メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

吉田健一「父のこと」

2017-11-29 09:26:59 | 本と雑誌
父のこと
吉田健一 著 中公文庫
このところこの文庫で著者のものが続けて刊行されている。本書は吉田茂没後50年ということもあってのものらしい。
吉田健一については、その立場などは頷けるところもないではないが、あの長たらしい文章が苦手であった。ただこの本は全体に軽く書かれたものと、親子の対談(清談だそうだが)が主で、読み進むのは楽である。
 
吉田茂(1878-1967)が没後50年ということは、私が大人になるまでは生きていたということであるのだが、首相としてはいろいろ非難され、やめるやめないとの騒ぎがあったように記憶しているだけで、それ以上リアルタイムの記憶はない。
 
本書を読むと、戦前の外交官時代からのイギリスに対する評価、軍部嫌いなど、いろんな角度からあらためて確認できた。イギリスに関しては、こういう思いを持てたのは幸せだったのだな、と思う反面、今となっては、かの国もさてどうかというところも多い。
 
それでもこういう複雑さを持った人は、現代日本の政治家にはいないと思う。基本的に軍隊は嫌いだが、必要ではあり、戦後はアメリカとの集団安全保障それもできれば相互主義であることが、あのソ連、中共(当時)に囲まれた中では最良のものということ、アメリカに対する日本人の特に地方の人たちの対応が日本に対する好印象を与えているということ、それらを前提としてサンフランシスコ講和条約を締結したその確信は、納得できるものである。
 
また、当時の社会党などとは、対立していても、野党の存在意義はもちろん理解していて、状勢全体を掌握判断したうえで、施策を進めたであろうことはわかる。
 
身の回り、趣味などについて、息子健一とのやりとりは面白いが、私などから見るとどこの世界か、ということはしょうがない。
 

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ひまわり

2017-11-18 16:36:57 | 映画
ひまわり(I Girasoli、1970伊、107分)
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ、製作:ヴィットリオ・デ・シーカ、カルロ・ポンティ
音楽:ヘンリー・マンシーニ
ソフィア・ローレン(ジョバンナ)、マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)、リュドミラ・サベリーエワ(マーシャ)、アンナ・カレナ(アントニオの母)
 
その存在とある程度の筋、そして公開時の評判は知っていても見ていなかった作品を、落ち着いて見る機会が続いているが、これもその一つ。
 
とにかくジョバンナ役ソフィア・ローレンの、映画女優としての、見る価値が際立っている。アントニオと出会い、彼の戦線への復帰を遅らせるために結婚、しかしついに彼がソ連戦線に送られるまで、そして戦争は終わったが途絶えた消息にあきらめずソ連を探し廻りついにアンニオを探しだしたが、彼は瀕死の状態を救った娘と一緒になり娘をもうけていることがわかり絶望して帰国するまで、そして今度は彼女に会おうとイタリアにやってきたアントニオに夫と子供がいる状態で別れを告げるまで、この三段階、それぞれの年齢に応しながらも魅力を維持している女を見事に表現している。
 
こういう背景の映画だが、それぞれのカット、その長すぎない転換がよくできていて、このおそらく舞台でやれば息詰まる話を、二人の時間の流れに引き込み、運んでいくことに成功している。映画ならではの妙。
 
見る前は、愛しあう二人を戦争が引き裂いた典型的な悲劇、と想像していた。それがないわけではないが、見終わってみれば、そういう側面はあっても、人は、生きていることが、この先も生きていくことが、なにより価値があるものである、ということである。
思い出したのだが、あの「シェルブールの雨傘」も、最後は苦い一面で、そうではなかったか。どちらもちがう伴侶を得て幸せそうなのは男性の方なのだが。
 
後半少ししてから、アントニオとマーシャが結局一緒に幸せに暮らせればいいが、と思い始めているのに気がついた。マーシャにサベリーエワを配したのも効いている。
 
そしてヘンリー・マンシーニの音楽、このメロディはある世代までなら誰でも知っているであろうが、今と違ってこの時代、多くの映画音楽はまさにサウンド・トラックで、今のように既成の曲を割り当てるのではなく、完成したフィルムに対して作・編曲したものが多く、この映画ではそれが際立つ。
 
一つあげれば、ジョバンナの乗った列車がソ連の草原を走る、窓の外は一面のひまわり、それは美しいというより列車の動きで焦点がぼけた形で後ろに飛んでいく。そこに流れるあの音楽だが、列車の大きな揺れを反映した音の波のリズムにぴたりとよりそい、次第に増幅していく。なんとも見事な「作曲」である。先日ジャズピアノの発表会で弾いた曲といい、そのほかこのところ妙にマンシーニに縁がある。
 
