メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

福澤諭吉 展

2009-02-24 22:09:33 | 雑・一般
未来をひらく 福澤諭吉 展」(東京国立博物館 表慶館、2009年1月10日~3月8日)
 
福澤諭吉とはいかなる人か、著書、自筆原稿、書簡、遺墨、遺品、写真などから構成されている。慶應義塾創立150年記念行事だそうだ。
この数年、仕事で多少関係があったとはいえ、慶應義塾に在学したこともなく、家族に卒業生、関係者もいない。それでも、こうして1時間ほどひととおり見ると、福澤とはいかなる人か、その時代、その影響、というものがひととおりわかるよう、よくできている。これもアーカイブとその適切な展示の効用だろう。
 
この展示は、まったく偶然にも、最近読んだ2冊の(この2冊が続いたのも偶然)日本語に関する本、「白川静 漢字の世界観」(松岡正剛)、「日本語が亡びるとき」(水村美苗)につながっている。
 
福澤は、最初、ペリー来航のころオランダ語習得に熱心で緒方洪庵のところにいったら、もうオランダ語どころでなく英語でないとだめということがわかり、がっかりする間もなく寝る間を惜しんで猛勉強したという話が、後者の本に出ている。そして、翻訳と近代化という流れで大きな役割を果たした。
 
「版権」をはじめ、福澤の翻訳による造語はかなりあるようだ。
 
写真の数も多い。1万円札に使われているのは、本人が一番気に入っているものとか。

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ベートーヴェンの第5「運命」(カラヤン・イン・モスクワ)

2009-02-22 19:16:16 | 音楽一般
ベートーヴェン
序曲「コリオラン」、交響曲第5番「運命」、交響曲第6番「田園」
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー
1969年5月28日、モスクワ音楽院大ホール (メロディア)
 
こういう録音が聴けるのはうれしい。特に第5は久しぶりにわくわくする演奏を聴いた。
 
そもそも第5あたりになると、ものごころついたころは、誰の演奏をどういう装置できいても(最初はフルトヴェングラー、それともカラヤン来日時のNHK放送?)、その本質的な力は感じ取れたが、だんだんこっちもすれっからしになってきて、この曲を聴く機会も少なくなり、また聴いてもあまり集中できなかった。
 
この第5はまずテンポが早い。あまたの第5と比べても、トスカニーニと並んで早いと言われてきたカラヤンのなかでも早いのではないだろうか。ベルリンフィルとの最初の全集中のもの(1962年録音)と比べてもこれは早い。第2楽章はかなり短く、その他はほぼ同じではあるのだがずいぶん早く聞こえる。
 
これは、ライヴの勢い、たぶんデッドなホールと音のとり方(録音自体よいとはいえない)など、いろいろあるのだろう。そしてモスクワに乗り込んで、この日から3日連続公演をやるというテンションの高さにもよると考えられる。
 
次の日が、バッハのブランデンブルグ協奏曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第10番、その次の日はモーツアルトのディヴェルティメント第17番とリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」。ドイツ・オーストリアでかためて、ロシア・ソ連は得意中の得意チャイコフスキーをはずしてショスタコーヴィチのそれも第5なんかでなく第10番というのは、考えようによってはずいぶん意味のあるものだ。特にベートーヴェンとショスタコーヴィチは、モスクワの聴衆、そして実際に聴いたショスタコーヴィチ自身に力を与えたことだろう。
 
実は翌年(1970年)来日時に、5月22日、日比谷公会堂で同じコンビによる第2と第5を聴いている。そのときも、日比谷のデッドなアコースティックも手伝って全集盤と比べるとずいぶん乾いた音で、しかも低弦奏者が必死に弾いていたのが印象的だった。それでもモスクワほどの緊張感ではなかった。
 
