「人のセックスを笑うな」(2007年製作、137分)
監督:井口奈己、原作:山崎ナオコーラ、脚本:本調有香、井口奈己、撮影:鈴木昭彦、美術監督:木村威夫、音楽:HAKASE-SUN
永作博美、松山ケンイチ、蒼井優、忍成修吾、あがた森魚
原作のこの突飛なタイトルは、芥川賞候補になった時から憶えている。でも見始めると、それは人の恋愛を笑うな、こんなものもある、というような意味で、それはタイトルに出てくる英語訳ではセックスに相当するところがRomanceになっていることからもわかる。
19歳の美術学校生(松山ケンイチ)が20歳年上のリトグラフ講師(永作博美)と出合って、恋におちてしまう。まずそこにいくまでの、自然に日常交わされそうな会話、井口監督といえば言われる固定カメラの長まわしそれも本質的な場面のつまり登場の前と退場のあともしばらく続くかたち、これが二人の演技ともども魅力的である。
女性監督が演出しているという感じは明らかにあるものの、それが見ているこっちつまり男性にとって、じわじわと来るのである。ある意味で非常にエロティックだ。
二人の間で細かいところがしっくり来はじめても、それだからこそ細かいところのずれやほころびから、それは修復しがたい展開、といってしまえばそれまでだが、時々間延びはするものの、最後まであきることはない。
松山を一方的に好きな蒼井優、彼女をまた好きな忍成修吾、彼らの話が下支えと思うと、特に蒼井の役はそうでもなくもっと松山とかかわって来るかと思わせたりする。これは蒼井を使っているうちに監督がその気になったところもあるのだろうが、このところ一人切れのいい俳優として作品のアクセントに使われることが何回が続いている。そろそろ別の使われ方を見たい。
そういえばこの二人は岩井俊二に鍛えられた人たち。
永作は役にぴったりで、男から見て、監督の意図は当たったといえる。
問題は松山で、台詞はいいのだが、この上背で予想より体もがっちりしている日本映画の期待を背負う素材にしては、いつも下向きの姿勢が惜しく、表情がよくわからない。監督の指示ではないと思うのだが。
永作が実は結婚していたかなり年上の相手があがた森魚というのにはびっくりした。
カメラの使い方で一つ
冒頭に永作が車から降りる畑の中のバス停(全体に気持ちのいい田舎)、終盤に松山と蒼井がバイクで同じところに来るがカメラアングルも最初と同じ、そしてあるところからカメラの位置が正反対になり逆光になる。そうなると見ている方は何か起こるかなと感じ、ひょっとしたらこの二人の行方も想像していたのとは違うことになるのかな、と思う。しかしそうでもない。どうなんだろう、この仕掛けは。
上映館が少ないということはあるにしても、よく入っていた。監督に対する期待と、女性たちの支持だろうか。