ショパンのワルツ作品64の2(順番でいくと第7番)をなんとか弾けるようになった。
ピアノは子供の時からまともに習ったわけでなく、大人になって自己流でやってみたけれどすぐに限界となり、歳を重ねてからいわゆる大人のピアノというレッスンコースに入った。
このワルツ、いずれは弾きたい、かなり無理な練習をかさねてもと思った曲の一つである。通しでかかる時間はプロと比べると相当長くなるけれど、こっちの感覚はなんとかこの音楽を歌っているというか、満足感はある。
指示されたとおり、ゆっくり右手だけ、左手だけではじめ、左右苦労しながらあわせてという感じだった。曲のきもとなるフレーズ、指の動きなど、なかなか様にならないこともあったし、何回もでてくる下降アルペジオの繰り返しなど、しばらくは間違えて当たり前、またフレーズのつなぎの音を覚えるのも難しかった。
ただそれが少し出来てきてみると、なぜこんな音の並び、飛びなど、このようにしたのか、作曲家が語りかけてくるような感じがして、うれしくなった。
これはショパンの晩年の曲で、舞踏会用ではなく、メランコリックなトリオ部分もあるが、音大ピアノ科レベルの人ならだれでも初見で弾けるだろう。ただその時、私が今回感じたよろこびはないかもしれない。
多少参考にした録音は手元にあったリパッティ、アシュケナージ、ルービンシュタイン。この歳になって弾いてみると、若いころあまり鮮やかに聴こえなかったルービンシュタインの演奏がしっくりきた。
何回も出てくるアルペジオの入り方の微妙なアクセント、ラグ、終盤のデクレシェンド、リタルダントをかなり前からはじめ見事に着地するところなどは、やってみようとしたけれど、技術的には難しくないはずだが、これができない。不思議なものである。
実は8年間ほどジャズピアノコースで、左手はコード(和音)だけというかたちで、それでも発表会では、アドリブを入れ(といっても即興は無理で、作曲して楽譜にしたもの)、ベース、ドラムスの講師の方とトリオをやれたのは楽しかった。
ただ、テキストが次の段階になると左手がもっと動かないとまるでだめということになり、ちょうどコロナでソロのことだけ考えて練習を続けるのには、クラシックに移るのもいいだろうと2年前に考えたわけである。
一方でこのワルツで根を詰めてやりすぎたこともあるから、この曲は時々弾きながら、もう少し短くてやさしい曲に取り掛かろうと考えている。
とにかくショパンに感謝である。
ピアノは子供の時からまともに習ったわけでなく、大人になって自己流でやってみたけれどすぐに限界となり、歳を重ねてからいわゆる大人のピアノというレッスンコースに入った。
このワルツ、いずれは弾きたい、かなり無理な練習をかさねてもと思った曲の一つである。通しでかかる時間はプロと比べると相当長くなるけれど、こっちの感覚はなんとかこの音楽を歌っているというか、満足感はある。
指示されたとおり、ゆっくり右手だけ、左手だけではじめ、左右苦労しながらあわせてという感じだった。曲のきもとなるフレーズ、指の動きなど、なかなか様にならないこともあったし、何回もでてくる下降アルペジオの繰り返しなど、しばらくは間違えて当たり前、またフレーズのつなぎの音を覚えるのも難しかった。
ただそれが少し出来てきてみると、なぜこんな音の並び、飛びなど、このようにしたのか、作曲家が語りかけてくるような感じがして、うれしくなった。
これはショパンの晩年の曲で、舞踏会用ではなく、メランコリックなトリオ部分もあるが、音大ピアノ科レベルの人ならだれでも初見で弾けるだろう。ただその時、私が今回感じたよろこびはないかもしれない。
多少参考にした録音は手元にあったリパッティ、アシュケナージ、ルービンシュタイン。この歳になって弾いてみると、若いころあまり鮮やかに聴こえなかったルービンシュタインの演奏がしっくりきた。
何回も出てくるアルペジオの入り方の微妙なアクセント、ラグ、終盤のデクレシェンド、リタルダントをかなり前からはじめ見事に着地するところなどは、やってみようとしたけれど、技術的には難しくないはずだが、これができない。不思議なものである。
実は8年間ほどジャズピアノコースで、左手はコード(和音)だけというかたちで、それでも発表会では、アドリブを入れ(といっても即興は無理で、作曲して楽譜にしたもの)、ベース、ドラムスの講師の方とトリオをやれたのは楽しかった。
ただ、テキストが次の段階になると左手がもっと動かないとまるでだめということになり、ちょうどコロナでソロのことだけ考えて練習を続けるのには、クラシックに移るのもいいだろうと2年前に考えたわけである。
一方でこのワルツで根を詰めてやりすぎたこともあるから、この曲は時々弾きながら、もう少し短くてやさしい曲に取り掛かろうと考えている。
とにかくショパンに感謝である。