メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2025年1月)

2025-01-30 14:55:03 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2025年1月

年少
ぎゅぎゅぎゅー(駒形克己)
わたしの(三浦太郎)
ぶーぶーぶー(こかぜさち 文 わきさかかつじ 絵)
年中
でんしゃでいこう(間瀬なおかた)
いらっしゃい(せな けいこ)
もりのおふろ(西村敏雄)
年長
ゆきがふる(蜂飼耳 文 牧野千穂 絵)
でんしゃでいこう
もりのおふろ

ほぼ昨年と同じプログラム
年少では色とたべもののひきつけが、各人で違うが関心を持ってくれた。
でんしゃでいこう、年中もよくみてくれたが、年長はこれが反対方向にも読めることを知っている子が何人かいたので、はじめてだったが普通は到着駅の海辺の駅(季節は春)から山の中の雪のシーンへ、その駅へとやってみたが、どうも気分がでない、こどもたちもやっぱりいつもの順、流れがいいね、となった。これで納得。
 
もりのおふろはヘタウマ風というか、アイデアの勝ちというか、いつもうけるのは不思議。
ゆきがふる、今回は落ち着いて、じっくり受け取ってくれたようだ、絵のすばらしさも。


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チェーホフ「かわいい女・犬を連れた奥さん」

2025-01-17 17:04:00 | 本と雑誌
チェーホフ: かわいい女・犬を連れた奥さん
    小笠原豊樹 訳  新潮文庫
このところチェーホフを集中的に読んでいて、多くは再読なのだが、ここらで代表作をというわけになった。七篇入っていていずれも晩年の作であるようで、「中二階のある家」も入っている。

どれも男と女の、なかなか思うようにいかない成り行きなのだが、死という不幸はあるにしても決定的に自滅してしまうところはない。
これは「反抗」という観点からシェストフやカミュとともに論じられるところかと思う。
 
「犬を連れた奥さん」はなんとも怖い話だと今回読んでおもったが。
「谷間」はかなり社会の底辺を描き、「いいなずけ」は典型的な二つのタイプの男性のあいだでどうにかなりそうなのだが、そこをドラマとして無理しないところである意味優れた作品になっている。
 
このなかでは「中二階のある家」がいい。主人公の画家を姉妹一家とのかかかわり、姉は辟易すてしまうの啓蒙主義者で、妹は極端なところはなく性格はよさそうだがまだ幼い。彼女を忘れられない、しかしどうにも出来なかった、よくあることだが。
中二階という表現が彼女の、彼女に対する想いの象徴なのだろうか。

訳は小笠原豊樹、なかなかいいと思ったらこの人岩田宏の名前で私はあまり読んだ記憶はないが有名な現代詩人でもあった。

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絵本読み聞かせ(2024年12月 クリスマス会)

2024-12-26 16:27:36 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年12月 クリスマス会

今回も例年のごとくサンタクロース登場の前座である。

さんかくサンタ(tupera tupera)
サンタさんのおとしもの(三浦太郎)
てぶくろ(エフゲニ―・ラチョフ うちだりさこ訳)
しろくまちゃんのほっとけーき(わかやまけん)
 これは時間があまったため、おまけ
 
案外クリスマスらしくやるのは難しい。まあ気持ちよく待っててもらうことだろうか。
サンタさんのおとしものは、絵は素晴らしいがもう少し大判があるとよい。それと語りの部分がもう少し滑らかなら。

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ドストエフスキー「賭博者」

2024-12-12 16:51:49 | 本と雑誌
ドストエフスキー: 賭博者
  亀山郁夫 訳  光文社古典新訳文庫
ドストエフスキー (1821-1881) の主要作品はもうかなり前つまり20代に読みずっしりとしたものが残った。ただその後は何も読んでおらず、数年前だったか「カラマーゾフの兄弟」の映画だったか何回かのTVドラマだったかを見ただけである。
 
それがこの数年、ロシア文学を続けて読んでいるうちプーシキンあたりからギャンブルがよく出てきて、どうもロシアにおける賭博の根づき方は本質的なものではないか、と思うようになった。
 
この「賭博者」は1866年の作、他の作品に比べると短いがそれでも300頁はある。
ある将軍のところで家庭教師を務めているアレクセイが主人公、将軍の義理の娘に恋している。将軍の伯母が死にそうだといわれていてその遺産がどうなるかということと、その金と娘をめぐる何人かのいくつかの国籍の男女、かれらがドイツの架空の町の賭博場でギャンブル、そして男女間のあてつけ、それらが続いていく。
 
しばらくはアレクセイの語り(この小説は彼の一人称)の内容がよくわからないが、死にそうといわれていた伯母が突然やってきて、素人なのだが賭場で無謀な賭けを続け莫大な儲けになりだすところからようやくこの小説の世界に入っていけるようになった。
 
それにしても賭博というものが人間にとって本質的なものなのか、人によるのか、ドストエフスキーの他の作品に描かれる人間の欲、悪、政治、宗教、人間の内面の本質、苦悩などなど、に加えてというかそれらをつらぬきまた底に存在して、作者にとっては書かなければならないものだったのだろう。人間が生きていくということはこういうことと説得されそうになることもある。
 
読んでいてわかりにくいところはかなりあって、それが訳のせいなのか、もともと今の日本人にはわかりにくいものなのか、ちょっと苦労した。ただそれとは別にこの本の校正はレベルが低いと思う。読んでいて、日本語の文章でこれはないだろうというところがいくつかあった。


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絵本読み聞かせ(2024年11月)

2024-11-28 14:43:14 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年11月
 
年少
だるまさんと(かがくい ひろし)
いやだいやだ(せな けいこ)
でんしゃがきました(三浦太郎)
年中
だるまさんと
でんしゃがきました
ぐりとぐら(中川李枝子 作 大村百合子 絵)
年長
バスがきた(五味太郎)
ぐりとぐら
すてきな三にんぐみ(トミー・アンゲラー 作 今江祥智 訳)
 
「だるまさんと」はシリーズ三作の最後で作者としてはちょっとアドリブ気味だが、年少の子供たちにもフィットしているようだし、すでに見ている子は先だって反応したりする。そこまでとらえているこの本の威力に驚く。それは「いやだいやだ」も同様。
 
「でんしゃがきました」はちょっと盛りすぎで、こういうところで使うにはもう少しコンパクトにしてほしいところである。食べ物の絵のアピール度は高い。
 
「ぐりとぐら」、提供する大人の評価ほど子供たちは面白がらなくなってきているように見受けられる。それでもこういうところにこれをいれておくのは悪くない。
 
「バスがきた」は二回目、今回はかなり反応がいい、今の子たち五味太郎がわかってきたか?(変な感想だが)
「すてきな三にんぐみ」、今のうるさい教育界からすると問題ある箇所がいくつかある(私はこのくらいでもいいと考えている)が、子供たちはすんなりうけとっていてこの絵本好きである。絵と色がいいからもあるだろう。
 
ところで前回に書いたせな けいこに続き、今回の中川李枝子、先月「もこもこもこ」の谷川俊太郎が亡くなった。我が国絵本の世界、もうかなり長く続いていてそういう時期になったのかと感慨ふかい。

 

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