メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リバティ・バランスを射った男

2017-01-26 14:58:56 | 映画
リバティ・バランスを射った男 (The man who shot Liberty Balance、1962米、123分)
監督:ジョン・フォード、音楽:シリル・モックリッジ
ジェームズ・スチュワート(ランス)、ジョン・ウェイン(トム)、ヴェラ・マイルズ(ハリー)、リー・マーヴィン(リバティ・バランス)
 
この映画、日本に入ってきて上映されていたのは知っていたが、これまで見ていなかった。
まだ各州の体制が整ってない時代のアメリカ、おそらく中西部の田舎町を東部から来た弁護士ランスが駅馬車で通る途中、リバティ・バランス率いるならず者の一隊に襲われ重傷を負う。見つけて保護したのが近くの牧場主トムで、彼の恋人ハリーが務める飲食店で世話させる。バランスもトムも早打ちの名人。
 
ランスはこういう状況でも、あくまで法の正当な行使で何とかしようとし、またハリーをはじめ読み書きができない人たち、子供たちにそれを教える。そして州に代議員を決めて送り出すところに、現体制を維持しようとするここらの牧場主の意を介したと思われるバランス一味がぶち壊しにかかるが、さて法を説くか、その限界は、、、というところで「映画タイトル」という話になる。
 
この映画は、その後何十年か経って出世したランスがこの町を久しぶりにに訪れ、その理由がトムの葬儀ということで、人々はこんな人がトムの葬儀だけにきた?と怪しむのだが、そこでランスが語りだすという始め方をして物語となり、最後に葬儀が終わって、また彼が思いを告白という形をとっている。それがこの物語に奥行と、見ているものに謎(結果としてわかる)を提示していて、娯楽映画としてもすぐれたものとなっている。
 
ジョン・フォードはこのころまだモノクロが多かったのだろうが、セットも大規模ではないし、製作費は少ないように見える。同じジョン・ウェインでもアラモ(1960)、アラスカ魂(1960)、ハタリ(1962)などを映画館でカラーで見ている私は、はてなと思うのだ。
 
さて、これを今見ていると、トランプが大統領になったこともあるのか、まっとうな共和党員、支持者、しっかりしろ、という感じも出てくる。それはもっと後にクリント・イーストウッドが作った「グラン・トリノ」(2008)を先日見たときの感にも通じる。
 
結局ハリーはランスといっしょになるのだが、それはトムが悪いのではない。トムはこの地のやはり理想の男、そして演じるジョン・ウェイン、この映画が一番かっこいいのではないか。
ジュームズ・スチュワートもこの役にはぴったり。二人とも撮影時は50代で、役の想定はおそらく30代なのだろうが、不思議に違和感はない。
 
リー・マーヴィンはこの映画から、個性派俳優としてさらに有名になったらしい。それはうなずける。
 
話は変わるけれど、このタイトルの記憶が鮮明なのは同名の歌のせいである。当時日本でもヒットチャートに入っていて、ラジオで随分流れていた。見る前は映画の中で使われているのかと思ったが、そうではなかった。最後のクレジットでも使われていない。調べてみたら、おそらく予告編にあわせ、タイアップとして使われたのではないか、ということであった。確かにこの映画の調子には合わないかもしれない。
でも好きな曲で、もったいないといえばそう。なにしろ、曲はバート・バカラック、詞はハル・デヴィッド、歌はジーン・ピットニー、今にしてみれば豪華なメンバーである。バカラックはピットニーを評価していて、彼の自伝のなかでも何回か言及していた。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章

2017-01-21 16:19:23 | 映画
マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章(The Second Best Exotic Marigold Hotel、2015英・米、123分)
監督::ジョン・マッデン、脚本:オル・パーカー、音楽:トーマス・ニューマン
テヴ・パテル(ソニー)、ティナ・デサイ(スナイナ)、ジュディ・デンチ(イヴリン)、マギー・スミス(ミュリエル)、ビル・ナイ(ダグラス)、リチャード・ギア(ガイ)、リレット・デュベイ(ミセス・カブー、ソニーの母親)
 
マリーゴールド・ホテルで会いましょう(2011)の続編である。前編は、老後をのんびりすごそうと老人たちがやってきたホテル、実はつぶれかけていて、それをある若者(ソニー)がさも素晴らしいホテルであるかのように言いつくろっていて、そこからはじまるどたばたの後、気がついてみるとインドというものと、お互いの交わりから出てくるものから、次第に居心地よくなっていく、というものであった。
 
