メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ステージで歌う

2010-07-27 21:35:23 | 音楽

日曜日、生まれてはじめて、ステージの上、ソロで歌った。

昨年春から、音楽教室でソロ・ヴォーカルを習っている。
グループ・レッスンで、ヴォイス・トレーニングとそれぞれの希望曲(教科書の曲集か自分で持ち込んだ楽譜)を数回ずつさらってもらう。

教室はもちろん密閉されていて、PA付きだから、マイク・ワークもしっかりとやって、カラオケなんかよりもっと声を思いきり出さないといけない。マイクもヴォーカルではスタンダードなSHURE SM-58。
 
それで、今回は管楽器を除く弦、打、鍵盤楽器とヴォーカルの組み合わせを、ほとんどはお互い普段は知らない同士の組み合わせを講師サイドでつくり、2日間、なんと70組で発表会をやった次第。楽器奏者が足りないところは講師が入る。
 
前もって提示された候補曲一覧から結局選んだのは「So Far Away」、キャロル・キングが好きなのと、キーそのままで歌えそうなことが決め手。普段はキーをシフトしてもらえるが、バンドの楽譜を全部書き換えることは大変なので、オリジナル・キーまたは1オクターブのシフトでやることになる。
 
実はSo Far Awayが入っているアルバムは世紀の名盤「Tapestry(つずれおり)」(1971)で、LPレコードを買って以来愛聴しているのに、この曲はなぜかYou've Got A Friendはもちろん、It's Too Late、Will You Love Me Tomorrow?、Tapestry、A Natural Woman などに比べ、ほとんど印象がなかった。それが歌ってみれば、、、
まったく駄作がない稀有のアルバムということがまた確認できた。
 
So Far Awayは米国ではこの中でもっともヒットしたらしく、かのロッド・スチュワートのカヴァーも有名である。
 
練習では、何度もキャロルの録音と一緒に歌い、かなり覚えてからは、楽譜を見ながらア・カペラで歌う、というやり方をとった。
問題はこの、あの人は遠い、もういない、、、というフレーズが繰り返し出てくる一見さびしい歌、これを淡々と歌うのも一つの方法で、キャロルはロッド・スチュワートに比べるとあまり変化をつけていないのだが、歌うほうからしてみると、何か物語の進行もほしいわけである。
 
繰り返し読み、歌って、結論は、最初はこういう話だという部分、そして旅に出て歌を聴き歌ってもやはりあなたのそばにいたい、そして旅はむなしいがそれが心を占領してほしくないまだ人生で夢見て見つけてないことはある、でもやはりあなたはいない、いればほんとにいいのだけれど、、、
と少し動いてきて、ちがった目でわかれてもう会うことのない人の存在がもう一度定着する、とでもいった感じである。最初に出てくるYeah! が小さな変化へのスイッチだろうか。
 
そしてあるとき、NHK-TVの「SONGS」で松田聖子をみていて気がついたのは、So Far Awayに砂糖をまぶすと彼女の「風立ちぬ」になるということ。
作詞の松本隆はSo Far Awayを知っていたにちがいない。
 
帰りたい帰れないあなたの胸に
忘れたい忘れないあなたの笑顔
今日から私は心の旅人
 
そう考えると、少し気持ちが軽くなって歌えるようになった。
 
本番は、多少の緊張はあったものの、自分の声もよくきこえ、キーボードもよくきこえたから、まずまず、破綻なく出来たようだ。ホールもPAもいいと、これまで経験したことない感じで声がよく伸びるから快感である。
 
ただ始まるまで気をつけたのは、最初の出だしの音、いきなりまじめに頭声で大きく出ると、狂ったときに戻しにくいので、マイクを口に近づけ少し下を向いて地声でぼそっと出、そのあとあわせていくという方針に決め、なんとかそのとおり出来た。おそらくライヴでは他にもいろいろノウハウはあるのだろう。
 
全体として、小中学生男女のドラムが多いとか、おやじバンド系はクイーン、ディープ・パープルの人気が高いとか、若い子はまた今はやりのYuiをはじめ最新のものもあり、スタンダードジャズもあって、そして全体に皆うまくいくといいねという、元気が出る催しであった。
 
