メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2024年12月 クリスマス会)

2024-12-26 16:27:36 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年12月 クリスマス会

今回も例年のごとくサンタクロース登場の前座である。

さんかくサンタ(tupera tupera)
サンタさんのおとしもの(三浦太郎)
てぶくろ(エフゲニ―・ラチョフ うちだりさこ訳)
しろくまちゃんのほっとけーき(わかやまけん)
 これは時間があまったため、おまけ
 
案外クリスマスらしくやるのは難しい。まあ気持ちよく待っててもらうことだろうか。
サンタさんのおとしものは、絵は素晴らしいがもう少し大判があるとよい。それと語りの部分がもう少し滑らかなら。

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モーツアルト「ドン・ジョヴァンニ」(メトロポリタン)

2024-12-18 14:54:53 | 音楽一般
モーツアルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
指揮:ナタリー・シュトゥツマン、演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
ペーター・マッティ(ドン・ジョヴァンニ)、フェデリカ・ロンバルディ(ドンナ・アンナ)、ベン・ブリス(ドン・オッターヴィオ)、アナ・マリア・マルティネス(ドンナ・エルヴィーラ)、アダム・プラヘトカ(レポレルロ)、イン・ファン(ツェルリーナ)、アルフレッド・ウォーカー(マゼット)、アレクサンダー・ツィムバリュク(騎士長)
2023年5月20日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  WOWOW

久しぶりに観るドン・ジョヴァンニ、モーツアルトのオペラでは一番好きで、何度でも観たいと思うのは今はこれだけである。
まずは演出から言わなければならないのだろうが、ここはなんと言ってもシュトゥツマンの指揮でついにメトに登場かと、これは喜んだ。10年近く前に水戸芸術館で指揮した映像をを見てこれは期待できると思ったが、間違っていなかった。
 
第一幕、つぎからつぎへと女性を翻弄していくがさてこれから何かというところ、少しもたるみなく一気に進んでいく。この作品だからどこか暗さがという解釈もあるだろうが、こういう快調な進め方がむしろその後ろになる何かと連想させることもあるから、これはこれでいい。
この歌劇、もう19世紀に入ったかと思わせる。もうすぐにヴェルディ。
 
歌手たちもこの進行にフィットしている。ジョヴァンニ、レポレルロのやりとりは明快、レポレルロの姿が立派すぎるかなと思うが、暗い所で入れ替わりというところもあるからこれは何とも。
演出、舞台美術、これは現代の見え方、演出のホーヴェが言っていたようにこの作品のもともとの題は「罰せられた放蕩者ドン・ジョヴァンニ」だし、今のジェンダーなどの論調からすればこれは入りやすいのだが、本当はモーツアルトのこの作品、そこから中へ、裏へと入っていくところが醍醐味というものだろう。
三人の女、一番庶民的なツェルリーナは婚約者を愛しているがジョヴァンニの誘いにためらいながらもやはり上級の生活、性的魅力に抵抗しきれない。過去に何度か愛されたドンナ・エルヴィーラは最後まで迷いに迷う、ここらは聴く人によって人間の様相をいろいろ感じ取るところもあるだろう。長い間、この役が一番「語られること」が多かったか。例えばシュヴァルツコップフ。二人ともなかなかいい演技、歌唱だった。
 
今回のドンナ・アンナ、セクシーな美貌だし歌唱もすぐれていた。ただ私からすれば、演出でこの役が一番難しいというか興味あるところなのだが、今回ドンジョヴァンニは彼女から見てにくい復讐の的というところにとどまった。
 
冒頭、ドンナ・アンナの部屋からドン・ジョヴァンニが逃げてくるくだり、アンナはかろうじて逃げおおせた(と言う)が、そのあとジョヴァンニに手向かった父親(騎士長)が殺される。この場面とその後の彼女の心の動き、いくつか解釈があり、演出・演技でほのめかすしかないのかもしれないが、今回は表面的だったと私には思えた。
 
ドンナ・アンナは否定しているが、おそらくジョヴァンニに凌辱されており、その後父親が殺されたことによってファザコンから脱した、と解釈してもその後の展開に無理はない。フェデリカ・ロンバルディはそういう演出でも見事に演じられるだろう。




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ドストエフスキー「賭博者」

2024-12-12 16:51:49 | 本と雑誌
ドストエフスキー: 賭博者
  亀山郁夫 訳  光文社古典新訳文庫
ドストエフスキー (1821-1881) の主要作品はもうかなり前つまり20代に読みずっしりとしたものが残った。ただその後は何も読んでおらず、数年前だったか「カラマーゾフの兄弟」の映画だったか何回かのTVドラマだったかを見ただけである。
 
それがこの数年、ロシア文学を続けて読んでいるうちプーシキンあたりからギャンブルがよく出てきて、どうもロシアにおける賭博の根づき方は本質的なものではないか、と思うようになった。
 
この「賭博者」は1866年の作、他の作品に比べると短いがそれでも300頁はある。
ある将軍のところで家庭教師を務めているアレクセイが主人公、将軍の義理の娘に恋している。将軍の伯母が死にそうだといわれていてその遺産がどうなるかということと、その金と娘をめぐる何人かのいくつかの国籍の男女、かれらがドイツの架空の町の賭博場でギャンブル、そして男女間のあてつけ、それらが続いていく。
 
しばらくはアレクセイの語り(この小説は彼の一人称)の内容がよくわからないが、死にそうといわれていた伯母が突然やってきて、素人なのだが賭場で無謀な賭けを続け莫大な儲けになりだすところからようやくこの小説の世界に入っていけるようになった。
 
それにしても賭博というものが人間にとって本質的なものなのか、人によるのか、ドストエフスキーの他の作品に描かれる人間の欲、悪、政治、宗教、人間の内面の本質、苦悩などなど、に加えてというかそれらをつらぬきまた底に存在して、作者にとっては書かなければならないものだったのだろう。人間が生きていくということはこういうことと説得されそうになることもある。
 
読んでいてわかりにくいところはかなりあって、それが訳のせいなのか、もともと今の日本人にはわかりにくいものなのか、ちょっと苦労した。ただそれとは別にこの本の校正はレベルが低いと思う。読んでいて、日本語の文章でこれはないだろうというところがいくつかあった。


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野見山暁治展 後期展示

2024-12-07 17:26:54 | 美術
野見山暁治展 後期展示
  練馬区立美術館 11.12(火)―12.25(水)
 
先の前期展示に続くもので、画家(1920-2023)の1960年ころから絶筆まで、かなり濃い作品群である。具象画ではないが、形を意識しない内面からの噴出でもなく、テーマみたいなもの、いろんな要素の研究、組み合わせなどのうえ、かたち、色、タッチ、うごきでこちらに迫ってくる。特に今回の展示では後々までのこるものがいくつもあった。
 
練馬とならんで糸島(福岡県)にもアトリエを持ったからだろうか、海を思わせるもののいくつかは広さと心地よさもある。
 
こうしていろいろな言を勝手に並べることが出来るというのはこういう絵のおもしろさなのだろう。
 
「思い出すこともない」(2008年)、従軍し生き残った画家が戦没画学生の家族を訪ね歩いたということとつながるのかどうかわからないが、何か想像させるどちらかというと静かな画である。


 

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