そこへ行くと本編では、老人同士、特に男女のやりとりと相互の理解、そしてホテルをきりもりするソニーと婚約者の顛末、ホテルの発展を意図した資金調達の鑑定人と思われるガイとソニーの母親の話、これらが目まぐるしく入れ替わり進んでいく。
テンポは早く、だれないけれど、見ているとあれっこれどうなっているんだっけということが随所に出てきてしまう。それでもそれが理解に致命的なものとはならない。
 
フィナーレは前編と同様、大団円にあるといえばそうなのだが、もう一人の登場人物としての「インドなるもの」があまり感じられないところはある。繰り返し現れるタクシー運転手とのやりとり、いつも入れないではいられないダンス、これらがこの映画を娯楽映画としてはまずまずのものに仕立てている。
 
ジュディ・デンチ、マギー・スミス、ビル・ナイ、名優たちだからこのくらいはできるだろう。マギー・スミスは最近TVでかなりよく見ている(ダウントン・アビーのシリーズ)せいか、なんか同じようだなという感はつきまとう。そこへいくとジュディ・デンチやビル・ナイはちょっとわかりにくいキャラクターをうまく演じているようだ。
 
リチャード・ギア、この人こういう地味な、ちょっと後ろに引っこんだ役もうまくやる人になった。
  
ソニーと婚約者、ソニーの母親は、今回うまく表に出てきた。世代の移り変わり(筋の中で)といえばそうなんだろう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロッシーニ「セビリアの理髪師」(グラインドボーン2016)

2017-01-12 16:32:52 | 音楽一般
ロッシーニ:歌劇「セビリアの理髪師」
エンリケ・マッツォーラ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、演出:アナベル・アーデン
ビョルン・ビュルガー(フィガロ)、ダニエル・ドゥ・ニース(ロジーナ)、テイラー・ステイトン(アルマヴィーヴァ)、アレッサンドロ・コルベルリ(バルトロ)
2016年6月17日、21日 グラインドボーン音楽祭歌劇場、2016年11月 NHK BSPre
 
大げさな言い方だが、この上演でようやく「フィガロの結婚の結婚」の呪縛から抜け出た感じがする。
 
いうまでもなく「セビリアの理髪師」は「フィガロの結婚」の前日譚ともいうべきもの、つまりアルマヴィーヴァ伯爵がロジーナをゲットするまでの話で、ロジーナの後見人バルトロ、音楽教師バジーリオ、そして何でも屋の理髪師フィガロがここでも登場する。
 
フィガロより後に作られたということもあって、見る方は伯爵家の情景が頭にあるし、それは演出する側にもあるだろう。メトロポリタンのよくできた上演でも、ディドナートの見事なロジーナともども、何か上品なところはあった。セビリアの市井の人たちの中にアルマヴィーヴァが入ってくるわけだが、ロジーナは二階の窓の令嬢のイメージ(箱入り)のイメージが強い。
 
ところがこの上演では、まず舞台装置がコンパクトによくできていて、上と左右がはっきり縁取りされており、背後が紺地になかなか素敵な花と葉(?)のデザインされたものになっている。人間関係、そのやりとりがわかりやすい室内劇のドタバタに終始するから、連想するのはあのコメディア・デラルテ。考えてみれば、ロッシーニの「ラ・チェネレントラ(シンデレラ)」、「オリー伯爵」そしてドニゼッティの「ドン・パスクワーレ」などとこの「セビリアの理髪師」は同類といえなくもない。
 
この演出、演奏はそういう流れで楽しく見ることができる。ロジーナ、フィガロ、アルマヴィーヴァ、皆はじけている。
 
フィガロとアルマヴィーヴァは姿も似ていて、何かいたずらを一緒にやっている雰囲気で、動きもいいし、歌も軽快である。
ロジーナ役のドゥ・ニースは元気はつらつで、ロッシーニのこの種の主役そのもの。そしてロッシーニは多くの作品で最期に女性が自立してしあわせをつかむという形に持っていくが、ここでもそう。それに彼女はぴたりとあっている。
 
