メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2024年10月)

2024-10-31 11:24:38 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年10月
ハロウィーン行事とかさなったため、クリスマスと同様3組一緒に絵本、そのあと行列してお菓子をもらい外に出かける、という形になった。
 
もこもこもこ(谷川俊太郎 作 元永定正)
にんじん(せな けいこ)
ばけばけばけばけ ばけたくん(岩田 明子)
 
毎年この季節によくやってきたもの、30数人の並び方が壁を背中に一列だったので、頁ごとに横に動かして皆に見えるようにしながらやったが、さてどうだったか。
 
外にでかけるところでお菓子を持って立ち、「トゥリック オア トゥリート」などたどたどしく言う子に一人ずつ「ハッピー ハロウィーン」と言ってキャンディーをあげた。
はじめての経験
 
「にんじん」は前から予定していたのだが、週明けに偶然せなけいこさんの訃報(92歳)、いくつも使わせていただいた、ご冥福を祈る。

 

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野見山暁治 展(前期)

2024-10-20 17:08:05 | 美術
追悼 野見山暁治 展 野っ原との契約 前期展示
    練馬区立美術館 前期展示 10.6(日)ー11.10(日)
            後期展示 11.12(火)ー12.25(水)
野見山暁治(1920ー2023)が昨年103歳で亡くなりいずれ東京でも大規模な回顧展があるかもしれないが、今回練馬で所蔵品をこれだけ展示してくれたのはありがたい。全部で70点ほどあるようだが、今回は1964年あたりを境とした前期、一挙にではなくこのくらいにしてくれたのはありがたい。
 
福岡県に生まれ、東京美術学校を出た後いわゆるいわゆる池袋モンパルナスで活動、というと今の私には親しい名前の人たちが思い浮かぶ。終戦、復員後フランス留学を経て活動を続けた。
 
1970年代に練馬と福岡県糸島にアトリエを持ったということから練馬区立美術館ともつながりができ、このように多くの作品が集められたようだ。ここにはよく行くから、これまでも常設展、所蔵品展などでいくつかは見ている。
 
全体を論ずるのは後期を見てからとして、1964年あたりまでの今回、もともとあまり写実、具象ではないのだが、それでも題名、テーマから表出まではかなりストレートに入ってくる。
いろんな技法、視点、力点というかなんというか、意欲的に試みているようだ。
 
骸骨、炭鉱というテーマがかなりあって、渡欧中の現地の炭鉱が対象になっているものもある。その一方、街の風景で特徴を抽出したようなものでそのセンスのよさに感心するものがあり、このあたり松本俊介などと対照すると面白い。
 
こういう絵は一人の画家にしぼってある程度数多く見ることで印象、理解が深まると思うから、後期が楽しみである。より自由奔放な面もあるようだし。

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トルストイ「イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ」

2024-10-15 16:01:21 | 本と雑誌
レフ・トルストイ: イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ
            望月哲男 訳  光文社古典新訳文庫
このところプーシキンから始めて、ドストエフスキーとチェーホフのいくつかをのぞき親しんでいなかったロシア文学を続けて読んでいる。今回はトルストイ(1828-1910)が1886年と1889年に書いた上記二作、時期的には「戦争と平和」、「アンナ・カレーニナ」のしばらく後である。
 
私の若いころからどうもトルストイはその博愛主義、禁欲主義が表に出ていて(とにかくそういう印象だった)敬遠していた。それでも「戦争と平和」は読んでおかなくてはとかなり歳をとってから読んだが、あの映画化などされている部分はストーリーの一部で大部分は露仏戦争の叙事的な記述で読み進むのもしんどく、評価も難しかった。「アンナ・カレーニナ」は映画で見て何か類型的「無理な男女愛」の印象で、原作を読むに至ってない。
 
さて今回の二つの中編、「クロイツェル・ソナタ」というタイトルは何故?と以前から疑問に思っていたことがきっかけである。
 
まずはイワン・イリイチ、これは同年代の法曹界の仲間が集まり話をしているとき、彼らの同僚である判事イワン・イリイチの訃報が入る。家族への弔問、人事への影響などの話の後、作者はイワン・イリイチ生涯の物語を始める。
 
45年の生涯、まずまずの家系に生まれ、法律家としてまずまずの昇進、結婚生活も必ずしもすべて満足ではなかったが大した破綻もなかった。その彼が体調をくずし医者の診断はすぐに明快にはならなかったがどうもあまり望みがなさそうになってくる。
 