こうやって落ち着いて見ると、この映画、深い意味でハッピー・エンドなのかもしれない。

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オットー・ネーベル展

2017-11-12 13:11:23 | 美術
オットー・ネーベル展
2017年10月7日(土)~12月17日(日) Bunkamura ザ・ミュージアム
 
オットー・ネーベル(Otto Nebel 1892-1973)はスイス生まれの画家で、かのバウハウスでクレーやカンディンスキーと親しく交わった人らしいが、この二人やドイツ表現主義の画家たちをかなり知っていても、この人の名前をきくのははじめてである。2019年がバウハウス開校100年ということで、ネーベルの回顧展が企画されたようだ。上記にシャガールなども加えて、久しぶりにこの時代の作品をまとめて見ることができた。
 
作風はやはり尊敬するクレーに似ているが、色彩はより鮮明志向(特に一時期からはイタリア志向)が強いように見える。抽象的なものに加え、カテドラルのそれも内部から描いたものも多い。クレーによくあるシニカルなところはあまりないから、見ていて疲れないが、逆にそれでいいかという思いも残る。
 
こうして比べてみると、「絵かき」としてうまいのはカンディンスキーだろうか。

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メンデルスゾーンの交響曲

2017-11-09 17:11:01 | 音楽一般
ちょっとしたきっかけでメンデスゾーンの交響曲第四番「イタリア」を聴きたくなり、LPレコードを取り出したが埃ノイズが大きく、CDも手元になかったため、かなり割安になっていた3枚組全五曲を買ってしまった。カラヤン指揮ベルリンフィル、1971~1972の録音。
 
聴いてみて驚いた。五つにつまらないものはなく、交響曲分野でまちがいなく大作曲家といえる。なによりオーケストラ各パートの音が曲として密度高く凝縮しており、だれたところがないし、その反面疲れるということもない。
 
あの「イタリア」の最初、空間に美しい音の雲が突然現れしばし漂うところ、だれがこんなことできるか。これともう一つかなりなじんでいた第三番「スコットランド」もその構成、展開に感心、終盤あの感動的なメロディーが現れるところ、ブラームスが交響曲第一番を苦労の末作り上げた時、この曲を知っていたに違いない。第一番、第五番「宗教改革」も、すぐに覚えるメロディーこそないが、最後まで心地よい緊張感で聴いていける。
 
そして一時間を超える合唱付きの大作第二番「賛歌」、知らないで聴いたらメンデルスゾーン(1809-1847)とは想像すら出来ない、もうまるでマーラーか、と思うほど。
 
交響曲作家としては、シューマンより上かもしれず、ブラームスと比べても面白い。もちろんどっちが上という議論が無意味ということはわかっているが。
 
そしてカラヤン・ベルリンフィルの演奏がこういう認識の転換をさせてくれた。以前、ちょっとクラシックにうるさい人たちの中にはアンチ・カラヤンが多く、私は反対だったが、それでも「スコットランド」位かなと思っていた。この全曲のまったく間延びのない凝縮度はどうだろうか。短期間に全部録音したらしいが、なにか決意とでもいったものが感じられる。
 
録音はギュンター・ヘルマンス、同じコンビのシベリウスと並ぶ傑作だと思う。


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炎の人ゴッホ

2017-11-08 15:46:54 | 映画
炎の人ゴッホ(Lust For Life、1956米、122分)
監督:ヴィンセント・ミネリ、原作:アーヴィング・ストーン
カーク・ダグラス(ゴッホ)、アンソニー・クイン(ゴーギャン)、ジェームズ・ドナルド(テオ)
 
この映画の存在は知っていた。日本封切りの時の宣伝だったか、その後の名画座などの上映予定だったかは定かでないが。カーク・ダグラスが主演ということも頭にあった。その顔がゴッホのイメージと重なったからだろうが、映画製作の過程でも実はそうだったらしい。
 
全体としては、伝道師として自ら貧しい炭坑町におもむき、うまくいかなくて、その後画家の道に。いろいろあってゴーギャンとアルルへ赴き、精神に変調をきたし死に至るまでが、世界中のミュージアムの協力を得て、その多くの傑作のイメージも使いながら、描かれる。
おそらく、実際の伝記からはそうはなれていないのだろうが、逆にそれに止まっているともいえる。なにより出演を懇請されたカーク・ダグラスがちょっと気の毒で、彼はやはり強い人、それが悲劇的だったとしても(たとえばスパルタカス)であって、芸術の、内面のそれこそlust、熱い欲望で、破滅的な一生を送る、という役は似合わない。
 
アンソニー・クインはこれでアカデミー助演男優賞をもらったらしいのだが、この人にこの演技で授賞というのは失礼だろう。ゴーギャンはこんなに強かったのかな。
 
アルルでよく面倒を見てくれた郵便夫が登場するが、彼を描いた絵があったはずなのに、出てこなかったように思う。
 
そして、ゴッホが耳を切り落としてから、本人をこれだけ描写しながら最後の30分というのは首をかしげる。明らかに病気なのであって、独白と絵や関連風景の描写を選んだ方がよかったのではないか。
 
今、ゴッホを描くとすれば、この映画でもジェーズ・ドナルドが好演している弟テオの眼からみた画家の半生、という形にするのがよいのではないだろうか。
 
なお、カーク・ダクラスは存命で100歳、もうすぐ101歳になるそうだ、なんと。


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