メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マスターズ水泳

2013-06-27 16:06:45 | 雑・一般

6月23日(日)、東急系のスポーツクラブ内でやっている水泳のマスターズにまた参加した。

 

この何回かと同様、今回も100m個人メドレーのみ。レースそのものでスタミナを使うわけではないが、複数だと、体を冷やさないために水着を取り換えたり、ウォーミングアップのタイミングなど、気を使うことが、特に年齢とともに、多いからである。

 

結果は、前回より1秒5よかった。もっとも、なぜか前回は、おそらく体調、当日のウォーミングアップ不足などで悪すぎた。それを取り戻したということだが、まあよしとしよう。

今回はウォーミングアップを少し多めにして、体の代謝がおそらくかなりいい状態にもっていけたと思う。午前の早い順番、男子では最初のレースだし。

それから、見ていた人によるとバタフライがかなりよくなったということだった。それは我ながら感じるところでもあり、まあこのくらいで満足しよう。

 

なお、今回で連続10回出場ということで表彰された。2008年から年2回ずつ、大震災の2011年だけ1回で、約5年である。もっともこれからはあまりこういうモチベーションで力が入りすぎるのも危ないから、意識しないように、たまに休んでもいいと思っている。


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キャロル・キング自伝

2013-06-21 22:02:04 | 本と雑誌

「キャロル・キング自伝」 キャロル・キング著 松田ようこ訳 2013年 河出書房新社

(A Natural Woman : a memoir) 

 

待望の自伝。昨年出たのは知っていて、翻訳はもう少しかかるかと思ったが、案外はやかった。500頁。

 

キャロル・キング(1942- ) は私より少し上の世代、本書によればポーランド系ユダヤ人でブルックリンの生まれ、父親は消防士、母親は音楽と演劇をかなりやっていたらしい。その影響か、大人になるのは早く、高校時代から本格的な音楽活動、特に作曲とコーラスをはじめ、その一方で17歳の時に、コンビで幾多の名曲をものにする作詞のジェリー・ゴフィンと結婚、18歳と20歳で二人の娘の母親となる。

 

一方でその間、18歳で「Will you love me tomorrow」(シュレルズ)がヒット、20歳のとき、ベビーシッターがあまりに歌がうまいので解雇して歌わせビルボード1位になったのがあの「ロコ・モーション」(リトル・エヴァ)、これは10年後にグランド・ファンク・レイルロードで再度ビルボード1位となる前代未聞の快挙になる。

 

その後、作曲家としてヒット曲を書きつづけたが、人前で歌うのは1970年ころ、ジェームス・テーラーが自分の前座に引っ張り出してからで、そのすぐ後にあの「つづれおり(Tapestry)」を出す。

 

このようなアルバム全曲(12曲)すべて、一つとしてくずがないというもの、ほかには「明日に架ける橋」(サイモンとガーファンクル)くらいしかないのでは、と思う。しかもすべて彼女の作曲である。なお、彼女はアルトで、そのオリジナル・キーでほぼ私が歌えるということもあり(もうちょっと高いとなおいいのだけれど)、いくつかレパートリーにさせてもらっている。

 

彼女は今まで4回結婚し4回離婚しており、最初の二人が音楽関係者で彼らとの間にそれぞれ二人の子供が生まれ、そのあとの二人はむしろ自然(アイダホ)の生活に入っていく中でのパートナーとなっている。音楽的には「つづれおり」が頂点だとは思うが、自然の中の生活からまた音楽ツアー主体に戻ってきて活動を続けており、この後半生を読むと、この世代のアメリカ人としては知性とバランス感覚を持った明るい人だと思う。

 

そして、あのニール・セダカと彼女が幼なじみということは、ヒット曲「オー・キャロル」とともに有名だが、本書によれば彼女はマディソン高校で同級生にポール・サイモンがおり、ニール・セダカはライバルのリンカーン高校でコーラス・グループ「トーケンズ」を最初率いていたそうだ。このトーケンズは後に私の世代ならだれもが知っている「ライオンは寝ている」というスマッシュ・ヒットを出す。この曲のように男声でメロディがほぼ全部ファルセットというのは他にあったかどうか。

 

このところキャロル・キング作曲のいろんな歌手の歌を集めたものや、彼女が作曲して提供したときに参考として添付した自身の歌唱録音を集めたCDが出ているのは、この本に合わせたものかもしれない。

 

翻訳に特に間違いはないと思うが、日本語としてはちょっと首をかしげるところがあり、あと一回校正したらよかったと思われる。

 


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晴れ、ときどきリリー

2013-06-18 16:53:11 | 映画

晴れ、ときどきリリー ( Pieds Nus Sur Les Limaces 、2010仏、110分)

監督:ファビアンヌ・ベルト―

リュディヴィーヌ・サニエ、ダイアン・クルーガー、ドゥニ・メノーシュ

 

母親と二人で田舎に住んでいる多分まだ十代の娘(リュディヴィーヌ・サニエ)、始まってすぐに目の前で心臓発作か何かで母が死んでしまう。娘はもともと破天荒、あたりの動物への偏愛と虐待双方の性向をもっているようで、それを心配して、弁護士と結婚している優等生の姉が少しずつ面倒を見るようになる。

