メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ショパンのワルツ

2022-07-31 16:38:21 | 音楽一般
ショパンのワルツ作品64の2(順番でいくと第7番)をなんとか弾けるようになった。
 
ピアノは子供の時からまともに習ったわけでなく、大人になって自己流でやってみたけれどすぐに限界となり、歳を重ねてからいわゆる大人のピアノというレッスンコースに入った。
 
このワルツ、いずれは弾きたい、かなり無理な練習をかさねてもと思った曲の一つである。通しでかかる時間はプロと比べると相当長くなるけれど、こっちの感覚はなんとかこの音楽を歌っているというか、満足感はある。

指示されたとおり、ゆっくり右手だけ、左手だけではじめ、左右苦労しながらあわせてという感じだった。曲のきもとなるフレーズ、指の動きなど、なかなか様にならないこともあったし、何回もでてくる下降アルペジオの繰り返しなど、しばらくは間違えて当たり前、またフレーズのつなぎの音を覚えるのも難しかった。
 
ただそれが少し出来てきてみると、なぜこんな音の並び、飛びなど、このようにしたのか、作曲家が語りかけてくるような感じがして、うれしくなった。
これはショパンの晩年の曲で、舞踏会用ではなく、メランコリックなトリオ部分もあるが、音大ピアノ科レベルの人ならだれでも初見で弾けるだろう。ただその時、私が今回感じたよろこびはないかもしれない。
 
多少参考にした録音は手元にあったリパッティ、アシュケナージ、ルービンシュタイン。この歳になって弾いてみると、若いころあまり鮮やかに聴こえなかったルービンシュタインの演奏がしっくりきた。
何回も出てくるアルペジオの入り方の微妙なアクセント、ラグ、終盤のデクレシェンド、リタルダントをかなり前からはじめ見事に着地するところなどは、やってみようとしたけれど、技術的には難しくないはずだが、これができない。不思議なものである。

実は8年間ほどジャズピアノコースで、左手はコード(和音)だけというかたちで、それでも発表会では、アドリブを入れ(といっても即興は無理で、作曲して楽譜にしたもの)、ベース、ドラムスの講師の方とトリオをやれたのは楽しかった。

ただ、テキストが次の段階になると左手がもっと動かないとまるでだめということになり、ちょうどコロナでソロのことだけ考えて練習を続けるのには、クラシックに移るのもいいだろうと2年前に考えたわけである。
 
一方でこのワルツで根を詰めてやりすぎたこともあるから、この曲は時々弾きながら、もう少し短くてやさしい曲に取り掛かろうと考えている。
 
とにかくショパンに感謝である。
 



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廣野由美子「小説読解入門」

2022-07-28 15:57:04 | 本と雑誌
小説読解入門 『ミドルマーチ』教養講義
廣野由美子 著  中公新書
 
しばらく前にこの著者の「批評理論入門」をたいへん興味深く読み、その題材となっている「フランケンシュタイン」(メアリー・シェリー)をよく理解し楽しむことができたように思う。
 
これは物語の人称、語り、手記、手紙などの構造から、作品のいろいろな面を解明していくといった手法で、なるほどと思わせるところがあり、その後他の物語を読むときにも多少意識するようになった。
 
本書はさらに小説の技法として語り手、会話、手紙から意識の流れ、ミステリー、サスペンスなどいろんな面について、また宗教、経済、社会、政治、犯罪、芸術などなど作品のなかにある、また作者が意識した要素についてみていくことについて、講じられている。
 
ここで題材として採用されたのはジョージ・エリオット(1819-80)の「ミドルマーチ」というかなりの長編である。作者名はペンネームで実は女性、ほぼ同時代のイギリスの地方都市(ミドルマーチという仮名)においてある女性を中心にさまざまな人々の人間模様が描かれている。
 
この講義の題材としては適当だったようだし、本国では評価も高いらしい。ただし、前著にくらべると話の中身と様々なカテゴリということだから、なるほどという以上にこの作品以外にも広がっていく視点として興味がわいてくるというほどではない。
 
「ミドルマーチ」は読んでいないが、こうして解説されてみて、先の「フランケンシュタイン」のように読むかというと、たぶんそうはならないだろう。イギリスで連続TVドラマが作られたそうで、それは観てみたい。
 