日本の音楽レベルの象徴であり、将来も大いに期待できそうである。


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グルダ 1959

2010-07-24 17:37:45 | 音楽
「フリードリッヒ・グルダ ピアノ・リサイタル 1959 」
J.Sバッハ:最愛の兄の旅立ちに寄せる奇想曲
ハイドン:アンダンテと変奏曲へ短調、ピアノソナタ第52番
ベートーヴェン:ピアノソナタ第10番作品14-2、第31番作品110
hanssler=SWR MUSIC  1959年6月3日 シュヴェツィンゲン宮殿(ライヴ)
  
グルダは1930年生まれだからまだ20代、とはいえ確かベートーヴェンのピアノソナタ全曲をすでに(たしか)2回録音している、というたいへんな人である。私が持っている全曲は1968年、AMADEOに入れたもの。
 
前半のバッハ、ハイドンがやはりグルダでは初めてきくものだからか、とっても新鮮である。
バッハはグルダ、それも若い、いい意味でより気負った(本人には失礼だが)彼にぴったりなものだし、ハイドンは変奏曲、ソナタとも、珠玉のピアノ、としかいいようがない。
 
グールドはまとめて録音したけれど、リヒテル、ゼルキンそのほか、幾多のピアニストのリサイタル、アンソロジーで中に一つハイドンが入ると、そこはほっとして落ち着くと同時に、いつまでもひたっていたい何か混じりけのない輝き、とでもいうものがある。 これはベートーヴェンにはもちろんモーツアルトにもないものだ。
 
ベートーヴェンの2曲、当時の若手ピアニストの選曲としては渋いかもしれないが、10番の第1楽章で彼特有の何気なく弾き飛ばしていくなかで見事に曲の構造が浮き上がるところ、31番の第3楽章、つまり後のフーガに入る前の迷いながらよたよた歩くような文字通りアダージョ・マ・ノン・トロッポのところ、など絶妙である。
そこへいくとフーガのフィナーレは立派過ぎるかもしれない。ベートーヴェン晩年のソナタは、何か解決がつかずもたもたしたまま終わるという感になるのでは、と思うのだが。10年後の全曲再録音では、少しそっちに行っていたと思う。
 
モノラル録音だが、鑑賞に不足はない。

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さよならをもう一度

2010-07-22 10:57:59 | 映画
「さよならをもう一度」 (GOODBYE AGAIN 、1961米、120分)
監督:アナトール・リトヴァク、原作:フランソワーズ・サガン「ブラームスはお好き」
イングリッド・バーグマン(ポーラ)、イヴ・モンタン(ロジェ)、アンソニー・パーキンス(フィリップ)
 
長年つきあっている中年の二人、ポーラとロジェは結婚にはもう一つ踏み切れず倦怠期、そこにインテリア・デザイナーであるポーラの顧客の関係で弁護士の卵で甘やかされて育ったフィリップが現れ、ポーラに惚れつきまとう。なかなかなびかないポーラだが、さて、そして結末は、というストーリー。
 
ベースがよくあるパターンだし、ラストもなんとなく予想できる。だから配役と脚本・演出次第、それを見る映画である。
 
この3人だけが軸となっており、パリの情景をフランス国外の人に魅力的にみせようとうまくカットをつくり、テンポよく進めていくので、見るのに苦労はない。
 
もちろんサガンの原作タイトルにあるブラームス、その交響曲第3番第3楽章のメランコリックな旋律はうまく使われている。
特にポーラがフィリップとコンサートでこの曲をきいているとき、ロジェが出張と嘘をついて浮気相手と旅行の帰り、カー・ラジオからこの曲が流れてくる場面はなんともいい。
 
この3人、見る前のイメージなら文句なしだが、見てしまうとそうでもない。
まずアンソニー・パーキンス、何かいやらしさ、甘ったれ、の面ばかりが目について、どうしてポーラが一度はなびくのか、不思議である。見る前には期待したのだが。 
 
そしてイングリッド・バーグマン、この役は40歳という設定で、調べたら撮影時彼女は45歳、それでも女優であり体格もよく、不自然ではないはずなのだが、体調でも悪かったか、歩く後姿などどうもよたよたしていて、彼女らしくない。
アパルトマンの螺旋階段の上から「もう私、若くないの」とうさけぶ有名なシーンがインパクトあるのは皮肉でもある。
 
役柄がもうけものとはいえ、圧倒的な存在感があるのはイヴ・モンタンで、彼はバーグマンより6歳若いということは39歳?
顔、体躯もさることながら、一時期やはり彼はフランスになくてはならない俳優であった。
こういう相手とくっつきそうでなかなかうまくいかない役は天下一品、たとえば「夕なぎ」(1972、相手役はロミー・シュナイダー)。そして「夕なぎ」でもこの映画でも、タバコ・葉巻とウイスキーを絶やさず、アメリカ車を駆る、というスタイルが、フランスでも様になるのが面白い。
 
ところでアンソニー・パーキンス、「サイコ」は1960年でこの映画の前、というのは意外だった。「友情ある説得」、「緑の館」と来て、、、
ついでに思い出したのは彼が歌った「月影の渚」(Moonlight Swim 、1957)、これは日本でもかなりヒットした。エルヴィス・プレスリーの映画「ブルー・ハワイ」(1961)の中でも、曲にふさわしい場面で歌われている。多分今ではこっちのほうが有名。
 
原作も映画も、部分についての記憶はあるけれど、通して見たのは初めてだと思う。WOWOWで放送されたものを録画して見た。

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ヴェネツィアの宿 (須賀敦子)

2010-07-18 16:45:04 | 本と雑誌
「ヴェネツィアの宿 」(須賀敦子) (文春文庫)
1992年~1993年 「文学界」に連載
 
須賀敦子の文章をまとめたものは、少しずつ時間をおいていくつか読んでいる。大方の評判も、また著者自身の評価も、「ミラノ霧の風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「トリエステの坂道」、そしてこの「ヴェネツィアの宿」の四つが高いようだ。
 
他の三つを読んでいて、今回これを読んだというのは偶然だけれども、この順番でよかったと思う。最初に本書を読んでいたら、そのあと次々に手に取ったかどうか。
 
著者が、ある意味でラディカルにヨーロッパと向き合い、自身の生活、書くということをこれまたラディカルに推し進めていくこと、それが文章から伝わってくることは、感動でもあり、また楽しみでもあった。
 
ただ、イタリアでかの地の人と結婚し、数年後夫を亡くすのだが、夫の家族、そして何人かの友人たちについて、ここまで書いていいのか、という感があった。それは私小説的なものではなく、文章を誠実に書いていく結果としてたち現れてくるものではあるのだが。
 
今回のそういう対象は「父」である。関西の、当人からすればそれほどではないのかもしれないが、普通に考えればやはりいい家のお嬢さんとして1929年に生まれ、この戦争をはさんだ成長期、そしてその後、恵まれた環境と意思的な生き方を続けた著者に、こういうやっかいな「父」の問題があった、というのは驚きであった。
 
ここまで書くか、というところはあるけれども、書いておかなければならなかったのだろう。いわゆる「文体」を持ってしまった人が、書いていけば避けられなかったところかもしれない。
 
戦後登場した人たちで、創作でない散文というと、男はどうもたいした人がいないが、女性には幸田文、そして須賀敦子がいる。そう、幸田文にとって出発は「父」であった。
 

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ナニカアル (桐野夏生)

2010-07-07 18:00:47 | 本と雑誌

「ナニカアル」: 桐野夏生 著、2001年、新潮社
 
これは作家 林芙美子(1903-1951)が戦時中、仏印、シンガポール、ジャワ、ボルネオなどに報道班員として滞在していた時期の前後、同じような環境にあったほかの作家たち、軍部との軋轢、そして彼女自身の道ならぬ恋愛、について、死後かなりたってから夫の遺品のなかに林自身の手記が発見されたという架空の設定をもとに、書かれた創作である。
 
その想像の根拠、真偽のほどについては、判断する材料も能力も持っていないが、読んでいて主人公の立場に入ることは出来るし、読み進んでいかせる作者の筆力は確かである。
 
いくつもの問題について、安易な解答を与えていないのはよい。


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