メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ベートーヴェン ピアノトリオ全曲

2020-04-29 09:47:05 | 音楽
ベートーヴェン作曲: ピアノトリオ 第1番~第11番他
ボザール・トリオ (BEAUX ARTS TRIO)(ピアノ:プレスラー、ヴァイオリン:コーエン、チェロ:グリーンハウス)
1980年前後、英デッカ録音によるフィリップス盤(CD5枚組)
 
先にアップしたハイドンの後期交響曲の次に一日一曲、第1番から順に聴いたものである。おそらく十数年前にタワーレコードで見つけて買ったもので、輸入盤だからかそう高くはなかったと思う。
 
第7番「大公」のほか第5番「幽霊」、第4番「流行り歌(?)」など、名前がついて知られていたものは一度は聴いたと思うのだが、それ以外は今回はじめてだろう。
順に聴いてみて、もったいなかったな、でも今回こうして聴いてよかったというのが感想。
 
ベートーヴェン(1770-1827)の作品番号で、作品1の1、2、3がこのトリオの最初の3曲ということはなんとなく知っていた。1793年にできていたといわれているが、こうして聴いてみると未熟でもなんでもなく素晴らしい。そして楽しめる。
 
ピアノトリオはどうしてもピアノが目立ってしまう。ヴァイオリンやチェロのソナタも実はヴァイオリンとピアノのためのソナタ、チェロとピアノのためのソナタとなっていて、これらは室内楽に分類されているものの、やはりヴァイオリンやチェロに注意がいく。そうしてみると、ピアノトリオはピアノが主役でヴァイオリンとチェロがピアノを支えるという位置づけで始まっていると考えられなくもない。
 
ただ、あとの2つの楽器も、この3曲より後になるにしたがい、活躍の場は広がってくる。続けて聴いていて、今の時代ならジャズでピアノがかなり主役、それをベースとドラムが支え、時にはこれら二つもソロをやるというのに相当するかな、と思ったりした。
 
順番に続けて聴いていくと、飽きることはなく、うまく出来ているなと感心することが多かった。番号が後になって変奏曲スタイルのものもよかったし、七重奏曲や交響曲第二番の編曲版も楽しめた。
 
演奏は、よどみのない進行で、音も美しく、三者のバランスもとれていた。英デッカの録音が頂点に達したころだと思うが、ヴァイオリンの美しく、強く伸びて、歪みが全くないところなど見事。交響曲第二番で、他と違って思い切ったのりを出していたのも、聴いていて快感だった。


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オズの魔法使

2020-04-24 09:40:15 | 映画
オズの魔法使 (The Wizard of Oz、1939米、101分)
監督:ヴィクター・フレミング、音楽(主題歌):ハロルド・アーレン
ジュディ・ガーランド(ドロシー)、レイ・ボルジャー(案山子)、ジャック・ヘイリー(ブリキ男)、バート・ラー(ライオン)、ビリー・バーク(グリンダ)、フランク・モーガン(魔法使、大王)
 
有名な作品だが、見るのははじめて。
知っていたのは、主演ジュディ・ガーランド、主題歌「Over the Rainbow」、途中で出てくるYellow brick(レンガ)road がエルトン・ジョンの同名の曲につながっているらしい、ということくらいである。
 
カンザスの田舎、親をなくしおばさんに育てられている12~3歳(?)のドロシー、愛犬トトがわるさをしていると大家のおばさんに処分を指示されるが、それをきりぬけようとして騒動を起こす。そのさなか竜巻にまきこまれ、やっと家の中に逃げ込んで、騒ぎがおさまったところでドアを開けると、外にはおとぎの、魔法の世界が広がっていた。それまでのセピアの画面がドアの外から総天然色テクニカラーに変わるところが、この映画の見せどころでもあったのだろう。
 
そのあと、魔法の国に向かっていく中で、頭脳がほしい案山子、ハートがほしいブリキ男、勇気がほしいライオンと会い、一緒にイエロー・ブリックロードを向かっていくが、悪い魔女の一味に邪魔されたり、行きついた国で大王に難題を出されたり、最後は「え!」と驚くが、「なあーんだ」という感もあるお話。家に帰ってきたところでまたセピアの画面になる。
 
どたばたがすぎる感もあり、映像の細部はまだこの時代だからかというところが散見されるが、セリフや細かい展開は何かアメリカが子供にこう教育したいのかな、と想像させるところもあった。これはディズニーにもあるけれど、こっちはもう少し絵が洗練されていたかもしれない。
 
