メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

レールモントフ「現代の英雄」

2024-07-27 17:20:00 | 本と雑誌
レールモントフ: 現代の英雄 
           高橋知之 訳 光文社古典新訳文庫
 
ミハイル・ユーリエヴィチ・レールモントフ(1814-1841) はプーシキンの次の世代、ゴーゴリの少し後だが時期はほぼ重なっている。
 
どうもこの二人、プーシキンが頭にあり生き急いだところがあるかなというのが、私の先入観。
「現代の英雄」というタイトルはロシアに限らずかなり特異な感があったし、書かれた時期も知らなかったから、ロシアの社会主義系の思潮を誤って想像し、手に取ろうとしなかった。
 
さてここに描かれている時代と地域は、プーシキン、ゴーゴリにも出てくるようなカフカス、その周辺で、そこに出入りする武官が主な登場人物として出てくる。これは前世紀後半のプガチョーフの乱に端を発したものが多いのだろうか。
 
本書はなかなか込み入った構成で、作者を想像させるものが出会った武官、彼が出会った武官とそれをとりまく何人かの女性、そして多くは後者武官の手記ということになっている。
 
このところ小説の人称には注意をはらっていてそれが面白いともいえるのだが、本作の手記の位置づけは何故これ?というところも残っている。
 
女性とのやりとり、さやあてなど、近代の小説らしいところもあるが、それに加えて決闘、賭博がかなり重要な要素となっていて、このあたり後のロシアの小説の端緒とも見受けられる。思い切って書き切ったところが魅力だろうか。
 
なお訳者の解説を見るとこれまでにずいぶん多くの翻訳が出ている。案外ロシア文学の研究にこの作品が好む人が大いのかもしれないが、その訳者の中に中村喜和とあった。中村先生には第二外国語としてのロシア語を習っていたが、どうも「現代の英雄」という作品名を先生が教室であげられたことがあったような気がしてきた。


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絵本読み聞かせ(2024年7月)

2024-07-25 14:32:37 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2024年7月
 
年少
おおきなかぶ(ロシア昔話 A.トルストイ再話 内田莉莎子訳 佐藤忠良画)
がたんごとん がたんごとん ざぶんざぶん(安西水丸)
こぐまちゃんのみずあそび(わかやま けん)
年中
おおきなかぶ
きんぎょがにげた(五味太郎)
こぐまちゃんのみずあそび(わかやま けん)
年長
おおきなかぶ
なつのいちにち(はた こうしろう)
そらまめくんのベッド(なかや みわ)

季節性もあるのだが昨年と同じプログラム、子供たちは成長したり、この季節だから当日のメンバも違っていたりはするものの、すんなりうけとっているみたいだった。
 
おおきなかぶを3クラスにというのは、保育士さんから年少組でも注意力がある最初なら大丈夫といわれたので今回も。うけたかどうかというより、こういう話のパターンと佐藤忠良の画の魅力をいろんなレベルで吸収してくれたらだが、たぶんそうなっていると思う。
 
年少、年中とも植物(食べ物)、動物などあんがい認識力はあって、成長は早いなと感じる。
なつのいちにち、そらまめくんのベッドは方向性はちがうけれどそれぞれ教育性も考えて採用しているのだが、素直にうけとってくれたようだ。


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ゴーゴリ「鼻/外套/査察官」

2024-07-15 11:11:44 | 本と雑誌
ゴーゴリ: 鼻/外套/査察官
      浦 雅春 訳  光文社古典新訳文庫
ゴーゴリ〈1809-1852)の作品を読むのは初めてである。作者はプーシキンより一世代後の人、この三作はみな話として奇異なところがあり、面白おかしくはあるが、はてこれは何を言わんとしているのか、簡単には想像できないところはある。
 
「鼻」は、いいかげんな床屋に鼻を切られてしまい、それをさがして動き回る男、鼻がなくても気がつく人も気にする人もおらず、結局鼻は出てくるのだが、作者はこういうことが世間にはあるともないとも言えないという感じで結びとする。
 
「外套」は、着古してもう限界になった外套をどうしようかという下級官吏、仕立て屋とのやり取りはなかなか決着しないがこれが面白く、さて仕上がって喜んでいると追いはぎにあってしまい、苦闘しながら探しまわるのだが、他人はそんなに重大なこととはおもわず、というところは「鼻」と同様。
 
「査察官」は演劇スタイルで、その場面進行をうまく使えるからか、なんともいい加減にみえる人たちの行動が面白おかしくとめどなく続いていく。地方都市の市長を中心にした人たちに入ったどうも中央から査察官が来るらしいといううわさ、それに乗ることになり自分が査察官ということをを否定しないインチキおとこ、どんどんとめどなくなって、市長をめぐる集団のやりとりと進行結末、インチキ男はいくところまでいって、、、という話し。舞台で見たらより面白いだろう。
 
ゴーゴリには「死せる魂」、「狂人日記」などもっと長いものもあり、また「タラス・ブーリバ」などはちょっと違った傾向だろうから読んではみたいのだが。
 
この本は翻訳のスタイルで話題というか議論になったらしい。ちょっととんでもない話だしおそらく話のリズム感を活かすために、訳者は落語調を採用してみたようだ。賛否あるものの、私はこの方が作品の中に入っていけるし、やった甲斐はあると思う。
 
特に「鼻」はとんでもない話なんだけれどショスタコーヴィチがオペラにしていて、観たことがある。なんだかよくわからない不思議でおかしなものだなあと思ったが、今回こうして読んだ後もう一回観てみてもいい。

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三島喜美代 未来への記憶

2024-07-02 17:23:38 | 美術
三島喜美代 未来への記憶
  練馬区立美術館 5月19日(日)~7月7日(日)
 
この展示会の予告まで三島喜美代の名前を知らなかった。扱う対象がチラシだったりゴミだったりでかなり前衛的なのだろうが見に行く気にまでなっていなかったが、日曜美術館アートシーン(NHK)を見て内容そしてご本人のトークなど、これは是非にと最終週になったが見ることにした。
行ってよかったと思う。
 
三島喜美代は1932年生まれだが、最近の映像でみてもトーク、表情は明確で年齢を感じさせない。
初期の絵画を見ると、確かに写実ではないが、抽象も立体的なものがあったり、コラージュもシャープである。
 
新聞や雑誌の中の記載を彼女が作る陶器に移したさまざまな集積、塊が数多く並んで出てくる。その量、エネルギーが、少数の作品を見るよりやはりこうしてこの数量を並べて見ると印象はちがってくる。それにしても予想以上に大きなものがある。
 
缶飲料の飲み終わった容器を集めて何かということを考えた人はいたかもしれないが、この人はそれをすべて陶器で作った(口があいてつぶされた)ということで強い印象が残る。
 
最後の一部屋に様々な新聞記事などが転写されたレンガ(状のもの)を敷き詰めた巨大なインスタレーション(20世紀の記憶)はすべてを詳細に見ることは実際不可能でも、それまでの三島の作品たちとその軌跡を見れば、しっかり受け止められるものであった。

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