この曲は、細部を仕上げるよりは、こういう演奏のほうが聴きがいがあるのかもしれない。とはいっても、オーケストラの集中力は大変なもので乱れはない。60年代の全集に書かれたシュトゥッケンシュミットの解説で「第3」、「第7」、「第9」は彼の(カラヤンの)偉大な業績に属するとあり、第9については後になってだが、これには納得していて、第5はどうもと思っていたのだが、今回の録音を聴くと、ライヴとスタジオどちらがとは一概にいえないが、そして一般論として私はスタジオ派だが、面白いものだ。
 
カラヤンもこれからライヴ録音が増えてくると、評価は変わってくるかもしれない。そもそもカラヤンの第5ライヴ録音というのは珍しいのではないか。
 
第6番の全集盤録音は、田園についたときの乗り物が馬車でなくてスポーツカーのようだと評されたものだが、今回の録音では爽快感はそのままに、嵐の場面などの凄み、立体感は、より大きくなっている。

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さらば愛しき女よ

2009-02-19 12:07:30 | 映画
「さらば愛しき女よ」 (Farewell, My Lovely 、1975米、95分)
監督:ディック・リチャーズ、脚本:デヴィッド・Z・グッドマン、原作:レイモンド・チャンドラー
ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランブリング、ジャック・オハローラン、ハリー・ディーン・スタントン、シルヴィア・マイルズ
 
チャンドラーのハード・ボイルドに持っているイメージにぴったりという感じはある。もっともチャンドラーについては、あまりよく読んだ記憶はなく、この作品についても昔読んだとは思うけれど(確かハヤカワ文庫で持ってはいた)、最後まで読み通したかどうかはわからない。
 
この映画は、主人公フィリップ・マーロウの独白など、うまく雰囲気を出している。いくつかのせりふからは、第2次世界大戦が始まるころのロサンゼルスのダウンタウンが舞台らしい。最近いくつかの映画で見たこの地の腐敗状況から、簡単に人が殺され、主人公の探偵の振る舞いも手荒なことが、話としては理解できる。
 
マーロウのプリンシプルは、今となってはそうこだわることかなとも思えるけれど、映画としてはよくわかるようになっている。
ただ筋としては、省略もあるのか、うっかり見逃したか、わかりにくところもある。
 
ロバート・ミッチャムは名前は別として「眼下の敵」(1957)のイメージが強く、この役にはどうなのかと思っていたが、なかなかはまっている。もう少し細めで敏捷なほうがいいのだが、アクション全体がシンプルなためかなんとかなっている。
 
大男のジャック・オハローランは、最初は何この人と思い、すぐいなくなるのかとおもいきや、出番は続いたが、そのうち納得してきて、不思議な配役。
 
そしてシャーロット・ランブリングが愛しき女として出ていることは知らなかった。美しさ、強さ、冷たさ、すべて兼ね備えぴったりといえばそうなのだが、この話の中でもう少し贅肉がついた感がほしかった。すでに「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)、そして何より「愛の嵐」(1973)には出た後なのだが、この映画はこの映画で意識的にもっと大人っぽくしたのか、それが行き過ぎて役にマッチしていない。
 
ジョー・ディマジオの連続試合ヒット記録を中心にした、キオスクの売り子とのやりとりがいい。
 
シルヴェスター・スタローンがちょっとした役で出ていて、すぐにわかる。
 
このころのアメリカ映画、最近のものよりは倫理規定がゆるいようだ。

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Mr. ビーン カンヌで大迷惑?!

2009-02-15 18:32:18 | 映画
「Mr. ビーン カンヌで大迷惑?!」 (MR. Bean's Holiday 、2007英、89分)
監督:スティーヴ・ベンデラック、製作総指揮:リチャード・カーティス、サイモン・マクバーニー、キャラクター創造:ローワン・アトキンソン、脚本:ロビン・ドリスコル、ハーミッシュ・マッコール、音楽:ハワード・マッコール
ローワン・アトキンソン、エマ・ドゥ・コーヌ、ウィレム・デフォー、カレル・ローデン、マックス・ボルドリー、ジャン・ロシュフォール
 
