メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

横山大観展(生誕150年)

2018-04-28 17:28:27 | 美術
生誕150年 横山大観展
東京国立近代美術館 2018年4月13日(金)- 5月27日(日)
2008年の没後50年回顧展が10年前、そのあと10年でまた大規模な回顧展を見ることができたのは大観の力ではあるが、長生きしたとうこともあるのだろう。これだけまとめて見るのは最後かもしれない。
 
横山大観(1868-1958)はその腕と題材・技法の引き出しの豊富さで、圧倒される一方、それで疲れることはなく、次々と期待しながらも静かに見ることができる。日本画の中でもフラットというか、観易いことは確かである。西洋絵画の立体性は表現において有効なところもあるが、見る者にその空間を認識し馴染むまでの時間を強いるところがある。もちろんそれは善し悪しだが、こうして大観を次から次への見ていると、やはりこのフラットというのは一つの利点、美点である。
 
一方、細かい技法や引き出しという点では、大観は菱田春草と世界を巡りその時の蓄積は大きかったらしいが、短時間に多くをものにする能力に長けていたようだ。
 
多くの作品は嘗て見たことがあるものだが、印象が随分違うものもあった。たとえば有名な「生々流転」、この全長40メートルの水墨画絵巻はかなり以前は、この館の常設展で全部を見る機会が何度もあったが、その後は全部一度にということは確かほとんどなかったように思う。これこんなに縦が長かったかな、そして表現は最後の渦巻はともかくこんなにダイナミックだったかな、と思った。もちろんそれぞれの時期で感銘は受けたのだが、もしかするとこちらの年齢のせいかもしれない。
 
大観は日本画の重鎮として、大戦時の立ち位置など、戦後いろいろ言われることもあったと想像するが、それでも「ある日の太平洋」(1952)は、よく描いたというしかない。この人のどの富士山もすてきだけれど、この力感、生命力には感動を覚える。
面白いのは「彗星」(1912年)、これは1910年に接近したハレー彗星を水墨画にしたもので、こういう風に見えたんだろうなと想像すると楽しくなる。感謝である。
 
また、ナイヤガラ瀑布と万里の長城を並べて描いた大きな屏風も、大胆というか、遊び心も感じられる。ところで、大観は明治元年の生まれ、夏目漱石はその前年の生まれ(漱石の年齢は明治と同じと何故か覚えている)、そう考えると時代感覚として興味深い。二人の間にはある程度交流があったようだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・オペラハウス1966」~ウェスト・サイド狂騒曲

2018-04-21 17:22:19 | 映画
「ザ・オペラハウス1966」~ウェスト・サイド狂騒曲 (THE OPERA HOUSE、2017米、110分)
監督:スーザン・フロムキー
このブログでもそこで上演されたオペラを取り上げているニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、それが建てなおされオープンしたというニュースは若い時にきいた覚えがある。そのプロジェクトを残っている映像と存命の関係者の話をもとに綴ったドキュメンタリー映画である。
 
1883年ブロードウェイに建設された旧歌劇場は、多くのファンと関係者に愛されたが、舞台がよく見えない席がかなりあったり、舞台裏が極めて狭く、また稽古場がお粗末など、創り演ずる側にとって不満が多いものであった。そこで上演を継続したままということになれば、別の場所ということになる。移転先は当時貧困層の地域ウェスト・サイドであった。
 
そこにメトロポリタン(MET)ばかりでなく、カーネギー・ホールを使っていたニューヨーク・フィルハーモニーのホール、そしてライブラリーやミュージアムなど、一大カルチャーセンターを作るという巨大プロジェクトになり、予算、立ち退き、建築デザインの調整など、あとから見ればよくできたというものだったようだ。こういうプロジェクトというのはそういうものだろう。
 
お金の面ではロックフェラーの力は絶大だったようだ。また建築家ウォレス・ハリソンのデザインと主に資金面からの調整の顛末はこの映画の苦いハイライトともいえる。かなり予算を削り、派手なデザインと規模は一見地味な今のものとなった。最初に写真で見た時はこんなものかと思ったが、時間が経ってみればこれでよかったのかとも思う。WOWOWでたまに見ることができる上演の裏側など、よくこれだけのスペースと機構をそなえたと感じるが、それもこのときの解なのだろう。
 
当時の総裁は絶対的な権力者ルドルフ・ビング、この人はすべてのオペラをよく理解していたようだが、その独裁ぶりは建築家ハリソンのそれとともに、嫌われることも多かったようだ。ただそれだからこそプロジェクトは完成したともいえる。
 
語り部はそのビングに見出されたプリマのレオンティン・プライス(1927―)、90歳にしてこの明晰な語りは驚きである。彼女の他に、残っている古い映像から伝説の歌手たちが登場するのは興味深いし、彼女も興奮して言及していたフランコ・コレルリの二枚目ぶりと美声はやはりMET向きとはいえ、抜群だったようだ。
 
映像で面白いのは、移転の鍬入れ式で、当時の大統領アイゼンハワーがこれからのアメリカは単なる力と繁栄ばかりでなく、その文化も世界で誇れるものにと演説する傍らで、ニューヨーク・フィルによるコープランドの曲と「星条旗よ永遠なれ」を指揮していたのは、まあ本当に若いレナード・バーンスタインだった。そういえば同様な意味でアイゼンハワーが喜んだのがヴァン・クライバーンによるチャイコフスキー・コンクール(ピアノ)の優勝で、紙吹雪が舞うマンハッタンをクライバーンがパレードしている写真を覚えている。
 
そして1966年9月16日のオープニングで、このシーズン一度にいくつもの新演出(5?)を計画したせいもあり、初日が間に合うかはどうか危機的な情況、騒ぎが記録されていて、いまだからだが、たいそう面白い。
 
