「遙かなる未踏峰」(Path of Glory)(2009) ジェフリー・アーチャー作、戸田裕之訳(新潮文庫 上下)
「そこに山があるからだ」で知られるジョージ・マロリー(1886-1924)がエヴェレストで行方不明になるまでの物語である。
1999年、エヴェレスト山頂近くでマロリーの遺体が発見された。その中に、彼が愛し遠征中も毎日手紙を書いていた妻の写真はなかった。ではそれはどこにあるのか。
この謎を解くというのではなく、それに触発されて書いた、なかなか感動的な物語である。
英国のケンブリッジ、階級、植民地、さまざま要素がわかりやすく配置され、読み物として効果を出している。一流のストーリー・テラーではずれが少ないアーチャーの中でも、出来がいいものの一つだろう。
ところで訳者名が見慣れないな、と思ったが、そういえば前作「誇りと復讐」の後、それまでずっとアーチャーをはじめいくつもの名訳をものしてきた永井淳は亡くなったのだった。
バレエ「オンディーヌ」
作曲:ハンス・ウェルナー・ヘンツェ、振付:フレデリック・アシュトン
バリー・ワーズワース指揮ロンドン・コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
吉田都(オンディーヌ)、エドワード・ワトソン(貴公子パレモン)、ジェネシア・ロサート(ベルタ)、リッカルド・ケルヴェラ(地中海の王ティレニオ)、ゲーリー・エイビス(隠者)
2009年6月3日、6日、英国ロイヤル・バレエ公演
2011年3月19日 NHKBSハイビジョン放送 108分
初めて観るバレエ。オンディーヌ(ウンディーネ)は古くからある話で何人もの作家が題材としているらしいが、読んだことがあるのはジロドウの戯曲で、これと比べると登場人物の名前も少し違うし、話の筋はかなり単純化されている。
だからジロドウ作を読んだときには細かいところにも隠喩、暗喩など何かあるのかな、と構えていたが、今度はない。バレエを見せるにはその方がいいかもしれない。
パレモンがオンディーヌと出会う場面、これはかなり長い。そして二人一緒に航海に出るが前の婚約者ベルタも入り込んでいてオンディーヌにてこづった水夫達が彼女を海に放り出してしまう場面。パレモンとベルタの結婚と祝宴、そしてオンディーヌが登場し「死の接吻」。これらを吉田都を中心にたっぷり見せる。
したがってこのバレエの筋を理解するのはそれほど難しくはないが、退屈せずに楽しむには、かなりバレエの楽しさを知っていることが必要だろう。少なくとも私のレベルではちょっと足りない。
全体に、水の精、神話世界の舞台で、装置、衣装などもそのようにつまり「精」と「聖」になっており、唯一婚礼祝宴の場面だけが特に衣装が「俗」になっていて、むしろこれがきれいでほっとする。
とはいえ、吉田都はこの水の精を演じて、先のジュリエットとは違う、人間の娘から女への変化とは違う、プロセスを納得させる演技で、当たり役と言われるだけのことはある。体重がないような動き、また軽い空気感とでもいったらいいか。「ロメオとジュリエット」より難しいかもしれない。
ヘンツェの音楽は、ぴたりをはまっているようだが、プロコフィエフに比べると、メロディーだけで耳に残るというところはなかった。
「二十四の瞳」(1954年松竹、156分)
監督・脚本:木下恵介、原作:壺井栄、音楽:木下忠司
高峰秀子、笠智衆、天本英世、夏川静江、浦辺粂子、田村高廣、清川虹子
2007年のデジタルリマスター版をNHKが放送したもの。
存在は知っていても、見るのははじめてという映画。公開されたのは昭和29年、私の年齢からすると学校から集団で映画館に見に行く、あるいは家族で行くというのは微妙なところで、教育的な映画であればもっと子供向け、そうでなければ時代劇かディズニーといったところだったのではないか。
その後、評判の映画だから、名画上映、TV、ビデオと機会はあったはずだが、ものごころついてしまうとむしろ敬遠してしまうというという状態でここまできてしまった。
BSでデジタルリマスター、松竹とIMAGICAの事業は知っていたから、見てみようと思い、この大震災でこの映画、泣けてしまうかと思ったら拍子抜けである。
とにかくテンポがのろく、細かい場面は子どもに合わせた低いカメラアングル、子供たちの演技、うまく被せた唱歌、アイルランド民謡などでよくできているものの、NHKで毎日やっている朝の連続ドラマをつなぎ合わせたような進行である。
もちろん戦争の前、途中、そして後が描かれていて、その影響、犠牲は悲しいものではあるけれども、国内海外のドラマと比べても、特にどうということはない。それに瀬戸内海の島であり、それは美しいままである。人間の消息、その悲劇はもちろんあるわけだが、出征、遺骨の帰還、家族の哀感、それらで描く戦争観、反戦思想は、今見ると作り手の観念的なものとならざるをえない。
それは壺井栄の原作、昭和29年という時期、日本のインテリ主流の思潮からすると無理はないともいえるけれど、その後ながく残る映画としては、つくりが物足りない。
けなげな子供たちと唱歌の懐かしさで見ることもでき、ミュージカルといえないところもないが、それもあの「菩提樹」、「サウンド・オブ・ミュージック」のパワーに欠ける。この二つは同じ原作のはずで、確か前者は公開時に映画館で見た記憶がある。
高峰秀子はどうもあの声と口跡が苦手なのだが、それがこの映画では赴任してから継続するこの舞台での彼女の居心地の悪さにマッチしていた。あれでよかったのだろう。
デジタルリマスターは、こうして広く見てもらうにはいい出来になっているようだ。だからといってオリジナルはオリジナルで、フィルムアーカイブとしてキープしなければならないが。
それにしても、昭和29年でモノクロというのはむしろよかったのかもしれない。それほどこの完成されたモノクロは威力がある。