メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マイティ・ウクレレ

2013-01-23 14:52:44 | 映画

「マイティ・ウクレレ」 (Mighty UKE 、2010年カナダ、76分)

監督:トニー・コールマン

ジェイク・シマブクロ、ビル・タピア

ウクレレのなりたちと近年の隆盛に関するドキュメンタリー映画である。この映画全体の作りがリラックスしていて楽しく、それがこの楽器がもつ性格をよくあらわしていると言える。

 

19世紀後半、ハワイ王国の最後のころ、外国からの移民を奨励したときに入ってきたポルトガル移民がこの楽器によく似たものを持ち込んだことから始まったらしい。

 

四本の弦、小さいボディ、安価ということもあり、おそらくハワイの人たちが使って広めていった姿が楽しいものであったのだろう。ピアノやヴァイオリン、またギターに比べても、ストレスなく入っていけ、下手でもそこそこ楽しめるものとしてひろまったようだ。

カナダでは、いま小学校などの音楽授業で楽器として優先されているらしい。考えるにリコーダーだと出来る出来ないということもあるし、なにしろあれでは歌えない。

 

1920年代のアメリカでは、ラグタイムという呼び方からシンコペーションあるいはジャズという名称に変わっていったものと並んで、最初の隆盛があったようだ。その後しばらく下火になり、また最近より楽しくアマチュアがとにかく自分で楽しもうということで盛んになってきたのだろう。

 

最近、ジャズやロックのギタープレーヤーでウクレレもやるひとが多い。また大人の音楽教室などでも、習い始めた人がかなり多い。それも老若男女を問わず、である。

 

この映画にはもちろん現代のスターであるジェイク・シマブクロのコメント、演奏もあり、聴きどころとなっている。


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バティアシュヴィリのブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

2013-01-21 15:52:31 | 音楽一般

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 作品77

クララ・シューマン:ヴァイオリンとピアノのための三つのロマンス 作品22

ヴァイオリン:リサ・バティアシュヴィリ

クリスチャン・ティーレマン指揮 シュターツカペレ・ドレスデン

ピアノ:アリス=沙良・オット

 

待望の彼女の新録音である。なにしろあのショスタコーヴィチ の印象、それもCDとその前のジンマン指揮N響のTV放送でひっくり返った彼女の協奏曲だから。

 

ポピュラーなレパートリーの中からブラームスというのは納得いく。美しいが第三楽章に向かっての盛り上がりは、激しい印象が強い。

が、しかし、その予想は見事に外れる、まあいい方向に。冒頭から繊細な音で、きわめてゆったりと(ゆったりとしたヴィヴラートをそなえ)、たっぷりと余裕ある器に音楽をたたえて進んでいく。だからフィナーレもちからが飽和したという感じではない。

それにはオーケストラも効いているのだろうか。すべてのパートがくっきりとよく聴こえ、全体としてソロによりそっている。指揮もいいのだろうが、ドレスデンのオーケストラは、西側に出始めたころのあのカラヤン指揮「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(ワーグナー)で驚かせたように、こういう性格を持っているし、録音もいいのだろう。

 

クララ・シューマンの「ロマンス」、ブラームスの曲にはクララへの憧れがあるのかもしれない、と勝手に想像させてくれる効果(?)は悪くない。

ピアノのアリス=沙良・オットは少し前からよくきく名前だが、実際に音を聴くのは初めて。いいデュオだった。

 

バティアシュヴィリはショスタコーヴィチのCDでも協奏曲にカップリングされた曲でエレーヌ・グリモー(ピアノ)と共演しているし、そのグリモーも先日カベッタ(チェロ)とデュオのアルバムを出している。

 

なにかこのところ音楽の「女子会」とでもいう動きが目立っている。面白いアルバムが出てくればこれは悪いことでなく楽しい。

そういえば彼女たちの2世代前くらい、今の音楽界の重鎮たちが気鋭のころ、なかよく公演したり録音したりしていて、「ロンドン・マフィア」と呼ばれていたことを思い出す。ロンドンがいいライブ市場で、いろんな出身国から集まってきていたからだが。


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ワーグナー「ローエングリン」(ミラノ・スカラ座)

2013-01-14 21:48:31 | 音楽一般

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」

指揮:ダニエル・バレンボイム、演出:クラウス・グート

ヨナス・カウフマン(ローエングリン)、アンネッテ・ダッシュ(エルザ)、ルネ・パーペ(ドイツ国王ハインリッヒ)、トマス・トマソン(テルラムント)、エヴェリン・ヘルリツィウス(オルトルート)

2012年12月7日 ミラノ・スカラ座  2012年12月NHK BS-Pre 放送録画

 

これを見て、これまで居心地が悪かったこの作品が、ようやく少しわかった、つまりワーグナーはなぜこのようなバランスの悪い変わった作品を作ったかということがある程度理解できた。

 

これは「鶴のおんがえし」のように、素性をどうしても知りたがったために去っていってしまう妻また夫、という類の話ではあるけれども、これまではテルラムント/オルトルート夫婦の権謀術数にかかり、利用されるエルザの弱さゆえの悲劇という印象が強かった。それがこの演出でみると、エルザが騙され引っかかったという面はそれほどではなくて、むしろエルザそのものがそういう要素を持っており、彼女中心のエゴが描かれているといえる。

 

エルザが王子である弟と森に行き、弟は行方不明になり、彼女の罪が疑われるという背景があり、それもあって彼女は精神を病んでいるらしい。彼女を救うべくあらわれたローエングリンへの思い、要求は偏執的なところがあるし、ローエングリンとのやりとりはかなりエロティックである。

 

一方、ローエングリンもこの演出では、時々ひきつけを起こすようであり、人間ばなれした聖杯の騎士という性格が強調されている。

 

おそらくワーグナーは、現実的社会的な実績、それをもっともらしく理解させる氏・素性、その他その人を囲む様々な周囲の事情、そういうことから物事を判断するのか、それとももっと抽象的な直感的な正しさ、聖性を第一とするのか、それを判じ物のように、観客に突き付けているといえる。今回の演出はそれに集中したものといえるだろう。

このワーグナーの謎かけ、考えようによってはナチスにとって、もっとも利用したいものだったかもしれない。実際どうだったかは知らないが。

 

2011年バイロイトの公演では、精神病院の中で演じられるというしかけで、そっちに注意を奪われたが、今回はエルザとローエングリンのやりとりを集中してみることができた。

 

エルザのアンネッテ・ダッシュはまさにそのバイロイトでもエルザを演じ、今回はピンチヒッターだったらしいが、話の中心となったエルザを見事に演じている。カウフマンのローエングリン、メトロポリタンの「ワルキューレ」でなんとも2枚目のジークムントでびっくりさせられたが、今回は聖杯の騎士がよく似合う。ルネ・パーペはもちろん立派な国王。

テルラムントとオルトルートはまずまず。

 

そしてダニエル・バレンボイムが指揮するスカラのオーケストラは、ワーグナーをやらせたら今最高だろう。意外な組み合わせであっても、結果は聴く者にとって幸せなものである。

だからなおさら、ワルキューレのあとやむを得ず降板したレヴァイン(メトロポリタン)が復帰して、バレンボイムと比較して楽しみたいものである。

 

終わって、カーテンコールが始まり、合唱の人たちが並んだところでバレンボイムの手が一閃、「イタリアの兄弟たち」(イタリア国歌)が歌われた。今シーズンの杮落しだからかもしれないが、贅沢!

 


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いまも、君を想う (川本三郎)

2013-01-08 22:07:10 | 本と雑誌

「いまも、君を想う」 川本三郎 著 (新潮文庫)

映画、そして永井荷風、東京下町などの著述で活躍している著者が2008年に七歳下の恵子夫人に食道癌で先立たれ、その後に追想記として書かれたものである。

 

川本恵子というファッション評論家の名前は知っていたが、それが著者の夫人で美人ということを人づてにきいたのはだいぶ後のことである。

 

愛妻の追想というのは、読んでいて面はゆいかなと思い、部分的にはそんなところもあったけれど、それが脚色でないことは、読んでいるとわかってくる。そしていいテンポで読めるのは、文章が長ったらしくなく、べたべたしていないためで、これが「文体」というものだろう。

 

著者が得意な領域の一つである文学についての記述はあまりなく、夫人と著者の間にあらわれたファッション、食べ物、旅行、そして映画における衣装などについての記述は、興味深く気持ちよい。

 

「ウェストサイド物語」のジーンズは、伸縮性のある素材をデニムに見えるようにした映画衣装としての工夫で、通常のジーンズではあのジョージ・チャキリスのようには踊れない、など面白い話もある。

 

著者の文章をそんなに多く読んだわけではないけれど、この本を読むとこれは川本さんらしいなと思えてくる。

「川本さん」と書いたが、実は50年前、川本さんと面識を得て、1年近く何度か話をきいたことがある。

中高一貫の学校で、私は中学3年生、川本さんは高校2年生だった。学校の図書室を運営する委員会があり、なぜかクラス担任から、ほかにもっと読書家はいたのだが、私が委員をやれといわれ、その時の委員長が川本さんだった。下級生にも優しく、いろいろ話をきかせてくださった。

好きな作家はと問われて、カロッサ、ノヴァーリスという名前をきいたときには、知っている世界文学全集に全くない名前で、感心というかあきれた思いがある。

この好みが反映しているように、シャイなロマンチストというイメージだった。

 

本書にはそういう面がよく出ていて、なつかしい。もっとも、シャイで夫人の追想記を書くか、という矛盾はあるけれど。


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600回

2013-01-07 14:18:29 | 雑・一般

前回が600回目だったようだ。

2006年5月からだから、6年8か月、はじめた時はそこそこのペースでと1年100回で3年を目指していた。それはなんとかなって、その後は少し気楽にやってきたけれども、まずまずというところである。 

 

身辺雑記でもよければ回数は増えるだろうが、文章がやわらかくなりすぎるだろうから、それなら別だてでもう一つブログを始め、内容をわけた方がいい。そこまでやるほど?と今は考えている。

 

最近、オペラについて書くときなどは、データ的な部分が増えていて、書くのにかなり時間がかかる。まあ、感想に集中して、手間をかけないで書けるようにしてもいいとは思うのだが。


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