中学生のころに見て、台本を手に入れていたら、いい英語の勉強になっただろう。
 
虹の彼方に幸せがあると思っていたが、魔法が解けてみると、いまいるところにこそ幸せはあった、ということで、最後のセリフは There is no place like home ! これは今コロナ・ウィルスで大変な米国で話題になっているらしい。
 
NHK BSで放送されたのは先週、放送が計画されたのは2月より後ではないだろうから、多分ジュディ・ガーランドを描いた映画がアカデミー賞で話題になっているのをねらったので、このセリフが今フィットしたのは偶然だろう。
 
1939年のテクニカラーといえばあと「風と共に去りぬ」だが、この映画の最後、スカーレットのセリフはTomorrow is another day 、「is」と現在形で言いきったところがなんとも強い。すべてを失い、それでも私には故郷のタラがあるわと帰ってみるとそこは荒れ果てていて、それでこれである。好きになれない主人公だが、このしたたかさは嫌いでない。コロナの渦中、そう思いたいが。
 




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批評理論入門/フランケンシュタイン

2020-04-22 08:59:41 | 本と雑誌
批評理論入門『フランケンシュタイン』特別講義 
廣野由美子著 中公新書
フランケンシュタイン メアリー・シェリー著 芹澤恵訳 新潮文庫
 
これらを読むきっかけとなったのは先にアップした映画「メアリーの総て」である。1818年にわずか20歳で「フランケンシュタイン」を書いたメアリ・シェリー(1797-1851)が主人公であるが、書いた過程はあまり詳しくは出てこない。
 
「フランケンシュタイン」は数年前にNHK Eテレ「100分で名著」に取り上げられ、これまでのイメージとは違うようだという認識はあり、それもあって実際に読んでみようと考えた。翻訳はかなり出ていて、さてどれにしようかという時、上記「批評理論入門」が高く評価されていること知り、主要題材は「フランケンシュタイン」だが、必ずしも前もって読む必要はないらしいということから、普通とは逆の順序とした。
 
著者は「100分で名著」で解説をしていた人である。
この本の前半は、「フランケンシュタイン」の構造、時代背景、主要人物に影響を与えたであろう書物、環境(主人公はジュネーヴにいてここから最後はイギリス、アイルランド、北極海?に向かう)などについて、いくつかの文学批評のテンプレート(?)を使いながら解説してくれる。
 
「フランケンシュタイン」は、探検に出かけた若者ウォルトンが姉にあてた何通もの手紙であり、探検の最後に遭難途中のフランケンシュタインに会い彼の話をきき、それが語られ、さらにその中で彼によって創られた怪物が後にフランケンシュタインに語る人工生物が意識、感情、知識を得て、創造者フランケンシュタインにどんな恨みをもっているかなどを語るという三重構造になっている。
 
したがって、それぞれの語りは一人称の物語である。これは三人称がよく使われる小説にありがちな、読者が作者に入っていきにくいところがない。20歳の作者としては書きやすかったかもしれない。
 
また、怪物が山岳地帯の小屋にたどり着き、住人にわからないように覗き見ながら、赤子から成長の過程で感情、言葉、知識を得ていくように、人間と太刀打ちできるようになるところは秀逸である。
 
怪物に強い影響を与えた書目は「失楽園」らしく、創造主であるべきフランケンシュタインに対する、思い、恨みがあるということである。翻訳も読みやすく、また勢い、迫力が必要な場面では、流れ、リズムもいい。
 
生命に対する探究、その傲慢、この時代の科学、宗教、社会情勢などが反映しているのだろう。それにしても、この歳でこれだけの構成と内容、ちょっと信じられない。
 
批評理論入門の後半は、多くの批評理論、スタイルがわかりやすく分類、説明され、今後の読書に、別の視点、楽しみが出てきそうである。
 
この本はフランケンシュタインに関するものもふくめ、主に海外の批評理論を題材にした講義ノートがもとになっているようだが、これだけわかりやすくかみくだいたものは、簡単にはできないだろう。いい本に出合った。


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ハイドンの交響曲

2020-04-17 09:20:30 | 音楽
ハイドン(1732-1809)の交響曲をかなりまとめて聴いた。
フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団で88番、95番、101番(時計)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団で92番、93番、94番(驚愕)、95番、96番(奇跡)、97番、カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で103番(太鼓連打)、104番(ロンドン),95番だけ重複している。
 
この順番で、毎日一曲ずつ、続けて聴いてみた。なにしろ「自粛」でできるだけ在宅、それは納得しているが、ではどうやって過ごすかというと、家事の一部や、音楽の練習、この際不要なものの整理などやっても、時間はあり、読書、音楽鑑賞、ビデオなども毎日となれば、何に手を伸ばすか、思いつきだけだと対象は尽きてしまう。
 
そこで、何か法則というか、順番を決めて、ともかくそのとおりやってみれば、迷わないし、普段あまり手がのびない、買ってはあったが聴いてないかもしれないものを試すことができる、というわけである。
 
そこで、私のイメージからするとちょっと地味なハイドンを選んでみた。何か発見できるかもしれない。
そうしてみると、まずハイドンは耳にさわらず、メロディーラインは魅力あるものが少ないけれど、フレーズの響き、各楽器の分担、調和がよく、その進行は聴いていて耳が心地よく、聴感、気持ちが整ってくる。
これは儲けもので、ハイドンに感謝しなければならない。
 
モーツアルト(1756-1791)ほど人気がないのも、失礼というべきで、上記の曲群とモーツアルトの後期6曲を比べたって、いまにして思うと、決してひけをとらない。ハイドンが損しているのは、あの40番、41番(ジュピター)のような、文学的になにかと言及されるものを持っていないからで、それ以外はハイドンの方が、例えばオーケストラの団員など心地よいのではないだろうか。
 
演奏としては、ライナーは「時計」なんか絶品で、シカゴもやりすぎない限界の色彩感を出しているし、この人得意のにらみのきいたリズム感、テンポ感は、ハイドンでも活きている。
 
いくつもまとめて続けて聴くと、セルは今回の私の狙いにぴったりで、クリーヴランドもこういう曲のためにトレーニングを積んだか、と思わせる。今回、特にセルに感謝である。
 
カラヤンは1960年ころウィーン・フィルと英デッカに録れた9枚にたまたま入っていたのを見つけたもので、、上記二人のものと比べると作曲時期も少しちがうのかどうかわからないが、より重厚で、ベートーヴェンに近い感じがする。それともウィーンのオーケストラの感覚だとこうなのだろうか。カラヤンはあまりハイドンをやらないけれど、同じ時期にロンドンのフィルハーモニアも指揮しているから、こっちでやっていたら、もっとフィットしていたかもしれない。



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赤い河

2020-04-16 09:38:47 | 映画
赤い河 ( Red River, 1948米、133分)
監督:ハワード・ホークス、音楽:ディミトリ・ティオムキン
ジョン・ウェイン(ダンソン)、モンゴメリー・クリフト(マシュー)、ウォルター・ブレナン(グルート)、ジョアン・ドルー(テス・ミレー)、ジョン・アイアランド(チェリー・ヴァレンス)
 
西部劇のほぼすべての要素が高いレベルでそろい、構成された傑作である。
 
ダンソンはテキサスで先住民との間に苦労し、愛する女性を犠牲にしながら、迷い込んだ若者マシューと14年かかって牧場を大きくし、多くの牛を持った。しかし南北戦争の後不景気で、その牛を高く売れる遠方に運ぶ決心をする。牛を運ぶカウボーイというものの背景がこれでよくわかる。その途中でやはり先住民とのトラブルなどで、牛が暴走したりするところのカメラワークは絶品、そして仲間割れ、その処理をめぐるダンソンとマシューの決裂、そのあたりのガンプレイを含めた喧嘩の演出もいいし、それからマシューが途中で出会った女性テスもい入った3人の関係も見どころ。
 
さて結末は、となかなか想像しがたい、予定調和でもなし悲劇でもなし、、、
ハワード・ホークス、見事である。
 
ジョン・ウェインはやんちゃなところもある大人(時に老いの色濃い)という位置づけで出てくる作品が多いが、ここではそんなところは微塵もない。風貌もかなりスリムである。
 
そしてモンゴメリー・クリフトを使ったところが、この作品の成功をさらに決めたといってよい。この大戦後現れた世代の若者が、やはり南北戦争の後の世代として出ているようにも見える。
 
叙事詩であって、最後はドラマ、後味がいい。



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