「岩佐又兵衛 浮世絵をつくった男の謎」(辻惟雄著、2008年、文春新書)
岩佐又兵衛(1578-1650)の名前は時々目にするけれども、そして浮世絵の祖などということもきくけれども、そのたびにきょとんとしてしまっていた。じっくり見たことがない上、話もよくきいていない、読んでいないせいではあるのだが。
今回まとめてこの本で多くの絵を見、解説や又兵衛の生涯を読むと、これは大変な絵師である。特に画中人物の思いをあらわす表情、所作など、他の人の絵にはなかなか見られないものだ。そして、戦い、男と女、そのほか人間のありなす様々な場面、このころからこんなにリアルでどぎついものがあったとは、驚きである。
その一方で多くの箇所に見られる派手なべた塗りは、その形とともにむしろデザインの領域を感じさせる。
著者も書いているように、又兵衛はこれらを自ら、そして工房の人を使いながら量産した。
その後の有名な浮世絵は、又兵衛よりは穏やかな表現になっていったと思われる。そして、誰でも感ずることだが、その後の日本の漫画の表現でまたもともとあった側面が長い時間ののち、表に出てきた、と考えられる。
そう、工房製作形態もあわせ、最近のスーパーフラットといわれるものに通じているのではないだろうか。
この20年くらいで若冲は一挙にスターになった。又兵衛は著者にいわせると何故か遅れているそうだが、いずれもっとよく目につくようになるだろう。
東京国立博物館で7月8日から開催される「対決-巨匠たちの日本美術」には入っていない。次回があれば、岩佐又兵衛vs菱川師宣 になるのだろうか。
この本が新書というのは不思議だが、図版はすべてカラーでこんなに多く鮮明、1200円というのは買い得だ。
「コロー 光と追憶の変奏曲」(国立西洋美術館、6月14日~8月31日)
カミーユ・コロー(Camille Corot 1796-1875)は、私、おそらく私たちの世代が中学から高校にかけて受けた美術教育で、フランス絵画の代表的なものの一つとして印象付けられた。特にクールベなどとともにそんなにどぎつくなくて、やはりヨーロッパというのは上質な文化を持っていると素直に思ったものである。
その後しばらくしてあまり積極的にこれらを見ない時期があったのは、もっと強い印象を必要とした若さのせいだったのかもしれない。
それはともかく、このようにコローをまとめて見る機会は世界的にも少ないそうで、これはいろんなことを考える上で、見ておいてよかったと思う。平日ながらシニアを中心に相当の入りで、やはり知名度は高いのだろう。
初期からしばらくの間に描かれたイタリアの風景、住み込んだパリ近郊の森、これらの風景画は確かに懐かしい。こうしたものを気持ちよく見たことへの懐かしさである。もっともこれは今は少し物足りない。絵のサイズが意外と小さいせいもあるが、やわらかいタッチの後期よりは集中力を感じさせる細かい描写も、これに影響をうけた先日の展覧会の河野通勢と比べても、河野の上京前3年間の方が、何か訴えかけるもの持っているようだ。
展覧会では、いくつかの絵に対して、それに影響を受けたと思われる後輩の有名画家の作品が並べられている。それらはコローよりは、いくつかの要素をより強く意識し、強調し、場合によっては抽象という領域にまで持っていっている。
こういうことがわかるのはありがたい。今になってみると、私からすれば、この中で、例えばシニャック、シスレー、ルノアールなどの方が、ああやはりこのあたりから絵画を好きになり、続けてみるようになったのだ、と気づかせるものが多い。
中でも異彩を放つのはルノアール、何故かこっちが歳をとるとともに、この画家の才は際立って見えてくる。
しかし考えてみればコローという画家が、こうして好きで描いて長い間多くの作品を誠実に生み出し、これだけの画家に影響を与えたのは大したものである。そして面白いもので、それだけでは終わらず、晩年のサイズが大きな風景画には、写生というよりそれまでの記憶から何かある理想を描いた、描きたいものを描いたと思わせるものがあり、次の時代に通じていく力も感じることが出来た。
後期から出てくる人物画の中で完成度の高いものは少ないが、有名な「真珠の女」(展覧会ポスター)と「青い服の婦人」は、やはり見ごたえがあった。