ワーグナー:楽劇「ジークフリート」(ニーベルングの指輪第二夜)
指揮:ファビオ・ルイージ、演出:ロベール・ルパージュ
ジェイ・ハンター・モリス(ジークフリート)、デボラ・ヴォイト(ブリュンヒルデ)、ブリン・ターフェル(さすらい人(ウォータン))、ゲルハルト・ジーゲル(ミーメ)、エリック・オーウェンズ(アルベリヒ)、パトリシア・バードン(エルダ)、ハンス・ペーター・ケーニヒ(ファーフナー)、モイツァ・エルドマン(森の小鳥)
2011年11月5日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2012年12月 WOWOW放送録画
指輪の中でこの「ジークフリート」はこれで終わりではないからハッピーエンドとはいえないが、それでも特に不安もなく、見ている方は歌唱と舞台を堪能できる唯一のものではないだろうか。
解説によると、第2幕の途中あたりで、諸般の事情により作曲が長期間中断、その影響か第3幕は特にオーケストラが凝っているとか。そして第3幕はジークフリートがブリュンヒルデを見出し、目をさまし、結ばれるところである。
ブリュンヒルデはウォータンとエルダの娘ということもあり、またあのワルキューレでもわかるとおり、ウォータンつまり神々の意図をうけ、その計画を理解し、理解しながら個別の場面ではそれに疑問を持って抗ってきた女である。そして、ジークフリートはウォータンがはからずも持ってしまった、半分期待し、半分嫌った系統・プロセスで出来てしまった孫(?)である。
親なし子としてミーメに育てられ、ミーメが鍛えられなかった剣の破片からノートゥングを作り直し、大蛇に変身して指輪と財宝を抱え込んでいる巨人ファーフナーをやっつけ指輪を手にしたものの、母を知らず、「恐れ」を知らないジークフリートが、この「指輪」の話をもっともよく理解していて、ウォータンの怒りに触れてしまったために火で囲まれ守られた岩山に眠らされたブリュンヒルデに出会ってからの場面は、指輪の中で、またワーグナーの音楽の中で、もっとも美しく充実したものの一つである。
鎧を切り開いて美しい女が現れたことの驚愕をそれで初めて恐れを知る。そして二人とも一目ぼれではあるのだが、様々な不安と疑いから逡巡する、特にブリュンヒルデの歌唱は物語のすべてを知っている処女という、複雑な設定だから、最後に結ばれ、わかったうえで「神々の終末」を叫ぶという、たいへんな音楽。また二人の気持ちがようやく通いあうところに流れるあの「ジークフリートの夜明け」のメロディー。以前からこの幕は大好きで、映像はなくてもいいくらいである。
ジークフリートのモリスは、主役の急病でピンチヒッターとして起用されたほとんどオペラ経験のない人らしいが、姿といい、表情といい、声の輝きといい、抜擢にこたえている。
ブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト、「ワルキューレ」からの期待通りで、ジークフリートに対するときの輝く表情もいい。
ターフェルはラインの黄金からここまで、変化してくるウォータンを一人でやるというのは当たり前ではないが、今回のさすらい人もなかなかで、案外器用なひとなのかもしれない。
ミーメのジーゲル、この役はもっと狡猾で貧相なイメージだったが、それとは反対、長丁場ではこの方がいいかもしれない。
さてルパージュの演出、前二作の横に連なる長い板は、火で囲まれた岩山でようやく登場するが、今回はそれがいきたという感じではない。小鳥の3D映像は、会場で直に見たら効果的だっただろう。岩山の二人はあまり動かさないほうがよかったのではないか。それと目覚めからの動きの連鎖は少し前がかりになりすぎていないか。次の「神々の黄昏」には期待したい。
あと欲を言えば、指揮者ルイ―ジはヨーロッパでも実績があり、今回も特に悪いところはないのだが、やはり前の二つに続いてここはレヴァインで聴きたかった。彼のマーラーから連想しても、大仕掛けで効果たっぷりのところと、きわめて繊細なところと、うまく描き分け、こちらもそれに浸りきれただろう。
確か腰と背中の持病で無期限休養とのこと。あの体重が原因ではあろうが、晩年のカラヤンもそうだったから、指揮者はなりやすいのかもしれない。
ほぼ同時期にスカラ座でバレンボイムが「指輪」プロジェクトを進めているだけに、本人も残念にちがいない。