ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

大の大人が公衆の面前で泣いているって。

2016-03-07 | 雑念
泣いた。

涙が頬を伝う。
涙腺が緩んでいるとは思わない。
まだそこまで老いていない。

ショッピングモールのフードコート。
コーヒーを飲んで優雅に過ごす。


僕の名前はこの犯罪を犯してしまう少年と同じである。それが理由で手に取ったこの小説がここまで心を揺さぶるとは思わなかった。

同じ名前という理由で感情移入も早いのだが、
生い立ちは少なくとも僕のそれとは似ても似つかないほど酷いものだ。

でもその恐怖心、残虐性は人間の普遍的な好奇心をそそり、読み進むうちに僕はまるで自分の皮膚にその切り傷やミミズ腫れが浮き出してくるように感じた。

虐待を受ける北斗は、心を失われていく。

その不幸な生い立ちとは別に
その少年は容姿端麗であり、
その影のある風貌が女子には好感を持って受け入れられていた。その境遇の儚さがまた心を奪う。

前半の虐待から犯罪までと
後半の裁判の構成も僕のリズムとピッタリ合い、
そのストーリーと心の叫びが染み込んでくる。

クライマックスの北斗の言葉に
僕はこのショッピングモールの明るい日差しが差し込む、ある春の晴れた日に涙を流してしまう。

比喩じゃない!

本当に両の目から二筋の涙が溢れてしまう。

拭う。

普通に拭う。

イヤホンで外界の音がシャットアウトされているので
「あの人泣いてるんじゃない?」とか言われていても分からない。

普通に僕はこの平和な場所で泣いている。

小説で泣いたのはいつ以来だろう。

もう一度最初から読んでみよう。

石田衣良著「北斗 ある殺人者の回心」
星5つ★★★★★

情報をキチンと獲る。チキンは嫌。

2016-03-07 | 雑念


春への兆し。
気温も高い。

FBを見ている自分が嫌になり
再び(?)、いや何度目かの閉鎖を思い立った。
僕は何を求めているんだろう?

結局、寂しいだけじゃないのだろうか。
寂しさ、空虚な時間を埋めるだけ。

いつ見ても自分が求めるものが、そこにはない。

つまり「ない」のだ。

僕は今、テレビを観ない。
テレビを観ている自分が嫌だから。
観たい番組だけスパッと見る分にはいい。

昨夜もR-1グランプリが観たくてその時間だけテレビの前に座った。CMが新鮮に見えた。

FBも同じ感覚に。
観たい情報だけを見られればそれでいいのに
次から次と必要もない情報も目に入ってくる。

「求めている」から「不必要」が目につく。

対してTwitterは

「求めてない」から「発見」できる。

その違いだと思う。
FBにおける友人との署名制がもたらす副作用である。

ネット社会における「匿名性」は社会的な問題になっている。

僕は匿名性容認派である。

匿名性を主張している人は大抵「つまらない人」である。(僕にとって)

FBで出来ることは現実社会で出来る。会って話せばいい。メールでやり取りすればいい。そもさもその関係は友達ではなく、名刺交換だけのビジネス関係である。

そしてアプリから「利用解除」を選び、コマンドを打つ。

そして完了した。

そう思って確認したら
ログインしたら再開するのだ。

僕はまたFBを再開してしまった。
それも2回くらい。

PCで利用解除しないとダメか?

もうアプリを開かない方が得策かも。
ということでアプリを開かないようにします。

大変な世の中だ。
一度登録すると辞めにくい。

携帯会社があの手この手で自分の携帯会社に契約させる意味がわかる。

新聞の勧誘、ネット通信会社の勧誘、保険の勧誘、消費者金融の勧誘、店舗の会員登録

全てが入会しやすくてお得
ただし解約は精神的にも物理的にも厄介である。

僕は自分の目や耳に届く情報を取捨選択したい。

知りたくないことを、知りたくないのだ。

当たり前のことだ。

ニュースもポッドキャストか、ネット番組を選んで観ている。

イベント情報もコンビニのチケット情報か検索で。

知りたい情報を、自ら獲りにいく。

情報ハンター

ブロイラーの鶏にはなりたくないのだ。
この意識をするだけで、
脳が正気を保つ。

僕は情報ハンターでありたい。

脳が壊死してしまう前に。