メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プーシキン「オネーギン」

2024-04-28 14:07:24 | 本と雑誌
オネーギン
 プーシキン 作  池田健太郎 訳   岩波文庫
 
プーシキン(1799-1837)の作品そのものを実は読んだことがなかったということは気がついていた。チャイコフスキーのオペラ「オネーギン」、「スペードの女王」のほか「ボリス・ゴドゥノフ」(ムソルグスキー)、「ルスランとリュドミラ」(グリンカ)など比較的上演されているから、作者の名前とおよそどんな話ということは頭に入っているのだが。
このところロシア文学をもう少し読んでみようかと思い、ドストエフスキー、チェーホフの他にもとまずはプーシキンというわけである。
 
「オネーギン」、実は抒情詩で、それらがいくつかならんでストーリーにもなっているというかたちである、ということは知らなかった。作者のよって、各篇がどこで書かれ、その内容についてのコメントみたいなものもある。この訳で抒情詩を散文にちかい形にしていて、日本で読むことを考えれば適切だと考える。
 
話はよくあるような適度お金があるふさぎの虫で田舎に引きこもっているオネーギン、近くの家庭の姉妹タチヤーナとオリガ、若い詩人のレンスキー、レンスキーとオリガが相愛になり、オネーギンがはっきりしないうちにタチヤーナが手紙を書く(ここはオペラでは一つのクライマックス)、しかしひねくれもののオネーギンはパーティでオリガにちょっかいをし、怒ったレンスキーから決闘を申し込まれ、レンスキーを殺してしまう。
 
オリガは去り、タチヤーナとオネーギンも離ればなれになる。時は移りモスクワの社交界、そこでタチヤーナは齢の離れた将軍と一緒になっていた。そして今度はオネーギンが手紙を書いてタチヤーナのもとへ、、、
この二回のの残酷、あまたの恋愛ものと比べ、見事である。
でも、タチヤーナの手紙の場面、さすがチャイコフスキーで、原作をしのいでいると思う。
 
さて、読んでみようどの翻訳をと思って調べたらこの訳があった。このブログにも何度か書いたように大学に入って教養課程で第2外国語にロシア語をとったが、そこで担当されたのが池田健太郎先生、チェーホフは教材にも使ったし、後にドストエフスキーの主要作品を続けて翻訳され読ませていただいたのだが、この訳は知らなかった。奥付を見ると1962年とあるからもうそのときより前に出ていたのだろう。
 
訳者注の後に文庫ではあまり見ないがおまけの付録が二つもある。
まず池田先生が私淑した神西清のこと、そのすごさについてで、先生がどうやってロシア文学、特に翻訳にいったのか、かなり私的な事情も含め書かれていて興味深い。私の学生時代はこういうことを想像させない感じ、いつもにこにこ親しみやすく、何人かでお宅に行き飲ませていただいたこともあった。
もう一つは鳴海完造(1899-1974)という市井のプーシキン研究者のこと、死後その蔵書の整理作業に携わったことからその生涯、膨大な収集について、詳細に浮き彫りにしたもので、こういう人がいたということに驚く。この人のことは先生に大きな影響を与えただろうと思う。
 
そしてこの蔵書整理に加わっておられた中村喜和氏はもう一つのロシア語の先生で、何を習ったかよく覚えていないが、こういう方々の近くにいたそういう時代だったんだと感慨深い。
理科系の学生だったから半分は単位習得が目的だったけれど、いまからするとちょっともったいなかったか。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京国立近代美術館 所蔵作品展

2024-04-26 17:32:09 | 美術
所蔵作品展「MOMATコレクション」
東京国立近代美術館
2024年 4月16日(火)ー8月25日(日)

ここの所蔵作品展が年3回ほどで展示替えという形になって数年になる。以前はどちらかというと常設展という感じで定番、眼玉というものをいつでも見ることが出来ると感じたが、新しい形(シリーズ)ではより新しい収蔵品、中にはかなり前衛的なものなどを見ることができる。
そんな中、しばらく見ていないでやはりまた見たいというものもかなり溜まってきたが、その中には先日のシュルレアリスム展でなつかしかった靉光などがある。
 
その点今回は多少もとにもどってという感はあり、たとえば村山槐多「バラと少女」、関根正二「三星」、梅原龍三郎「黄金の首飾り」、長谷川利行のいくつもの傑作など、なつかしく楽しんだ。
またいつも感じるが、ここは戦争画をい多く所蔵しており、毎回いろいろ見せてくれて、見る方もレベルが上がってくるように思える。
最初にある加山又造「千羽鶴」の細密な美しさとスケール感も見事。
 
