プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
指揮:ステファーノ・ランザーニ 演出:フランコ・ゼフィレッリ
ヴィットーリオ・グリゴーロ(ロドルフォ)、クリスティーヌ・オポライス(ミミ)、スザンナ・フィリップス(ムゼッタ)、 マッシモ・カヴァレッティ(マルチェッロ)、パトリック・カルフィッツィ(ショナール)、オレン・グラドゥス(コルリーネ)、ドナルド・マックスウェル(ブノア)
2014年4月5日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2015年7月WOWOW
久しぶりに、好きなボエームである。3年ほど前にもザルツブルグでの上演、についてアップした。演奏もよかったし、舞台を現代に設定した演出も受け入れられるものだったが、やはり時々は長期にわたって定番となっているゼフィレッリ演出を見たくなる。そしてこれはメトだから、やはり見栄えがしていい。
今回ミミ役のオポライスは、当日突然依頼された代役だそうだ。それも前日同じプッチーニの「蝶々夫人」のタイトル・ロールをやり、高ぶって朝まで寝つけず、ようやく寝た少しあとに電話でその日のマチネーで「ラ・ボエーム」のミミが急病、なんとかやれないか、ということだったようだ。
それを知っていても、そんな感じは微塵もない。想像だが、ちょっと暗めの声がそうなんだろうか。でも、透明感のあるミミより、むしろこういう方が、ドラマにあっているようにも感じる。最初に屋根裏部屋、雪景色の場面、最後の場面、まぎれもなくプッチーニでありながら、歌唱は透明感があるというよりいい意味でリリックよりドラマチックの方に少し振れている。容貌も似合っている。
グリゴーロのロドルフォは偉大なテノールという感じではないが、真っ直ぐな中に苦悩が感じられるもの。
そしてムゼッタのフィリップス、プッチーニはこのパートにもっとも際立った音楽を書いていて、それを十分に歌い出している。ムゼッタの苦悩は、ミミのそしてロドルフォの苦悩の前触れになっている。
ランザーニの指揮は、冒頭の場面こそ急ぎすぎに聞こえたが、そのあとはこの作品の魅力を十分に出していたといえるだろう。
さてもう40年近くまえになるけれど、「若い人はクリスマスから年末くらいは「ラ・ボエーム」を聴いてほしい」と、確か音楽評論家の三浦敦史氏が書いていて、その対象となっていたレコードがフレーニ、パヴァロッティ、パネライ、ギャウロフ、カラヤン指揮ベルリン・フィル、というちょっとありえないドリーム・キャスト。今にして思うと、こういうものを作らせてしまう力が「ラ・ボエーム」にはあるのだ。中でもプッチーニにベルリン・フィルというのは驚きだった。でもあの冒頭の屋根裏部屋で男たちが暖を取るために各々の創作を火にくべるところの音のパレット、ミミが息絶えロドルフォだけが遅れて気づきマルチェロの「コラッジョ」の後にオーケストラのすさまじい慟哭が聴く者を打ちのめす、これらはその後のボエームに大きな影響を与えたと思う。
指揮:ステファーノ・ランザーニ 演出:フランコ・ゼフィレッリ
ヴィットーリオ・グリゴーロ(ロドルフォ)、クリスティーヌ・オポライス(ミミ)、スザンナ・フィリップス(ムゼッタ)、 マッシモ・カヴァレッティ(マルチェッロ)、パトリック・カルフィッツィ(ショナール)、オレン・グラドゥス(コルリーネ)、ドナルド・マックスウェル(ブノア)
2014年4月5日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2015年7月WOWOW
久しぶりに、好きなボエームである。3年ほど前にもザルツブルグでの上演、についてアップした。演奏もよかったし、舞台を現代に設定した演出も受け入れられるものだったが、やはり時々は長期にわたって定番となっているゼフィレッリ演出を見たくなる。そしてこれはメトだから、やはり見栄えがしていい。
今回ミミ役のオポライスは、当日突然依頼された代役だそうだ。それも前日同じプッチーニの「蝶々夫人」のタイトル・ロールをやり、高ぶって朝まで寝つけず、ようやく寝た少しあとに電話でその日のマチネーで「ラ・ボエーム」のミミが急病、なんとかやれないか、ということだったようだ。
それを知っていても、そんな感じは微塵もない。想像だが、ちょっと暗めの声がそうなんだろうか。でも、透明感のあるミミより、むしろこういう方が、ドラマにあっているようにも感じる。最初に屋根裏部屋、雪景色の場面、最後の場面、まぎれもなくプッチーニでありながら、歌唱は透明感があるというよりいい意味でリリックよりドラマチックの方に少し振れている。容貌も似合っている。
グリゴーロのロドルフォは偉大なテノールという感じではないが、真っ直ぐな中に苦悩が感じられるもの。
そしてムゼッタのフィリップス、プッチーニはこのパートにもっとも際立った音楽を書いていて、それを十分に歌い出している。ムゼッタの苦悩は、ミミのそしてロドルフォの苦悩の前触れになっている。
ランザーニの指揮は、冒頭の場面こそ急ぎすぎに聞こえたが、そのあとはこの作品の魅力を十分に出していたといえるだろう。
さてもう40年近くまえになるけれど、「若い人はクリスマスから年末くらいは「ラ・ボエーム」を聴いてほしい」と、確か音楽評論家の三浦敦史氏が書いていて、その対象となっていたレコードがフレーニ、パヴァロッティ、パネライ、ギャウロフ、カラヤン指揮ベルリン・フィル、というちょっとありえないドリーム・キャスト。今にして思うと、こういうものを作らせてしまう力が「ラ・ボエーム」にはあるのだ。中でもプッチーニにベルリン・フィルというのは驚きだった。でもあの冒頭の屋根裏部屋で男たちが暖を取るために各々の創作を火にくべるところの音のパレット、ミミが息絶えロドルフォだけが遅れて気づきマルチェロの「コラッジョ」の後にオーケストラのすさまじい慟哭が聴く者を打ちのめす、これらはその後のボエームに大きな影響を与えたと思う。