ドニゼッティ:歌劇「アンナ・ボレーナ」
指揮:マルコ・アルミアート、演出:デイヴィッド・マクヴィカー
アンナ・ネトレプコ(アンナ・ボレーナ)、エカテリーナ・クバノヴァ(セイモー)、イルダール・アブドラザコフ(エンリーコ(ヘンリー八世))、スティーヴン・コステロ(ペルシ)、タマラ・マムフォード(スメトン)
2011年10月15日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2012年10月WOWOW放送録画
評判のアンナ・ネトレプコの「アンナ・ボレーナ」である。これはやはり生であるいは映像で見るのがいいだろう。ドニゼッティの音楽も彼の多くの作品の中でいい方の部類だろうが、音だけ聴いてもあまり感じないと思う。
アンナ・ネトレプコは声、その表現力も大したものだが、このドラマが進んでいくにしたがって顔にも変化が現れてくるなど、演技者としても跳びぬけた人である。
話は15世紀イギリスのヘンリー八世(エンリーコ)の治世、2番目に妃になったアン(アンナ)の話、そうあの映画「ブーリン家の姉妹」の姉の方の話である。ただここでは映画に出てくる妹メアリーとの確執はなく、妃になってその後侍女と王との関係、アンナが以前から知っていたペルシとの関係を王に悪用され、処刑されるまでの話である。
アンナ、王エンリーコ、侍女、ペルシの四角関係、それもすぐにアンナが責められて死に至るのは必然ということはわかってしまう。あとはそれぞれの心情の吐露があるが、アンナには王を除いた三人の思いの救済が、音楽的に要求されている、そういう作品である。
その歌唱が観客にとっても救済になり、カタルシスになる。ただアンナの長丁場の歌は、ドニゼッティやベッリーニのいくつかの作品のような典型的な「狂乱の場」とはちがう。
演出は全体にオーソドックスで、衣装は考証もしっかりしているらしい。壁面とその動きによる場面変更がスムースで、これはエクス・アン・プロヴァンス音楽祭の屋外公演から影響を受けているようにも、私には見える。
それにしても、この状況、この結末から、アンナの娘がよくもエリザベス一世になったものだ。この舞台でも一瞬姿を見せる。
ドニゼッティやベッリーニのこのころの作品には、舞台がイングランドやスコットランドのものがいくつもある。イタリアにはあまりこういう王国がなかったせいだろうか。それとも彼らの主たるお客がパリだったから、あのあたりの話が適当だったのだろうか。