メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

岩佐又兵衛 (辻惟雄)

2008-06-27 18:23:43 | 本と雑誌

「岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎」(辻惟雄著、2008年、文春新書)
 
岩佐又兵衛(1578-1650)の名前は時々目にするけれども、そして浮世絵の祖などということもきくけれども、そのたびにきょとんとしてしまっていた。じっくり見たことがない上、話もよくきいていない、読んでいないせいではあるのだが。
 
今回まとめてこの本で多くの絵を見、解説や又兵衛の生涯を読むと、これは大変な絵師である。特に画中人物の思いをあらわす表情、所作など、他の人の絵にはなかなか見られないものだ。そして、戦い、男と女、そのほか人間のありなす様々な場面、このころからこんなにリアルでどぎついものがあったとは、驚きである。
 
その一方で多くの箇所に見られる派手なべた塗りは、その形とともにむしろデザインの領域を感じさせる。
 
著者も書いているように、又兵衛はこれらを自ら、そして工房の人を使いながら量産した。
その後の有名な浮世絵は、又兵衛よりは穏やかな表現になっていったと思われる。そして、誰でも感ずることだが、その後の日本の漫画の表現でまたもともとあった側面が長い時間ののち、表に出てきた、と考えられる。
そう、工房製作形態もあわせ、最近のスーパーフラットといわれるものに通じているのではないだろうか。
 
この20年くらいで若冲は一挙にスターになった。又兵衛は著者にいわせると何故か遅れているそうだが、いずれもっとよく目につくようになるだろう。
 
東京国立博物館で7月8日から開催される「対決-巨匠たちの日本美術」には入っていない。次回があれば、岩佐又兵衛vs菱川師宣 になるのだろうか。
 
この本が新書というのは不思議だが、図版はすべてカラーでこんなに多く鮮明、1200円というのは買い得だ。


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小林秀雄の恵み(橋本治)

2008-06-19 18:30:45 | 本と雑誌
「小林秀雄の恵み」(橋本治著、新潮社)
これは、小林秀雄(1902-1983)のおそらく唯一の大著「本居宣長」(1977)を扱っている。
松阪の医者であり、ひたすら和歌が好きでそれを心ゆくまで詠みたかった学者でもあった本居宣長(1730-1801)が、「源氏物語」から「物のあはれ」の源である「古事記」にいたる。
 
「小林秀雄の恵み」は三重構造になっていて、近世人本居宣長の上記のような考え、プロセス、それを近代人小林はどう見たか、またなぜ宣長についてこのような本を書く必要があったのか、そうしてさらに戦後の人である橋本にとって、この小林とはどういう人なのか、である。
 
意外なのは、私とたいして歳がちがわない橋本が、若い頃ほとんど小林を読んでいないことである。現代国語の問題によく出たということもあるけれど、いっぱしの口をきくためには小林のいくつかの著作はとにかく目を通しておく、という感じではあったのだが。
 
「本居宣長」は、長いのとおそらく古文の引用が多いであろうということ、また宣長にそんなに興味もなかったということから、まず本を買わなかった。
 
今回、橋本のおかげで、どんな本だったのかなということはうかがい知ることが出来る。
橋本が何回も書いているように、小林秀雄の思想は、一言で言ってしまえば、「読むに価するものをちゃんと読め」であって、「読む」対象は文章ばかりでなく絵画も音楽もである。
 
そのことと、一心に「物のあはれ」に向かった宣長に、この本を読んだ私として違和感はない。しかし橋本も言うように、近代人であり、まさに戦前、戦中、戦後を生きた小林には、またいろいろ細かい、難しいところが出てくる。戦後の人である橋本は、そのややこしいところをえぐって、読むものにかなり明確に提示してくれるが、それでもわからないところは残る。また私からみれば橋本がどうしてこだわるのか理解できないところもある。
 
このかなりな大著を読み終えることが出来たのは橋本の筆力、そしてまさに宣長の「物のあはれ」と同様、ぶつかってそこから何かを書いていく(と私は思っているが)橋本ならではのスタイルのよさである。
 
これまで、小林の書くものは、その内容の細かいところはともかく、彼が全身全霊で感じ信じているとこちらに感じさせる肉声のような文体で私を圧倒してきた。小林が翻訳したランボー「地獄の季節」には誤訳も多いらしいのだが、その「声」に圧倒されてなんとなくわかったような気になった。
が、しかしその肉声はそうだが、それでこちらはどうしようか、ということはいつも残ったのである。
橋本の本を読むと、そうして残ったのは自然なのだということはよく理解できる。そう、そこから先は、読むものが自分で感じ、考え、生きていかなければならない。
 
またこの本で、日本における神、仏、について、小林の本に即して橋本がいろいろ書いていることは、大変興味深く、ああそうだったのかということが多かった。
 
ところで、吉田秀和は小林より一回り近く若いが、付き合いは深く、その人となりはかなり知っていたはずである。ところが、「本居宣長」を小林からもらって読んだものの、小林宅を訪れたとき「やっぱり私にはこの本はわかりません」と言ったそうである。さすが。
 
吉田はこのことを、かなり後になって2001年11月の朝日新聞「音楽展望」に書いている。ここで、同年のニューヨーク9.11のあと、吉田は「書くのが辛くてならない。それでも、いつまでか知らないが、私は書き続けるだろう。人間は生きている限り、自分の愛するものを力をつくして大切にするほかないのだから」と書いている。
その後、吉田の書く音楽評論は、これまでよりずっとより感じることに力点を置いたものになっているように思われる。何か「物のあはれ」の本質と重なって見えてくる。
 
