生誕150年 横山大観展
東京国立近代美術館 2018年4月13日(金)- 5月27日(日)
2008年の没後50年回顧展が10年前、そのあと10年でまた大規模な回顧展を見ることができたのは大観の力ではあるが、長生きしたとうこともあるのだろう。これだけまとめて見るのは最後かもしれない。
横山大観(1868-1958)はその腕と題材・技法の引き出しの豊富さで、圧倒される一方、それで疲れることはなく、次々と期待しながらも静かに見ることができる。日本画の中でもフラットというか、観易いことは確かである。西洋絵画の立体性は表現において有効なところもあるが、見る者にその空間を認識し馴染むまでの時間を強いるところがある。もちろんそれは善し悪しだが、こうして大観を次から次への見ていると、やはりこのフラットというのは一つの利点、美点である。
一方、細かい技法や引き出しという点では、大観は菱田春草と世界を巡りその時の蓄積は大きかったらしいが、短時間に多くをものにする能力に長けていたようだ。
多くの作品は嘗て見たことがあるものだが、印象が随分違うものもあった。たとえば有名な「生々流転」、この全長40メートルの水墨画絵巻はかなり以前は、この館の常設展で全部を見る機会が何度もあったが、その後は全部一度にということは確かほとんどなかったように思う。これこんなに縦が長かったかな、そして表現は最後の渦巻はともかくこんなにダイナミックだったかな、と思った。もちろんそれぞれの時期で感銘は受けたのだが、もしかするとこちらの年齢のせいかもしれない。
大観は日本画の重鎮として、大戦時の立ち位置など、戦後いろいろ言われることもあったと想像するが、それでも「ある日の太平洋」(1952)は、よく描いたというしかない。この人のどの富士山もすてきだけれど、この力感、生命力には感動を覚える。
面白いのは「彗星」(1912年)、これは1910年に接近したハレー彗星を水墨画にしたもので、こういう風に見えたんだろうなと想像すると楽しくなる。感謝である。
また、ナイヤガラ瀑布と万里の長城を並べて描いた大きな屏風も、大胆というか、遊び心も感じられる。ところで、大観は明治元年の生まれ、夏目漱石はその前年の生まれ(漱石の年齢は明治と同じと何故か覚えている)、そう考えると時代感覚として興味深い。二人の間にはある程度交流があったようだ。
東京国立近代美術館 2018年4月13日(金)- 5月27日(日)
2008年の没後50年回顧展が10年前、そのあと10年でまた大規模な回顧展を見ることができたのは大観の力ではあるが、長生きしたとうこともあるのだろう。これだけまとめて見るのは最後かもしれない。
横山大観(1868-1958)はその腕と題材・技法の引き出しの豊富さで、圧倒される一方、それで疲れることはなく、次々と期待しながらも静かに見ることができる。日本画の中でもフラットというか、観易いことは確かである。西洋絵画の立体性は表現において有効なところもあるが、見る者にその空間を認識し馴染むまでの時間を強いるところがある。もちろんそれは善し悪しだが、こうして大観を次から次への見ていると、やはりこのフラットというのは一つの利点、美点である。
一方、細かい技法や引き出しという点では、大観は菱田春草と世界を巡りその時の蓄積は大きかったらしいが、短時間に多くをものにする能力に長けていたようだ。
多くの作品は嘗て見たことがあるものだが、印象が随分違うものもあった。たとえば有名な「生々流転」、この全長40メートルの水墨画絵巻はかなり以前は、この館の常設展で全部を見る機会が何度もあったが、その後は全部一度にということは確かほとんどなかったように思う。これこんなに縦が長かったかな、そして表現は最後の渦巻はともかくこんなにダイナミックだったかな、と思った。もちろんそれぞれの時期で感銘は受けたのだが、もしかするとこちらの年齢のせいかもしれない。
大観は日本画の重鎮として、大戦時の立ち位置など、戦後いろいろ言われることもあったと想像するが、それでも「ある日の太平洋」(1952)は、よく描いたというしかない。この人のどの富士山もすてきだけれど、この力感、生命力には感動を覚える。
面白いのは「彗星」(1912年)、これは1910年に接近したハレー彗星を水墨画にしたもので、こういう風に見えたんだろうなと想像すると楽しくなる。感謝である。
また、ナイヤガラ瀑布と万里の長城を並べて描いた大きな屏風も、大胆というか、遊び心も感じられる。ところで、大観は明治元年の生まれ、夏目漱石はその前年の生まれ(漱石の年齢は明治と同じと何故か覚えている)、そう考えると時代感覚として興味深い。二人の間にはある程度交流があったようだ。