そうなってからの、死に対する観察と思い、これまでの人生つまり仕事、家庭はどうだったかがぐるぐると何度も繰り返し駆け巡る。鬱といえばそうだがこうなってみると無理ない頭のなかの動きなのかもしれない、これを作者は詳細にえがいていく。
 
私が読んてきた範囲でいうと、この国の文学でそれまでこんなに作者が登場人物の内面を外から詳細にえがくということはなかったように考える。それは読む側からすると、作り物に見えてしまうところがあって、こちらに対して相反する効果を来たす。読み終わってみると、そうだろうなとは思うが、衝撃とまではいかなかった。
 
さてクロイツエル・ソナタ、トルストイは禁欲主義をとなえながら、自らの強い性欲になやみ、結婚生活では13人の子供をもうけている。
 
この小説では作者と思われる一人称の語りで、長距離列車のなかで出会った一人の男が語り始める。この男が世に知れた話の主人公、かなり地位のある地主貴族だが、嫉妬がもとで妻を刺し殺した本人だという。どうしてこういうところに出てきて話ができるのか、不思議なところだが、ともかくこれがすべてである。
 
この男、まず男の強い性欲と結婚制度の不適合について、延々とかたる。性欲を結婚家庭にとじこめ、特につぎつぎと子供が生まれると、夫婦ともどうなのかということである。このひと、夫婦でいろいろあった挙句、だいぶ平静になったと思ったら少しピアノが弾ける妻があるヴァイオリン弾きと知り合い、パーティで演奏するという計画が持ち上がる。これを知った男(夫)は妄想ともいうべき嫉妬を宿し、それも演奏が予定され二人が練習に入った曲のなかにクロイツェル・ソナタ(ベートーヴェン)が入っていることから、その始まりのところにある切迫的なパッセ―ジを二人の仲を示すもの、強い影響を与えるものと解釈し、音合わせの現場に乗り込んで妻を刺し殺してしまう。ヴァイオリン弾きは逃げおおせた。その後どういう審理で男がこの汽車で旅ができるようになったのかはわからない。
 
さて作者の主張は一応わかるが、これが一般の人の実生活に反映されるかどうか、発表時随分議論が巻き起こったようである。
 
ところでこのクロイツエル・ソナタというタイトル、私は気に入らない。切迫感、性愛を刺激するというのは一方的な受け取り方で、それはこのソナタに失礼だろう。優れたヴァイオリニストの演奏ではもっと柔らかく広がった迫力が感じられるのだが。たとえばダヴィッド・オイストラフ。


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「枯れ葉」

2024-10-12 14:34:24 | 映画
枯れ葉 ( Kuollest lehdet, 2023フィンランド・独、81分)
監督:アキ・カウリスマキ
アルマ・ボウスティ、ユッシ・ヴァタネン
 
カウリスマキはとても有名、評価が高いのは知っているが見るのは今回が初めて。製作から一旦退いていたがこの作品で復活したという。
 
これだけ見てどうということは避けるが、かなり変わった撮り方で、台詞は饒舌でなく、カットからカットへもつなぎの部分はなくいきなりである。ただ見ている側でつなげないということではなく、慣れてくるとこっちの方がしつこくなくていいかと思えてくる。
 
ヘルシンキで暮らす多分40前後の男と女、男はそこそこの仕事をしていたらしいが酒を断ちがたいせいか常勤のまともな仕事につけず、肉体労働もかなりある工場の中で働いている、女はある程度まじめだがこれもなかなか集中できないのかうまく職場と折り合えないのか。
あるカラオケバーで近くに座ったことからお互い意識しあい、なんとか会えるようになるが男の酒癖もあるのかなかなかうまくいかない。
 
男が心を入れ替えようとして会いに行くところで事故にあい、治療のあげくなんとか一緒になりそう、というところでエンディング。
 
俳優は二人ともあまり前に出るところはない。どちらかというと女の方がそれでも見ていて最後気持ちよく納得させる。
音楽の使い方はバーで歌われるものの調子に合わせていて、アメリカ、日本でかなりポピュラーになった(俗っぽいものも含め)ものがうまく使われている。「竹田の子守り歌」が出てきたのには驚いた。
フィンランドの最下層の人たちではないのだろうが、こちらから想像していた生活ぶりよりちょっと低いように感じた。


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