 

妹が話の筋の中で変わっていくのは難しいなと思っていたら、問題が起きてきてくるのは姉(と夫)の方という、後から考えれば納得できるけれど、映画としてそれはないだろう、とも思う。

 

リュディヴィーヌ・サニエが出ているということで観たのだが、このくらいのもので彼女を使うのはもったいない。なにしろ撮影時すでに30歳くらいだろうし。

 

姉のダイアン・クルーガーはいかにもドイツ系の理知的な美人顔、でも存在感あっていい配役だった。

 

今回WOWOWの放送が日本初公開、というのも、残念ながらわからないでない。

原題のPieds Nus Sur Les Limaces は、「なめくじを裸足で」ということか。確かに主人公の野生児ぶりを表しており、台詞の中になめくじ(Limaces)も出てくる。ただ Les 定冠詞(複数)があるのは特定の意味があるのかどうか。フランス語の細かいところは忘れてしまった。

 

邦題は何もこんなものでなくても。


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ムローヴァのショスタコーヴィチ

2013-06-12 20:55:53 | 音楽一般

ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品77

ヴァイオリン:ヴィクトリア・ムローヴァ

ピーター・ウンジャン指揮NHK交響楽団

2013年4月13日NHKホール、 2013年6月NHK放送録画

 

この曲は大変な曲、内容もそうだが、とにかくスターリン独裁下におけるショスタコーヴィチの苦闘を象徴する曲でもある。

とはいえ、ショスタコーヴィチを集中して聴きだしてからそんなに経っていない。この曲もムローヴァよりだいぶ若いバティアシュヴィリの演奏に動かされ、それからオイストラフ(この人のためにこの曲は書かれた)の録音を注意して聴いた。

 

ムローヴァはソ連時代の終盤に亡命しており、この曲の持つ緊張感を身を持って経験しているようだ(インタヴュー)。

それはこの曲の当局の目をごまかすためとも思われる明るい舞曲がいかにも韜晦ですという演奏ではなく、さらっとしていて、勝負は第3楽章のパッサカリアとはっきりしているスタイルに現れている。

 

この楽章、無駄な力が入っていないが、次第に聴いている方の胸の中がいっぱいになっていく、経験と自信のなせる見事な演奏だった。特にカデンツァ!

ムローヴァはどちらかというと美音と技巧で酔わせるというより、強い表現が印象的な人であるが、ここはそれがむしろ自然に感じられてくるものになっていた。

 

指揮のウンジャンは一時期東京クァルテットの第1ヴァイオリンをしていた人で、カナダ国籍だがアルメニア系らしい。この曲の指揮は的確だったと思う。

 


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マスネ「マノン」(メトロポリタン)

2013-06-08 10:12:50 | 音楽一般

マスネ:歌劇「マノン」

指揮:ファビオ・ルイージ、演出:ロラン・ペリー、原作:アベ・プレヴォー

アンナ・ネトレプコ(マノン)、ピョートル・ベチャワ(騎士デグリュー)、パウロ・ジョット(レスコー)、クリストフ・モンターニュ(ギョー)、デイヴィッド・ピッツィンガー(伯爵デグリュー)

2012年4月7日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2013年5月 WOWOW

 

マノンというとプッチーニ「マノン・レスコー」しか知らず、またこの作品も話が苦手という感じで、しっかり聴いたことがない。マスネにも同じ原作の作品があったのか、という恥ずかしい次第。

 

しかし、プッチーニのいかにもヴェリスモというイメージ(先入見かもしれないが)よりは、こっちをまず見てよかったと思う。

こういう話のわりにはとにかく音楽が全編美しく、そのなかで歌唱と演技でどうか、ということだから、見る方は楽しめる。

プッチーニほど際立ったメロディーはなくても、舞台を見ているといい気持ちになれる。それとフランス語の歌詞というのも、ぴたり。

 

それになんといってもアンナ・ネトレプコ、歌唱の素晴らしさはもちろんだが、妖艶な美人というよりはちょっとぽっちゃりの可愛い顔だけれど、その演技が嫌味でなく色気があり、修道院に入る予定の娘から、社交界のちょっといわくありげな花形、そして女囚と、一人で演じ分け、見ていて飽きない。

この人のレパートリーでも、コミカルな「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ)と並んで代表的なものではないか。

ベチャワのデグリュー、姿も含め、マノンに翻弄される二枚目として、自然に受け取れる。この人の描き方、そして父親、宴会、博奕、、、はてどこかでと思ったら「椿姫」あたりの借用といえなくもない。それはかまわない。「ラ・ボエーム」もこれに通じるところがある。

 

ルイージの指揮は流麗で、オーケストラをうまく乗せている。この人のイメージからドイツものgが得意?と思っていたが、よく考えればイタリア人。

 

ロラン・ペリーの演出、うるさくない装置、時代的にもっと後の衣装で、ドラマ、音楽に集中できてよい。

 

 


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