そういうところに私を持っていってくれた「橋本治の恵み」に感謝すべきかもしれない。
 
次元の低い話で一つ、小林秀雄の恩恵に浴したことがある。
1965年、世界的な数学者岡潔と小林秀雄の対談「人間の建設」が、おそらく月刊「新潮」に掲載され、これもおそらく江藤淳が朝日新聞の文芸時評で絶賛し、すぐに本になった。読みたいと思いすぐに買って読んだら、直後に予備校の模擬試験に出てきた。現代国語がほとんど全部出来たのはあの時くらいである。それは自信までいかないにしても、一定期間は助けというか励みになるもので、今でもよく憶えている。

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コロー展

2008-06-18 21:44:20 | 美術

コロー 光と追憶の変奏曲」(国立西洋美術館、6月14日~8月31日)
 
カミーユ・コロー(Camille Corot 1796-1875)は、私、おそらく私たちの世代が中学から高校にかけて受けた美術教育で、フランス絵画の代表的なものの一つとして印象付けられた。特にクールベなどとともにそんなにどぎつくなくて、やはりヨーロッパというのは上質な文化を持っていると素直に思ったものである。
 
その後しばらくしてあまり積極的にこれらを見ない時期があったのは、もっと強い印象を必要とした若さのせいだったのかもしれない。
 
それはともかく、このようにコローをまとめて見る機会は世界的にも少ないそうで、これはいろんなことを考える上で、見ておいてよかったと思う。平日ながらシニアを中心に相当の入りで、やはり知名度は高いのだろう。
 
初期からしばらくの間に描かれたイタリアの風景、住み込んだパリ近郊の森、これらの風景画は確かに懐かしい。こうしたものを気持ちよく見たことへの懐かしさである。もっともこれは今は少し物足りない。絵のサイズが意外と小さいせいもあるが、やわらかいタッチの後期よりは集中力を感じさせる細かい描写も、これに影響をうけた先日の展覧会の河野通勢と比べても、河野の上京前3年間の方が、何か訴えかけるもの持っているようだ。
 
展覧会では、いくつかの絵に対して、それに影響を受けたと思われる後輩の有名画家の作品が並べられている。それらはコローよりは、いくつかの要素をより強く意識し、強調し、場合によっては抽象という領域にまで持っていっている。
こういうことがわかるのはありがたい。今になってみると、私からすれば、この中で、例えばシニャック、シスレー、ルノアールなどの方が、ああやはりこのあたりから絵画を好きになり、続けてみるようになったのだ、と気づかせるものが多い。
中でも異彩を放つのはルノアール、何故かこっちが歳をとるとともに、この画家の才は際立って見えてくる。
 
しかし考えてみればコローという画家が、こうして好きで描いて長い間多くの作品を誠実に生み出し、これだけの画家に影響を与えたのは大したものである。そして面白いもので、それだけでは終わらず、晩年のサイズが大きな風景画には、写生というよりそれまでの記憶から何かある理想を描いた、描きたいものを描いたと思わせるものがあり、次の時代に通じていく力も感じることが出来た。
 
後期から出てくる人物画の中で完成度の高いものは少ないが、有名な「真珠の女」(展覧会ポスター)と「青い服の婦人」は、やはり見ごたえがあった。


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ナンシー関 大ハンコ展

2008-06-13 10:30:15 | 美術
ナンシー関 大ハンコ展」 (渋谷パルコ パート1パルコファクトリー、6月5日~6月15日)
 
ナンシー関(1962-2002)の死後、その消しゴム版画を集積し、約5000点版木(ゴム)と代表的な作品を展示したもの。
 
週刊文春で1993年に始まった「テレビ消灯時間」、その版画と思いがけない指摘に驚かされるテレビ批評をずっと楽しんできた。
彼女の死後、テレビに緊張感がない、彼女だったら今この人をどう彫るか、どうか書くか、というのは多くの人に共通する思いだろう。
 
丁度七回忌でもあり、多くのメディア関係者のビデオメッセージが流れていたが、皆そのとおりで、入場者みなさん、肯いていたようだ。
  
青森県棟方志功記念館の隣の小学校出身で、そこは版画教育が盛んだったそうだ。版画の中に志功、そして同じ青森の太宰治があって、オマージュであると同時に、何か共通するものを感じた。
 
ゴム印というのは、押したときの感じを想像するに、これがあの独特の張力をはらんだ線を出すのだろうか。
その一方で、スポーツなど連続的な動きを数枚に表現したものは、別のすっきりしたユーモアが、北斎漫画に通じる。
 
もちろん、リアルタイムで見てこそだが、ナンシーの特徴は、誰にもわかる対象の特徴と、ナンシーが見出したそういえばこの人にはこういうところがあるかもしれないと思わせるちょっとした描写の添加、その微妙なバランスが、見るものに声にでない笑いを引き起こす、そういったものだろう。
 
一方で、おそらくナンシーが単純に好きだったものを彫ったものは、単純にいい絵である。例えばジャイアント馬場、十六文の足がおしゃれだ。

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アフタースクール

2008-06-10 16:32:57 | 映画
「アフタースクール」(2008、102分)
監督・脚本:内田けんじ
大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、常盤貴子、田畑智子
 
封切り後しばらく経ったが、仕掛けの巧妙さなど評判で、観客の満足度はきわめて高いようだ。
期待からすると半分は充たされたが、という感じである。
 
中学校同窓という枠をうまく背景に使ったトリックはよくできているいるし、スリル・サスペンスにまぶしたコミカルな味つけもうまい。しかしこの種のものではもう少しブラックというかノワールというか、そういうところがなく、あまりにあっけらかんとしている。男三人にそろってそういう背景や動機があれば。
最後の種明かしは、もっとスピーディであってほしい。
 
大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人はぴったりである。しかし意外にも出演時間は少ない女優二人常盤貴子、田畑智子の存在感の方が目立った。特に常盤はさらに華が出てきた。

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