ワーグナー:歌劇「タンホイザー」
指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:トビアス・クラッツァー
ステファン・グールド(タンホイザー)、マルクス・アイヒェ(ウォルフラム)、リーゼ・ダヴィドセン(エリーザベト)、エレナ・ツィトコーワ(ヴェーヌス)
バイロイト祝祭管弦楽団、合唱団
2019年7月25日 バイロイト祝祭歌劇場、2019年8月NHK BS
音楽はいいけど、この放蕩と悔悟、歌合戦、巡礼、女性の自己犠牲と救済、というワーグナー特有の組み合わせは、どうもぴんと来ないところがあった。
それが、この思い切った演出だと、はてなはてなと思いながら、タンホイザーの内面、本音をより深く想像しながら聴くことが出来る。
想定した舞台と衣装通りでないのは、タンホイザーとヴェーヌスそしてその一派、羊飼いあたりで、エリーザベト、ウォルフラムとその仲間、領主などは従来とそう変りない。冒頭序曲の間、タンホイザーはヴェーヌスが主催するサーカスの巡業団として田舎道をバスで走りながら、舞台に到着する、という流れでびっくりさせられる。
ヴェーヌスは常にこの位置づけで通され、彼女とタンホイザーとの関係は常に観客に感じとられており、それが快さも持つ官能的な音楽とともに効果的である。タンホイザーの最後がそう納得いかない異教者としても、この流れは理解できるものである。
ウォルフラムとエリーザベトの関係暗示も面白い。
タンホイザーのグールドは強さ、輝きもあって立派。エリーザベトのダヴィドセン、こういう強い声もありかなとは思う。ウォルフラムのアイヒェはまずまず、ちょっと小粒だが、この演出ならこれでもいいのだろう。
何といっても見せて、楽しませてくれたのは、ヴェーヌスのツィトコーワ、妖艶な姿で誘惑するタイプでなく、動きも表情も機敏で、音楽に合わせて様々にタンホイザーに絡んでくる。
ゲルギエフの指揮は、全体にダイナミックな歌い方で通していって、飽きさせない。さすがというべきか。
タンホイザーを見て、またオランダ人なども思い出すと、ワーグナーにとって、女性像、女性の自己犠牲は、この二作あたりでは半端で、行きつくのはイゾルデ、ブリュンヒルデということになるのだろう。
バイロイトも時にこういう演出にトライすることが、作品とこのイベントを継続することに寄与するだろう。
指揮:ワレリー・ゲルギエフ、演出:トビアス・クラッツァー
ステファン・グールド(タンホイザー)、マルクス・アイヒェ(ウォルフラム)、リーゼ・ダヴィドセン(エリーザベト)、エレナ・ツィトコーワ(ヴェーヌス)
バイロイト祝祭管弦楽団、合唱団
2019年7月25日 バイロイト祝祭歌劇場、2019年8月NHK BS
音楽はいいけど、この放蕩と悔悟、歌合戦、巡礼、女性の自己犠牲と救済、というワーグナー特有の組み合わせは、どうもぴんと来ないところがあった。
それが、この思い切った演出だと、はてなはてなと思いながら、タンホイザーの内面、本音をより深く想像しながら聴くことが出来る。
想定した舞台と衣装通りでないのは、タンホイザーとヴェーヌスそしてその一派、羊飼いあたりで、エリーザベト、ウォルフラムとその仲間、領主などは従来とそう変りない。冒頭序曲の間、タンホイザーはヴェーヌスが主催するサーカスの巡業団として田舎道をバスで走りながら、舞台に到着する、という流れでびっくりさせられる。
ヴェーヌスは常にこの位置づけで通され、彼女とタンホイザーとの関係は常に観客に感じとられており、それが快さも持つ官能的な音楽とともに効果的である。タンホイザーの最後がそう納得いかない異教者としても、この流れは理解できるものである。
ウォルフラムとエリーザベトの関係暗示も面白い。
タンホイザーのグールドは強さ、輝きもあって立派。エリーザベトのダヴィドセン、こういう強い声もありかなとは思う。ウォルフラムのアイヒェはまずまず、ちょっと小粒だが、この演出ならこれでもいいのだろう。
何といっても見せて、楽しませてくれたのは、ヴェーヌスのツィトコーワ、妖艶な姿で誘惑するタイプでなく、動きも表情も機敏で、音楽に合わせて様々にタンホイザーに絡んでくる。
ゲルギエフの指揮は、全体にダイナミックな歌い方で通していって、飽きさせない。さすがというべきか。
タンホイザーを見て、またオランダ人なども思い出すと、ワーグナーにとって、女性像、女性の自己犠牲は、この二作あたりでは半端で、行きつくのはイゾルデ、ブリュンヒルデということになるのだろう。
バイロイトも時にこういう演出にトライすることが、作品とこのイベントを継続することに寄与するだろう。