ここの所蔵作品展を見ていると20世紀前半あたりのアートたちが私に何をしてきたか、作って来たとはいわないが、確かに私の中にあるという感がすることが何度もあった。

贅沢をいえば、かなり昔(?)のようにいつ行っても大観の「生々流転」を端から端までゆっくり見られることはないのだろうか。

全体の展示期間はかなりあるし、料金の心配もないので何回かにわけて行く、あるいは目をつけたもの中心に再度訪れるということを考えてもいいけれど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵本読み聞かせ(2024年4月)

2024-04-25 17:13:26 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年4月
 
年少
だるまさんが(かがくい ひろし)
くっついた(三浦太郎)
ぶーぶーじどうしゃ(山本忠敬)
ととけっこう よがあけた(こばやし えみこ案 ましま せつこ絵)
年中
だるまさんが
ととけっこう よがあけた
ぶーぶーじどうしゃ
ぞうくんのさんぽ(なかのひろたか)
年長
ぞうくんのさんぽ
かお かお どんなかお(柳原良平)
どろんこハリー(ジーン・ジオン文 マーガレット・ブロイ・グレアム絵 わたなべ しげお訳)
 
今月からあたらしいクラスに入った子もいる。だるまさんが受けるのは今年も同じで、動作のまねもしたがる。これはこのシリーズの威力。
 
じどうしゃに関する知識は年少でもかなりある。「ごみしゅうしゅうしゃ」と正しく指摘したのにはびっくり。
 
ぞうくんのさんぽはこの日いい天気だったし、こっちも気持ちよかった。「ごきげん」という言葉はよくわからいらしく(意外)聞かれてこまったが、若い保育士さんが「るんるん ってことかな」と言ってくれて納得したみたい。
 
かおかおどんなかおは去年とくらべると反応がよかった。
どろんこハリーも同じ、登場するSLがすぐわかったので助かったが、全体に面白かったといっていた。
 
新年度のすべりだしとしてはまずまず




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木村伊兵衛 展

2024-04-20 11:01:04 | 写真
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる
東京都写真美術館 3.16(土)~5.12(日)
  
木村伊兵衛 (1901-1974)は私の世代なら一番先に知った写真家だと思う。ライカの名手ともいわれていて35㎜モノクロの作品はいくつも見た記憶がある。今回こうしてかなりの量を一覧していくと、特に戦後とくに1950年代からの市井のものものなどは、見る方の感覚を掘り起こしてくれてこれ、そのものに近いイメージが浮かんでくる。
 
名作というものはこれしかない瞬間を切り取った結果という考えも頭にあったが、こうしてみると今の連写とはちがうし、偶然でもないだろうし、眼による対象の見方、頭や体の接し方で結果がでるのだろう。
 
こっちのつまり見る私のこれまでの年月も、単なるなつかしさだけでなく、記憶の中で残された少数とこれらの写真が呼応するのかもしれない。
 
有名な秋田はやはり引き込まれるし、木村が驚愕し愛した沖縄は特別な魅力、中国もこういう庶民の姿は今TVなどで接することがないが、実際にはあるのかもしれない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池上秀畝 展(生誕150年)

2024-04-11 18:13:06 | 美術
池上秀畝 展 高精細画人 生誕150年
 3月16日~4月21日  練馬区立美術館
 
池上秀畝(いけがみ しゅうほ)(1874-1944) は日本画家であるが、これまでその名を全く知らなかった。解説によれば菱田春草と同年、同じ長野県の生まれだが、伝統的な日本画に秀で、官展を中心に評価が高く相応のところに買い上げられたが、いわゆる旧派とされ、春草や横山大観などの日本画新派のように一般の鑑賞者の世界には知られなかったとも言えるらしい。
 
かなりの数の花鳥画を中心とした展示を見ると、高精細ではあるがスタティックというか主張は抑えられているといえる。もっともこの分野ではそうはっきりした主張はこの時代あまりなかったともいえるが、それでもどこか静かすぎないかとも感じた。
 
伝統的な日本画は手本を正確にうつすことからはじまるそうだが、そこにとどまっていられないところから大観、春草などの朦朧体も出てきたかということは想像できた。
 
こういう旧派、なかなか入っていけないが、池上秀畝はひそかに西洋画も多少勉強し、これまでにの日本画とはことなり「写生」を重視したそうである。たしかに「桃に青鸞」、「四季花鳥図」などは写実の粋ともいえる。
ただ同じ鳥の絵でも若冲は「写生」ではないのだろう。おそらく飼っている鶏を毎日注視しているうちに頭の中に完璧な像を作り上げてそれを描いた、描いているうちにそれが出てきたということだろうか。

一方、秀畝は博物館で鳥の剥製を長時間かけ克明に写生したことがあったそうである。
 
大作「神風」(1943)は蒙古襲来を題材にしており靖国神社に奉納されている。この画人、そういう厳しい時代に生きたのだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする