メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2024年1月)

2024-01-25 14:47:23 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2024年1月)

年少
ぎゅぎゅぎゅー(駒形克己)
わたしの(三浦太郎)
ぶーぶーぶー(ここぜさち 文 わきさかかつじ 絵)
年中
でんしゃでいこう(間瀬なおかた)
あぶくたった(さいとうしのぶ)
もりのおふろ(西村敏雄)
年長
ゆきがふる(蜂飼耳 文 牧野千穂 絵)
でんしゃでいこう
もりのおふろ
 
毎年このあたりになると季節性というかここの時期でないとフィットしないかなというものを使うことが多い。
それはともかく、ある保育士さんから内容的に高度なものは注意力がある最初においたほうがいいと聞き、年少と年長でトライしてみた。

「ぎゅぎゅぎゅー」は大人がみると抽象的というか、色とかたちのリズミカルな進行だが、ここでそれぞれが自分の好み、性格を自由に出し体でも反応してくる。それは「わたしの」、「ぶーぶーぶー」にもつながっていく。
「ぶーぶーぶー」はさまざまな色とかたちの自動車とそれらの組み合わせ、うごき。わきさかかつじ(脇阪克二)はデザイナーで、マリメッコで仕事をしていたことがある。マリメッコ(フィンランド)は陶器で見覚えがあり、この絵本もそれに通じるものがある。

「でんしゃでいこう」は一度見たことがある子もいるから、そろそろこれを最後のページから反対に繰っていく「でんしゃでかえろう」として読んでみるのもいいかもしれない。
 
「あぶくたった」は数年前にもりあがって翌日も歌ってたときいたけれど、そうでもなくなってきたのはおしるこ作りがあまり一般的でなくなったきたからか。
 
「ゆきがふる」をじっくりきいてくれたのはうれしかった。
 
「もりのおふろ」は不思議な人気がある。おとなからみて下手うまとはいわないが、絵としてはなにかへんなもの、でも出てくる動物の表情、かけ声、寒い時期に今日はおふろでよくあったまって寝なさいね、と終わることが出来るのはいい。




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モリコーネ 映画が恋した音楽家

2024-01-21 14:57:28 | 映画
モリコーネ 映画が恋した音楽家
( Ennio、2021伊、157分)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
 
エンニオ・モリコーネ(1928-2020)について評価、言及はいや増しになっていて、そうだろうなとは思うもののこの人の業績についてそう詳しくは知らなかったから、この映画はみたいと思っていた。
 
いわゆるマカロニ・ウエスタン、ニュー・シネマ・パラダイス以外タイトルを言える状態になかったのは、こうしてみると作曲家に対して失礼だったかなと思わされた。
それも私がよく知っている60年代、70年代あたりのヨーロッパ発祥のポップス(あれも?これも?)、そのほか重厚な歴史を描いたもの、ここに出て証言、言及している監督、音楽家などなんと多彩こと。
 
すべて短い言葉だが、みなエンニオが彼の音楽が好きなことがよくわかる。そしてその音楽は必ずしも愛らしいものばかりでなく、きついものもある。
音楽のあらゆる要素が彼自身の、関係者の口から出てきて、20世紀の音楽がどうだったか、ふりかえってしまった。美しいメロディーばかりでなく、いわゆる現代音楽もそのベースとしている。これは知らなかった。
 
それにしてもアカデミー賞は6度目のノミネートでやっと、名誉だか貢献の賞をもらった後だったからアカデミーは恥ずかしかっただろう。
 
考えてみたらこの人はバート・バカラック(1928-2023)と同世代、分野はちがうけれどこの二人、20世紀でもっとも偉大というか、音楽の喜び、感動を与えてくれた二人である。
エンニオ、なんとも素晴らしい人生。

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デュマ・フィス「椿姫」

2024-01-17 15:37:22 | 本と雑誌
椿姫 : デュマ・フィス 著  新庄嘉章 訳 新潮文庫

椿姫といえばヴェルディのオペラで、この好きな作品は何度も見聞きしてきたが、原作を読むのは初めてである。
 
予想以上によく出来ていて、パリの華やかな社交界にも入っている娼婦マルグリットとうぶで純粋な青年アルマンの悲劇、悲恋の物語。恋敵、パトロン、家(父親)のからみは定番とはいえこの後こうでなくてはになったという面もあるだろう。それでいてくさくなっていくというより、気持ちよくひたれるところもある。
 
作者はあの「モンテクリスト伯」のアレクサンドル・デュマの息子(フィス)(1824-1895)で、私生児だそうである。そういうことも、、、などとは言うまい。1848年の作品。
そしてヴェルディのオペラであるが、これは台本のピアーヴェによって(?)この原作のいろんな場面要素を使って組みなおしあの構成にしたもので、筋立てはかなり違っているが、父親による説得(プロヴァンスの、、、というあれ)などは原作の相当場面をうまく使っているといえる。
 
そしてオペラのタイトルは「La Traviata(道をふみはずした女)」であるけれど、日本ではこのデュマ・フィス原作の「椿姫(La Dame Aux Camelias)」 を使っている。これは成功だろう。
 
ところでこの原作の構成だが、この世界にある程度親しい「わたし」がある女性(実は主人公マルグリット)の遺産整理のオークションに立ち会い、一冊の本(マノン・レスコー)を競り落としたのがきっかけで、女性の相手アルマンを知り、そこからこれまでの物語に入っていくという形になっている。私の乏しい読書経験でも19世紀あたりの小説にはこういう物語の中心から離れたひとからみた話というかたちがいくつかあるようだ。
  
メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」、近代だけどサマセット・モーム「月と六ペンス」もそうなのではないか。こういう書き方すべてがとはいわないが、読みだしてから物語への入りがうまくいくようにみえる。
 
ところでこのデュマ・フィスの小説を読んでみようと思ったのは、またしても荒川洋治「文庫の読書」である。魅力ある物語、読みたくさせる紹介だが、ここにはヴェルディの名前はまったくない。それなら本作だけ読んでもと思わせた。まいったである。



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ルートヴィヒ(完全復元版)

2024-01-04 15:39:47 | 映画
ルートヴィヒ(Ludvig、1972伊仏独、237分)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
ヘルムート・バーガー(伊語ジャンカルロ・ジャンニーニ)(ルートヴィヒ)、ロミー・シュナイダー(エリ-ザベト)、トレヴァー・ハワード(ワーグナー)、シルヴァーナ・マンガーノ(コジマ・フォンビューロー)、ゲルト・フレーべ(ホフマン神父)、ウンベルト・オルシーニ(ホルシュタイン伯爵)
音楽:シューマン、ワーグナー、オッフェンバック
 
かなり前におそらく短縮版を見てあまりまとまった印象を受けなかった。今回もう一度とかなり長い完全版を見たが、よりよく理解できたとはいえない。短いものでもよかったのではないかと思う。
やはりヴィスコンティはワーグナーが好きだったようだ。ワーグナーの行動、コジマとのなりゆきは私のきいている事実によく沿っていて、子供を祝福するために階段のところにオーケストラを配した「夜明けとジークフリートのラインへの旅」などはワーグナーへのオマージュをいうか、雰囲気たっぷりでここは楽しめる。
 
ただ全体としてはルートヴィヒのこういう浪費と政治的な無策に抗する関係者との軋轢、それも後者の方がもっともと言える話で、最後は湖での自殺で終わる。
 
もう一つ、ルートヴィヒが国王としてうまくいかないのは彼が同性愛者でみせかけの結婚すらしないことだが、それは想像でわかるように描かれてはいるものの、映像表現ではあまりない。
 
唯一人間的な面を見せるのは婚約者の姉で従姉のエリーザベト(ロミー・シュナイダー)との関係、彼女はオーストリア皇后だからどうしようもないのだが、映画前半の見せ場として味わいがある。性的に愛しあえないとわかっているから距離のある憧れを続けていたともいえる。
 
これは私がロミー・シュナイダーのファンだからでもあるのだが、相手に好意は持ちながら結びつくわけにはいかないそれも外部的要因と内面的要因両方という微妙なバランスの中で演じることにかけて彼女の右に出るものはいない(他にもいくつか作品がある)といったらおおげさだろうか。
 
ヘルムート・バーガーはこれで育ったといえるだろう。トレヴァー・ハワードのワーグナーはイメージぴったりである。
 
ワーグナーの音楽の使い方がうまいのは当然としても、前半のシューマン(子どもの情景など)の適用は秀逸。
ヴィスコンティ作品をそう網羅的に見ているわけではないが、「ベニスに死す」、「夏の嵐」、「山猫」などと比べるとちょっとつらい。「家族の肖像」の方が好きではなくても印象的ではあっただろうか。


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