クインにとっては途方に暮れる展開が始まる。ニューヨークの街中で、すべてを失って、保護もされない、原始の状態になっていく。
終盤、驚くのは文中に突然この作者が登場することで、叙述のレベルがこれまでと変わっているのかどうなのかはよくわからない。
ここまできて、頭の中にうかんだのは、少し前に読んだ「批評理論入門」で、本編はクインの目を通して続いていくが、一応三人称の叙述、そして依頼主(息子)の長い身の上話(一人称)、出会う相手のポール・オースターの語る話、そして、なんとその上に超上というか出てくる作者、という凝った構造になっている。
しかもそのポール・オースターが書こうとしているセルバンテスと「ドン・キホーテ」の関係が作者と登場人物、それが成立するまでの込み入った構造であり、この小説に対応しているようにも見える。
私の読解力では、なんともしがたいところはあるが、相当凝った作り方なのだろう。
そのうえ、エデンの園、失楽園となると、上記「批評理論入門」で俎上にのせた「フランケンシュタイン」にまさに対応している。私にとっては、このタイミングでなんといういう偶然だろうか。
とはいえ、そう理詰めでわかりにくい小説ということはなく、ニューヨークの街中を歩きながら、心地よく読み進む楽しみもあり、訳者のさずがの文章もあって、後味はわるくない。
たまに他の作品も読んでみようかと思っている。