ビーンについては、よく見ているようで、どんな形で見たかはあんまり記憶にない。TVで見ていることは確かだが、TVのシリーズだったのか、映画のビデオだったのか。
調べてみると、映画はそんなになく、反対にアトキンソンはビーン以外の有名な映画にいくつか出ている。もちろん「ラブ・アクチュアリー」(2003)は印象的だ。
さてこの映画、抽選で当たった旅行券でビーンはTGVでカンヌに行くことにする。副賞のビデオカメラを携えて。このビデオカメラが全編通じて意味を持っており、カンヌ、映画とのつながりもうまく出来ている。
 
こうしてみると、ビーンものはとにかくコメディアンとして演技の中断がない。つまり見ていて変な人でなくなる瞬間がない。映画でも場面転換で列車の全景が出るときなど以外は、この変な人を見ている、ということになる。こういう人の映画は、いまどきは珍しいのではないか。
それに、他の俳優たちは誰一人コメディをやってない。
 
そうして、ビーンはいつもせこくて自分勝手、根性悪く、一つのことしか考えられずにいつも失敗するがこの連鎖がとまらない。だからこの人を見ていて好きになることはなく、場面の中でも嫌われっぱなしである。
そういう映画を、にこにこ笑ってみていられるというのはどういうことか、アトキンソンがアトキンソンたる所以だ。
 
それでも終盤、いよいよカンヌというあたりから、映画ではあるし、見終わって少しはいい気分に、というしかけが始まる。
それは、ビーンと長く仕事をやってきたリチャード・カーチス(製作総指揮)得意の、多くの出演者、そのエピソードを束ね、関係付け、「ラブ・アクチュアリー」(2003)のように、大きな渦巻きの大団円へ持っていくプロセスだ。
 
他の俳優では、パリ・リヨン駅レストラン給仕のジャン・ロシュフォール、道中一緒になってしまう子供マックス・ボルドリー、女優の卵役エマ・ドゥ・コーヌは、画面の中でぴったりだし、カンヌで作品上映するウィレム・デフォーは最初どうしてこの人という感を持たせ最後はあっといわせるいい配役だった。

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日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で」 (水村美苗)

2009-02-14 18:23:59 | 本と雑誌
「日本語が亡びるとき  英語の世紀の中で」 (水村美苗) (筑摩書房 2008年10月)
 
日本語が亡びるという表現、そしてそれからの連想は、これまで多くの場合、日本語における乱れであり、表現の幼稚化など、現在使われている日本語に対する批判に関するものであった。
 
ところがこの本はちがう。副題にもあるように世界の力関係のなかで、日本語はどうなるのか、また何か出来ることは、という視点から書かれている。
 
まず、今それなりに日本語でこのように社会が動き生活できている、また現代に近い表記で近代百何年の間に優れた文学もこんなに生まれてきたが、それは歴史上の偶然、幸運に負うことが多い、というちょっと驚く指摘から始まる。
 
そう言われてみれば、ペリー来航まで開国を遅れさせた地理的、地勢的な位置、その直後アメリカは南北戦争でそれどころではなくなり、そして普仏戦争、そしてクリミア戦争などにより欧州列強も余裕がなくなった、その間の日本のすばやい対応などから、植民地にならなかった。それは大きい。
 
他の事例を見れば、植民地になった後、日本語は公用語の一つで生き残っても、経済、学問その他、エリートはその支配する国の言語を会得しようとするだろうし、使われるのもその言語だろう。
 
著者の定義では、「国語」とは、もとは「現地語」でしかなかった言葉が、翻訳という行為を通じ、「普遍語」(複数の国で使われる書き言葉としてのステイタスを持つ)と同じレベルで機能するようになったもの、である。
 
たしかに、江戸時代まででも大衆的な文学などは明治以降のものに通じるところはあるけれども、学問、行政の文書は漢語の世界だ。それが現在のように、学問、行政、文学、日常会話まで、ある程度まとまったものになったのは、著者のいうように、明治から幾多の努力が費やされた翻訳の結果なのだろう。本来なかった言葉が特定の欧州語に当てられた言葉であるということは良よくきくし、著名な人が作った言葉、というのも多い。
 
