「偉大なるしゅららぼん 」 万城目 学 (集英社)
今回はパワースポットとしての琵琶湖を舞台にした物語である。
京都の「鴨川ホルモー」、奈良の「鹿男あおによし」、大阪の「プリンセス・トヨトミ」(映画とちがい原作はこのように中黒が入る)ときて、滋賀は琵琶湖というのはお手軽だが、これはありだろう。
物語の背景に広がる非現実かつお伽噺のような世界は、それでもありそうで想像してもいいなと思わせる鹿男やプリンセスと比べると、これはかなり飛躍した話で、鴨川ホルモーに近い。
琵琶湖に古くからいる二つの家系、その一族に今も不思議な力を授かる人がでてくる。彼ら、彼女らが、その一員たちの高校入学を期にこれも不思議な葛藤、絡み合いを見せる。
そういうと変な話のようだが、ストーリーの一つ一つの要素は、青年期に人が外界との関係で問題になる、また他人との関係で苦しむ、そういうことを象徴していて、そういういろんなことをこの物語の中に解体し、様々に組み合わせて展開していった、ということはわかる。その展開は先を読みたくなるもので、だからかなり長いにもかかわらず、退屈しないで読める。
それはそうだが、読み終わると、忘れるのも早いかなとも思うし、前作などに比べると映画化するなら配役は、、、という想像もあまりでてこない。
とはいえ、こういう途方もない話を思いつく作者は不思議な人である。
「20世紀フランス絵画の挑戦 アンフォルメルとは何か? 」
ブリヂストン美術館 4月29日(金)-7月6日(水)
ブリヂストン美術館所蔵作品にキーとなる他館作品を加えた、いい展示である。キュレーターの腕だろうか。
アンフォルメルは、第二次大戦後のパリで起こった前衛的絵画運動のことで、文字通り「非定型なるもの」ということらしい。1950年に批評家ミシェル・ダビエが提唱した。
その前段階ということだろうか、館所蔵おなじみの印象派、そして近代の作品が少し並べられているが、「アンフォルメル」を見に来たという頭で見るといつもと違った見え方をするのは不思議なものだ。
そのあといよいよアンフォルメルというところでまとめて展示されているジャン・フォートリエ(1898-1964)とジャン・デュビュッフェ(1901-1985) 、こうしてまとめてゆっくり見ると、まさに言葉では表現で きないけれども絵としてよく理解できるし、感じるところは多い。
フォートリエの「人質」シリーズも、強烈に訴えるというよりは、こちらが静かに受け取るように導いていく。
デュビュッフェの絵に出てくる顔はいくつか記憶にあるが、これもただ面白いというより何かの気分が感じられる。
他に、アンリ・ミショー(1899-1984) 、アンス・アルトゥング(1904-1989) 、ヴォルス(1913-1951) 、ジジョルジュ・マチウ(1921-) 、ピエール・スーラジュ(1919-) な ど、それぞれ何かを感じとれるものである。スーラージュは震災でフランスから日本へのアート持ち出しが禁止となった中で、ポンピドゥー・センターがこの展示の意義から特別に出展してくれたそうで、ここで見るとそれだけの力のある作品である。
そして最後の方に展示されているザオ・ウーキー(1921-) 、これは所蔵品展でいくつか見たときから気に入っていて絵葉書も買っているくらいだが、今回初めて見る作品があり、これも気に入った。
企画展: 画家たちの二十歳の原点
2011年4月16日(土)→6月12日(日)
平塚市美術館
開館20周年記念として二十歳の原点というと、お手軽のようだが、こうして戦前の洋画作家が二十歳前後に描いたものを並べてみると、二十歳と限定しなくても豊かな広がりを感じる。それだけのものを我が国も産み出したのだろう。
なにしろ黒田清輝から私の知っている新しいところでは大竹伸朗までおよび、熊谷守一のように長寿の人の二十歳の原点もある。
もっともこうしてみると、私がかなりよく見ているものもあり、それぞれの画家にとって必ずしもそれらが重要というのでもないようなものもある。
それでも、村山槐多、関根正二のように本当に二十歳前後の夭逝してしまった人たちのものは代表作を集めているし、佐藤哲三や河野通勢などもいいもの・代表作がある。また海老原喜之助の「窓(カンヌ)」は窓の中の紺碧、このひとのこういう色はあの「ポアソニエール」でもそうなのだが、一つの色だけでわからせてしまう、好きになってしまう、こういうのはいい。
関根正二はこれが晩年、でもこの人のものは顔がいい、とっても。描かれる人にはいろんな面があっても、この人にはこういう面がよく見えるのだろう。だから今東光や伊東深水など友人たちがみな関根を助け、ヴァーミリオン(絵具)を買ってあげたりしたのか。
顔がいいのは、館の所蔵品としていくつかロビーにある舟越保武の彫刻もそう。この人は長寿だがやはり多くの人から慕われた。
意外な発見は、しばらく前に永井画廊で見たほかにはあまり見る機会がなかった高島野十郎の「傷を負った自画像」、後の徹底した写実のレベルには達していないが、これは幸運だった。
初めて訪れた美術館だが、明るい開放的な雰囲気、東京オペラシティー アートギャラリーの感じに似ている。
欲を言えば、絵にガラスがかぶっている場合、照明や見る者の映り込みがあり、最近の展示技術からすれば、もう一息と贅沢な注文が思い浮かんでしまう。
併設で「北大路魯山人展」(6月19日まで)。