目玉はバーバーによる新作「アンソニーとクレオパトラ」で、万能の天才と言われた演出家ゼッフィレルリが周りをきりきり舞いさせながらなんとか間に合わせる。クレオパトラはプライスだからこの時の話は真実味がある。
プライスについてはアメリカ臭さのようなものは当時感じたが、それでも張りのある声と品の良さからその名声は理解できた。またヨーロッパでの評価にはカラヤンによる抜擢が効いたと思う。今でもカラヤン・ウィーンフィルによるクリスマス・ソング・アルバムを時々聴いている。
 
それにしても若いゼッフィレルリのハンサムなこと。そしてまた指揮に抜擢されたのが若いトマス・シッパース(1930-1977)でこれがまた長身でゼッフィレルリにおとらずハンサム、今から思えば新METは力がみなぎっていたわけである。
 
シッパースはオペラではかなり活躍しており、特に現役の作者メノッティには評価され初演など任されていたようだ。当時オペラはなかなか聴けなかったが、たまたま彼が録れたシベリウスの交響曲第二番(ニューヨーク・フィル)は同曲の名演の一つであり、今でもLPレコードを持っている。47歳で早世しなければもっといろいろ残しただろう。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柚木麻子 「ナイルパーチの女子会」

2018-04-10 16:50:33 | 本と雑誌
ナイルパーチの女子会
柚木麻子 著 文春文庫
 
ネット社会ならではの人と人のつながり、そこから生じる深刻な問題、苦悩を今ならではのスピード感と風俗描写で、普遍的なテーマに結びつく作品となっている。
 
三十歳の二人の女性、一人は結婚しているが今は無職で手間をかけないで楽して済ませるぐうたらな日常をブログにし、かなりのファンを持っている。もう一人は一流商社に勤めていて、自身の日常と相反する前者のブログに共感し、彼女とつながりをつくり会うことになる。会ってみれば住所は同じ世田谷区で近いことがわかる。
 
ところが、よく会うようになって理解と共感が深まるかのように見えるのだが、そう簡単にはいかず、むしろ違和感も出てくる。そして二人にはそれぞれ家族や同じ社内の人間との間に問題を抱えており、それらがネットがあるからこその二人のつながり、世間とのつながりからおかしくなってくる。特に商社員の女性の生活の変化、顛末は強烈で、本書の中でもなんと東電OL事件と比較されたりする。
 
これではどうにもならない悲劇的な結末にならざるを得ないか、と思ったが、それをハッピーエンドではないにしろ、人間はこうして生きていく、そうあるしかないのだ、というところに持っていったのは著者の力だろうか。
 
多くの人は、家族に、友人に、また新たに現れる人に、理解されたい、その人たちと共感したいと願う。ましてネットワークというこれまでにない強力な手段を手にすれば、気がつかないうちに願いは強烈になる。そこに亀裂が生じた時、どうなるか。そしてそれはネットワークという手段がなかった時代だって実はあった問題なのだ。
 
それに気づいて、今ぶつかる小さなことを一つ一つこなしていく、生きるということはそういうことだ、と短い言葉で言ってもなかなかしっくりこないが、少し納得できるところまで連れて行くのが、このような作品だろうか。
 
章・節が変わると二人それぞれの話が交代し、互いの攻守も一方的でなく入れ替わることが多いのも読ませ方としてはいい。
ただ、これから期待できる書き手にあえて言えば、二人で会話しているとき、あれどちらの発言だっけということがよくあった。表現そのものより、文章のリズムではないかと思われる。
 
さてナイルパーチとは商社の女性がその輸入を扱っている大きな魚で、メロのように日本に輸入してスズキなど白身魚の代替になることもある。アフリカのヴィクトリア湖に放たれてから他の魚を食い荒らし生態系を変えてしまった。生態系の破壊、代替ということから、なにやらこの物語で作者にも読者にも連想がひろがる。
 
この作者は知らなかったし、ましてこの題名、どうして読む気になったかといえば、文庫の広告で山本周五郎賞とあり、題名とは対照的な面があるのかと思ったのと、重松清の帯あたり。高校生直木賞という知らなかった賞があって、それも受賞しているらしい。これを選んだ高校生、なかなかだ。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイスショー

2018-04-07 18:10:05 | スポーツ
フィギャースケーターによるアイスショーにはじめてでかけた。
STARS ON UCE JAPAN TOUR 2018 4月6日(金)横浜アリーナ
たまたまタイミングよくチケットが買えたもの。
 
競技会ではなくそのあとのエキジビションに近いが、今回は先日のオリンピックの各種目で羽生を除くほぼすべてのメダリストと日本選手権上位というメンバーだから、かなり豪華である。
競技のように点数をあらそうのでないから、ジャンプの回数、回転数もひかえめだが、リラックスした演技を楽しめた。また実際にリンク全体が常に見てる状態だと、スケーターたちがいかに全体をうまく使っているか、そのスピード感が、驚きであった。
 
お目当てのロシア二人、メドベージェワとザギトワ、彼女たちが出るから行ったのだが、やはり格別。そして何組かのペア、アイスダンスは技と迫力がやはり違う。そしてフェルナンデスのエンターテイナーぶり。
 
また宮原はTVで見るとやはり小さいかなと思うのだが、実際はリンクの使い方、スピードと、スケール感に優れ、あの順位も納得できると思った。
 
面白かったのは、この回だけらしいが、スピードのメダリスト小平と高木(妹)が出てきて、トークとフィギャー数人と交流で、スタートダッシュとパシュートを教えるとという、いいおまけがあったこと。氷上競技全体のの振興を意図してのことだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする