メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

野見山暁治展 後期展示

2024-12-07 17:26:54 | 美術
野見山暁治展 後期展示
  練馬区立美術館 11.12(火)―12.25(水)
 
先の前期展示に続くもので、画家(1920-2023)の1960年ころから絶筆まで、かなり濃い作品群である。具象画ではないが、形を意識しない内面からの噴出でもなく、テーマみたいなもの、いろんな要素の研究、組み合わせなどのうえ、かたち、色、タッチ、うごきでこちらに迫ってくる。特に今回の展示では後々までのこるものがいくつもあった。
 
練馬とならんで糸島(福岡県)にもアトリエを持ったからだろうか、海を思わせるもののいくつかは広さと心地よさもある。
 
こうしていろいろな言を勝手に並べることが出来るというのはこういう絵のおもしろさなのだろう。
 
「思い出すこともない」(2008年)、従軍し生き残った画家が戦没画学生の家族を訪ね歩いたということとつながるのかどうかわからないが、何か想像させるどちらかというと静かな画である。


 

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野見山暁治 展(前期)

2024-10-20 17:08:05 | 美術
追悼 野見山暁治 展 野っ原との契約 前期展示
    練馬区立美術館 前期展示 10.6(日)ー11.10(日)
            後期展示 11.12(火)ー12.25(水)
野見山暁治(1920ー2023)が昨年103歳で亡くなりいずれ東京でも大規模な回顧展があるかもしれないが、今回練馬で所蔵品をこれだけ展示してくれたのはありがたい。全部で70点ほどあるようだが、今回は1964年あたりを境とした前期、一挙にではなくこのくらいにしてくれたのはありがたい。
 
福岡県に生まれ、東京美術学校を出た後いわゆるいわゆる池袋モンパルナスで活動、というと今の私には親しい名前の人たちが思い浮かぶ。終戦、復員後フランス留学を経て活動を続けた。
 
1970年代に練馬と福岡県糸島にアトリエを持ったということから練馬区立美術館ともつながりができ、このように多くの作品が集められたようだ。ここにはよく行くから、これまでも常設展、所蔵品展などでいくつかは見ている。
 
全体を論ずるのは後期を見てからとして、1964年あたりまでの今回、もともとあまり写実、具象ではないのだが、それでも題名、テーマから表出まではかなりストレートに入ってくる。
いろんな技法、視点、力点というかなんというか、意欲的に試みているようだ。
 
骸骨、炭鉱というテーマがかなりあって、渡欧中の現地の炭鉱が対象になっているものもある。その一方、街の風景で特徴を抽出したようなものでそのセンスのよさに感心するものがあり、このあたり松本俊介などと対照すると面白い。
 
こういう絵は一人の画家にしぼってある程度数多く見ることで印象、理解が深まると思うから、後期が楽しみである。より自由奔放な面もあるようだし。

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平田晃久「人間の波打ちぎわ」

2024-09-20 17:23:50 | 美術
平田晃久「人間の波打ち際
    7月28日~9月23日 練馬区立美術館
平田晃久(1971-)はこれまで知らなかった建築家、練馬区立美術館の展示予定に入ってきても特に注意はしていなかったが、たまたまこの美術館を建て直す計画が間近にありその設計者としてこのたび展示が行われたということを知り、終了間際に見にいった。
 
建築に関するディスプレイだが、写真と小さい模型が多く、よくわからないところもあった。
それでも、なにか植物が伸びからまって成長していくイメージが中心にあるようで、それで美術館と今回一緒になる今は隣の貫井図書館がどんなになるのか、イメージ模型からすると驚くようなものになりそうだ。

2025年秋に今の館はクローズ、2028年度に新館竣工の予定。

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武井武雄 展

2024-08-01 09:23:51 | 美術
生誕130年 武井武雄 展 ~幻想の世界へようこそ~
          目黒区美術館 7月6日ー8月25日
 
武井武雄(1894‐1983)という画家については、童画で評価が高いということぐらいしか知っていなかった。何かの機会に少し見たことはあったのだが。
 
東京美術学校で錚々たる教師に洋画を習ったが、児童雑誌「赤い鳥」が1918年に創刊されるなどの潮流の中だろうか、その挿画を物語の添え物という位置づけから高いレベルにもっていく創作活動を始めた。「童画」はこの人の造語だそうだ。
 
版画やデザイン画もふくめかなり多くの作品が展示されており、幅広い活動ぶりを見ることが出来た。そのなかで収録されていた雑誌名に「キンダーブック」、「チャイルドブック」が多くあった。これらは私が幼いころ確かに眼にした記憶があるが、こんなに大人びた表現があったという記憶はない。ずいぶん本質をついたというかいじわるなところもあって、これその後の絵本につながるというよりは大人むけのイラスト特に宇野亜細喜良あたりに連なるような気もする。
 
童画といってほのぼのとしたというだけの感想をもつのは単純すぎるということだろうか。多くの人と武井の関連図にせなけいこ(切り絵絵本作家)を見つけなるほどと思った。彼女の鋭いちょっと意地悪なそして本質をついていてしかも絵本らしくうまく結ぶという作風の底に武井がいるのだろう。

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三島喜美代 未来への記憶

2024-07-02 17:23:38 | 美術
三島喜美代 未来への記憶
  練馬区立美術館 5月19日(日)~7月7日(日)
 
この展示会の予告まで三島喜美代の名前を知らなかった。扱う対象がチラシだったりゴミだったりでかなり前衛的なのだろうが見に行く気にまでなっていなかったが、日曜美術館アートシーン(NHK)を見て内容そしてご本人のトークなど、これは是非にと最終週になったが見ることにした。
行ってよかったと思う。
 
三島喜美代は1932年生まれだが、最近の映像でみてもトーク、表情は明確で年齢を感じさせない。
初期の絵画を見ると、確かに写実ではないが、抽象も立体的なものがあったり、コラージュもシャープである。
 
新聞や雑誌の中の記載を彼女が作る陶器に移したさまざまな集積、塊が数多く並んで出てくる。その量、エネルギーが、少数の作品を見るよりやはりこうしてこの数量を並べて見ると印象はちがってくる。それにしても予想以上に大きなものがある。
 
缶飲料の飲み終わった容器を集めて何かということを考えた人はいたかもしれないが、この人はそれをすべて陶器で作った(口があいてつぶされた)ということで強い印象が残る。
 
最後の一部屋に様々な新聞記事などが転写されたレンガ(状のもの)を敷き詰めた巨大なインスタレーション(20世紀の記憶)はすべてを詳細に見ることは実際不可能でも、それまでの三島の作品たちとその軌跡を見れば、しっかり受け止められるものであった。

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