日本語がかくもはやばやと無事に国語になったのは、著者の整理によると、
「現地語」で書かれたものの地位が高く、「現地語」が成熟していたこと
「印刷資本主義」がすでにあったこと
日本が西洋列強の植民地にならずにすんだこと
である。 なるほど、納得。
 
また、西洋の主要国で、国語で書かれた小説の隆盛は、やはり18世紀からであり、主要作品と明治時代の近代小説、そのいくつかの傑作を挙げてみれば、こんなに早くその状態になった他の国はない。それも驚くべきことだ。
 
ただ、文明開化のときでさえ、政府には英語の採用を唱えたひともおり、その後エスペラントにすべしというひとがいたり、戦後も志賀直哉が日本はフランス語にすべしと言ったり、また米国の圧力もかなりあり漢字の制限などもいまだに続いている。文部省は明治以来、日本語の弱体化を図っていると言われれば、そうだと考える。
 
そして決定的なのがインターネットである。普遍語としての英語はますます強くなるだろう。
そうなると、世界の歴史を見ても、今後どれだけ日本語を国語として維持出来るか、わからない。それは説得的である。
 
それでは、どうすればという問いに著者は、
国際間の競争に勝たなければならない政治、経済、およびそれらにかかわる活動、英語で論文を書き発表議論すること、それらを担う人たちとしてはバイリンガルに近い能力を前提として、育成する。それをエリート養成、差別といわれてもかまわない。
ただし、そうはいっても義務教育では今より「国語」に重点を置き、時間数を減らすなどしない。
ことを提案している。
 
これも納得できるが、総中流化と同じように、幼児のころからこのエリートが身につけるべき能力に関して時間を割かないと将来はないのでは、と不安を持つ親は減らないだろう。著者はこれまでにもあったそれに似た傾向を批判しているが、それが今の日本社会である。簡単に変わるとは思えない。その結果、日本語もろくに出来ず、低いレベルの英語のおしゃべりしか出来ない若者を増産するだろう。
 
日本語の魅力、英語なんか使うより、観光旅行以外では100%日本語で人もうらやむようなこと、そういうものが出てこない限り、変わらないだろう。
 
それは、農業の再生でもいいし、また日本のサブカルチャーをさらに振興することでもいいし、あまりアイデアはわかないが。
 
著者の言うことは理解できるし、書く以上はこのような悲観的極論になってしまっても悪いとはいえない。
だが、日本というところが、まだこれだけ人口があり、知的レベルがかなり高い国内市場が、これだけある。その中で、もう少しなりゆきを見てもいいのではないか。
 
コンピュータの世界で、日本語が扱えるようになり、入出力がかくも簡単に高速になった、ということだって、日本語が亡びるスピードをかなり遅くしている。
 
それでも、漢字を減らさない、むしろ常用漢字は増やしていく(ワープロがそれをサポートできるし)、もう少し前の時代の近代文学が読まれるようにする、これらは教育者、マスコミ・ライターたち、が心すべきことである。
 
偶然にも、松岡正剛「白川静 漢字の世界観」を読んだところであり、水村も書いている「漢字かなまじり文」の特異性と素晴らしさ、はよく理解できた。松岡の本では、白川は植民地云々に触れていないが、漢字の導入と知識人による翻訳に関することは、1000年以上前にあったことで、そのプロセスは白川によって説明されており、白川の「国字」からは、水村の懸念に対し多少は有効打になるポテンシャルも感じられる。
二つの本を続けて読んだことは幸運だった。
 
著者は私より数年若く、外国経験も多い。そのいくつかを書いた前半も非常に面白い。以前、朝日新聞で故 辻邦生と往復書簡を連載していたころは、近寄りがたいバイリンガルと思っていたが、それほどでもない。

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