エリオットはあの1800年代初めのイギリスに輩出した優れた女性作家たち、ブロンテ姉妹、メアリー・シェリー、ジェイン・オースティンなどの作品と比べると、地味というか小説としての面白さを追求したという部分が少ないように思う(この本からの推察だが)。それは価値を減ずるものではないにしても。
 
そういうことを考えさせてくれたということで、本書を読んだ意味はあるかもしれない。


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「エレクトラ」追加

2022-07-18 18:13:38 | 音楽一般
昨日にアップした「エレクトラ」、書き忘れたことを一つ。
 
この一家、父母と姉妹、弟の家族だが、このところいろいろ読んでいるエマニュエル・トッドの家族システム論、つまり国、地域などで家族システムにちがいがあり、それは個人、家族、集団の行動を基本的なところで規定している、ということからすれば、このオペラも、台本、作曲、演出、観る人それぞれの家族システムを思い浮かべると、面白いかもしれない。

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リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」

2022-07-16 16:32:40 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」
指揮:ケント・ナガノ、演出:ドミートリ・チュルニャコフ
ヴィオレタ・ウルマナ(クリテムネストラ)、アウシュリネ・ストゥンディーテ(エレクトラ)、ジェニファー・ホロウェイ(クリソテミス)、ラウリ・ヴァサル(オレスト)、ジョン・ダジャック(エギスト)
2021年12月11日 ハンブルク国立歌劇場 2022年7月NHK BSP
 
シュトラウスの歌劇として、比較的初期に評判になったものは「サロメ」だが、そのすぐあとがこの「エレクトラ」で、ここから台本はホフマンスタールとなり、晩年までこのコンビで多くの傑作が生みだされた。
 
ただ私からするとこのエレクトラ、つまりギリシャの話で、トロイア戦争から帰還したアガメムノンが、妻クリテムネストラと不貞の相手エギストに殺される。夫婦にはエレクトラとクリソテミスの姉妹とその弟オギストの、三人の子供がいた。
 
オレストは追い出されており、クリソテミスは不幸な経緯はともかく女として幸せになりたい。ただ一人エレクトラだけが周囲からのけ者にされながら復讐を誓い続けていて、物語の進行はエレクトラと母クリテムネストラのやり取りというかいがみ合いが主となる。
 
ここでまず母親役の存在感、強さが要求されるわけで、メゾの大物が起用されることが多い。それに対抗するエレクトラも、そんなに聴いたり見たりしてはいないがやはりワーグナー作品の主役をやるようなソプラノ、例えばニルソンなどが思いうかぶ。
ただそうなると、これまでの「エレクトラ」印象は激しい、言い方は悪いが疲れるといったこともあった。それが今回のエレクトラ役ストリンディーテは母親よりかなり体躯も小さく、歌も若い女性らしいところもあり、聴いていてこれまでより理解が進むところがあった。
 
母親に対する怒り、怨念ばかりでなく、自分の中に入ってくる父親というものの存在、それが途切れてしまったことの絶望、そういうコンプレックスがうまく表出された歌唱だった。
 
演出のチェルニャコフという人はかなり問題児らしく、母と娘の対決時の道具、動きも大胆だが、終末近くから姉妹、弟の近親相姦的な面を表に出す演出で、通常は復讐を遂げたエレクトラが踊り狂って倒れるところで終わるのが、三人の性的関係が暗示以上の表現になっていた。見ている側として、どこのあたりでフィナーレとするのか、自らどうにかしなければならないのかもしれない。
 
舞台、衣装などは近・現代になっており、ギリシャ悲劇という感じは全くない。オペラとしてはこの方がいいのかもしれない。
 
ケント・ナガノの指揮、激しく雑になりかねない音と流れを、うまくもっていったと思う。この作品、それまでのいくつかの激しいフレーズがまた出てきて後やわらかい音と流れで包まれ聴く者の記憶に残るという、少しあとの「バラの騎士」で聴かれるところが、すでに「エレクトラ」でもあったということに気がついたのも、ナガノの指揮によるものだろう。

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