指揮者が舞台上の人たちとかけあう場面がいくつか設定されており、そのこなしと軽快なブリオで通したマッツォーラの指揮もよかった。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴェルサイユの宮廷庭師

2017-01-11 14:52:52 | 映画
ヴェルサイユの宮廷庭師(A Little Chaos、2014英、117分)
監督:アラン・リックマン
ケイト・ウィンスレット(サビーヌ・ド・バラ)、マティアス・スーナールツ(ル・ノートル)、アラン・リックマン(ルイ14世)、ヘレン・マックローリー(マダム・ル・ノートル)
 
ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を作らせたときの庭師がル・ノートルという人であったということは聞いていた。その下にいた女性庭師(バラ)の話で、どこまでが本当かわからないが、面白い設定である。
 
これまでにない大きな庭園だから、助手が必要ということで募集をする。バラも応じるが、秩序を第一とするル・ノートルの方針とはちがう違うイメージを彼女は持っていて、それが明らかになって合格はあきらめていたのだが、自分の世界にちがう分子を入れることを考えたル・ノートルは彼女を採用する。
 
それからの、難航する工事、宮廷の権謀術数、愛人関係などがからんで、なかなかうまくいかない中で、まっすぐ筋を曲げない彼女が苦労しながら、少しずつ成功していく、というところは予想通り。
ドラマチックではないが、一つの山は、ルイ14世に初めて公式に拝謁し、薔薇の本質について述べるところ、植物の生命の本質と美を言いえて妙である。
 
造営プロジェクト自体の完成までの困難とその克服というものは映画では描き切れていない。映像的に(まあ予算的にも)無理だったか。今ならドローンで撮影してCGという手もあるはずだが、それはこの脚本とは本質的にずれているということか。
宮廷の一室で、女性ばかりが集まって盛り上がっているところに、初めて参内したバラが案内される。この場面、大奥というか今の女子会というか、面白おかしく作られている。
 
アラン・リックマンは俳優としてよく見ていて、幅のひろい名優だが、監督は2作目とか。本当はもっと起伏のある映画で見てみたい。またルイ14世役は、風貌特に恰幅が立派すぎるけれど、台詞のないところの演技もふくめなかなかである。
 
ケイト・ウィンスレットは若いころのイメージからすると、どんどんいい俳優になってきていて、ここでもパワフルであるところと、前夫と娘を亡くしたときのことに苦しみ続けていることの相克を、よく受けとめた演技になっている。
 
ル・ノートル役のスーナールツは知らない人で、ちょっと線が細い感じだが、役柄には合っているだろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クロフツ「樽」

2017-01-03 14:49:08 | 本と雑誌
樽:クロフツ 霜島義明 訳 創元推理文庫
 
このところ題名だけは知っている推理小説をときどき読んでいる。観念的なことが書かれている本を読むのにそろそろ疲れてきたこともあって、読書の習慣にはこういうものが入ってきている、とも言える。
 
フリーマン・ウィルス・クロフツ(1879-1957)が1920年に発表した作品。死体が詰め込まれた謎の樽がドーヴァー海峡を行ったり来たりというのは、きいていたとおりで、その事件に対する警察と、容疑者とされた側の弁護人・探偵たちの捜査、その進行が描かれている。
 
本当の最後は別として、あまり怖い人、話はなくて、捜査の関係者は常識を持って丁寧に仕事をしていく。かなり込み入ったアリバイ、それのくずしであり、私のように特に推理小説が好きとわけではないものには、最初めんどうな感じはあっても、出てくる人たちの行動、会話が前記のようだから、なんとか読み進めていけた。章・節割りが、適度に短いのもいい。
 
この時代の交通、電話など、案外進んでいたのかなとも思うから、推理小説の発展がはじまり、その古典の黄金時代になったというのもなるほどである。
後半登場する探偵が最初はあまりシンパシーを感じない人と見せて、だんだん読者を引き込んでいくのは、著者の意図と仕掛けだろうか。
 
原題はThe Caskで、同じ樽でも大きなものはbarrel、小さな方がcaskであるようだ。前者はビール、後者はウィスキーだろうか。原油の単位もこの大きい樽からだろう。最近よく聞くカスクは自転車なんかの軽いヘルメットだが、これも形状からか。
 
クロフツには、有名なフレンチ警部シリーズがあるから、いずれ読んでみよう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする