先日の寝不足の熱い夜
僕を罵る言葉の端々に僕への評価がたくさんあって、それを僕は今振り返り味わっている。
<冒険教育と僕についての評価>
①「センスがある」
僕は他人から見て、その冒険教育に対する指導のセンスがあるというのだ。
ここは僕は完全否定していた。
センスはトレーニングして鍛えるものだという持論があるから。その当時に僕にセンスが備わっていたとは到底思えないからだ。
どこをどう見てセンスがあるって思っていたんだろう。
確かに僕は小学~高校まで野球部で、他人を見て「こいつ野球のセンスが抜群にあるな」と自分が野球センスがなくても感じることが出来た。
それは誰もが平等に感じることができる。
つまり「一連の動きに無駄が少ない」「目に見えて動きに美しさが感じられる」などの感覚である。
僕も試合の時に強豪校の守備や打撃の姿に惚れ惚れしていたものである。
そういう他人のセンスある動きに見とれてしまう。
北斗の拳ならば、あのナルシスト、ユダがライバル、レイの動きに「美しさ」を感じながら倒され、レイに抱かれて死んでいくかのように。
圧倒的敗北、鮮烈な格差、非情な嫉妬が入り混じる。
絶対に自分には辿り着かない神の領域。
それほどの印象を僕は本当に相手に与えていたのだろうか?
僕が思うに当然、その人の「勘違い」である。
僕にはそこまでの「指導センス」があるわけがない。
ただひたすら本を読んで、師匠の言葉を噛み締めながら真似をし、参加者を楽しませて、そして何かを伝えようと必死だった。
只々ガムシャラだったのだ。
それが「センスがある」という簡単な言葉で片付けられるのもあまりしっくりこないのだ。
僕は、僕の影響力にうち震えだす。
②「影響力がある」
これも言われた。
いや、影響力が僕にあるわけがない。
今の現状を見れば歴然としている。
僕が嬉野に帰ってこようと誰も何も変わらないし、ただただ久しぶり!ってなもんだ。
現担当者に挨拶しても、指導経験の少ない大学生とほぼ同格の扱いを受ける。そして隣で大きな声で鬼ごっこをするのだ。
影響力の大きさなんて……
すると静かに、ある人が「影響力は確かにある。それは自覚しないと」と言うのだ。
その本気度にビビった。
芸能人は影響力があるから麻薬などの薬物に手を出すと厳罰に処して社会的な規範を高めるという話を聞く。
つまり良くも悪くも費用対効果を狙うなら影響力のあるところを突く!という話。
もし僕に影響力があるとしたら、僕に制裁を加えることで他の指導者に影響を与えられるという事になる。
いやいやいやいや、それはあかん!
僕に何かをしても他の人たちに広がるなんてないって。
それなら今、そういう世界で頑張って影響力を発揮している人たちが山ほどいるんだから。
僕なんて10年前のその時を愉快に頑張っていたメンバーの1人なだけ。
10年前の古ぼけた遺産だぞ。
そんな時代を懐かしがっていてどうする?
時代が変わっているんだから、今の人たちが今流に作ればいい。それが冒険教育だろがっ!
僕がそれをぶち壊すと思っているのが、おかしい。
というかぶち壊されるほど脆いのかい?と逆に聞きたい。
それなら今の頑張りが少ないのでは?とも思う。
それでも、もしもろくとも、僕がぶち壊す気なんて更々ない。
本当に「とばっちり」である。
しかも前科者みたいに、僕が「破壊王」みたいに。
人聞きが悪いぞ。
③「好きだった」
言葉は違えども結構言われることが多い。
ある意味モテ期だったのか?
それは恋愛ではないところが非常に残念だし、過去形なのがまた寂しさを募らせる。
僕の指導者としての姿を好印象に見てくれる人が多いことに嬉し恥ずかしである。
僕は多分、その時、生き生きして輝いていたんだと思う。
指導をして楽しかったし、一生懸命だった。
もっと深く、もっと広く、もっと楽しく。
そんな指導者としての好奇心が周りへ放出していたんだと推理している。
それが「①センス」や「②影響力」につながっていったのかもしれない。
①や②は真実ではないかもしれないが、③は他人の気持ちだから真実なのかもしれない。
そう考えると、やっぱり僕のその時代の在り方は間違っていないし、カッコいい生き方を自分自身していたと思う。
僕自身も、その時の自分が「好きだった」。
当然、今も自分のことは「好き」である。
****************
何度考えても嬉野に帰って来たことへのホーム感は皆無である。誰も自分を歓迎しているとは思えなかった。
逆に迷惑に感じている人が少なからずいたのに驚いた。
「男はつらいよ」の寅さん。
彼はたまに浅草の寅屋に帰ってくる。
放浪の旅からフラーっと帰ってくる。
全国を回りながら多くの楽しい話を持ち帰って団欒をしながら楽しい話をしてくれる。
でもそこには生活があり、日常がある。
寅さんは非日常の愉快なピエロなのだ。
ファミリーだと思って帰って来たら、
自分を歓迎しない人の心を読んでしまう。
その一瞬の悲しい間合いに寅さんはいたたまれなくなって、また旅に出てしまうのだ。
多分寅さん自身はそこまで自分に影響力があるとは思っていないはず。
そしてそこの家族に囲まれながら幸せに生きたいという思いも少なからずある。
寂しいのだ。
旅の寂しさは僕も痛いほど知っている。
妹のさくらだけがお兄ちゃんの寂しさを癒そうと頑張るのだ。
そう僕の心を癒してくれるのは、さくらだけかも知れない。
今年の花見でさくらをみたら、
僕、泣いてしまうかも知れない。
僕を罵る言葉の端々に僕への評価がたくさんあって、それを僕は今振り返り味わっている。
<冒険教育と僕についての評価>
①「センスがある」
僕は他人から見て、その冒険教育に対する指導のセンスがあるというのだ。
ここは僕は完全否定していた。
センスはトレーニングして鍛えるものだという持論があるから。その当時に僕にセンスが備わっていたとは到底思えないからだ。
どこをどう見てセンスがあるって思っていたんだろう。
確かに僕は小学~高校まで野球部で、他人を見て「こいつ野球のセンスが抜群にあるな」と自分が野球センスがなくても感じることが出来た。
それは誰もが平等に感じることができる。
つまり「一連の動きに無駄が少ない」「目に見えて動きに美しさが感じられる」などの感覚である。
僕も試合の時に強豪校の守備や打撃の姿に惚れ惚れしていたものである。
そういう他人のセンスある動きに見とれてしまう。
北斗の拳ならば、あのナルシスト、ユダがライバル、レイの動きに「美しさ」を感じながら倒され、レイに抱かれて死んでいくかのように。
圧倒的敗北、鮮烈な格差、非情な嫉妬が入り混じる。
絶対に自分には辿り着かない神の領域。
それほどの印象を僕は本当に相手に与えていたのだろうか?
僕が思うに当然、その人の「勘違い」である。
僕にはそこまでの「指導センス」があるわけがない。
ただひたすら本を読んで、師匠の言葉を噛み締めながら真似をし、参加者を楽しませて、そして何かを伝えようと必死だった。
只々ガムシャラだったのだ。
それが「センスがある」という簡単な言葉で片付けられるのもあまりしっくりこないのだ。
僕は、僕の影響力にうち震えだす。
②「影響力がある」
これも言われた。
いや、影響力が僕にあるわけがない。
今の現状を見れば歴然としている。
僕が嬉野に帰ってこようと誰も何も変わらないし、ただただ久しぶり!ってなもんだ。
現担当者に挨拶しても、指導経験の少ない大学生とほぼ同格の扱いを受ける。そして隣で大きな声で鬼ごっこをするのだ。
影響力の大きさなんて……
すると静かに、ある人が「影響力は確かにある。それは自覚しないと」と言うのだ。
その本気度にビビった。
芸能人は影響力があるから麻薬などの薬物に手を出すと厳罰に処して社会的な規範を高めるという話を聞く。
つまり良くも悪くも費用対効果を狙うなら影響力のあるところを突く!という話。
もし僕に影響力があるとしたら、僕に制裁を加えることで他の指導者に影響を与えられるという事になる。
いやいやいやいや、それはあかん!
僕に何かをしても他の人たちに広がるなんてないって。
それなら今、そういう世界で頑張って影響力を発揮している人たちが山ほどいるんだから。
僕なんて10年前のその時を愉快に頑張っていたメンバーの1人なだけ。
10年前の古ぼけた遺産だぞ。
そんな時代を懐かしがっていてどうする?
時代が変わっているんだから、今の人たちが今流に作ればいい。それが冒険教育だろがっ!
僕がそれをぶち壊すと思っているのが、おかしい。
というかぶち壊されるほど脆いのかい?と逆に聞きたい。
それなら今の頑張りが少ないのでは?とも思う。
それでも、もしもろくとも、僕がぶち壊す気なんて更々ない。
本当に「とばっちり」である。
しかも前科者みたいに、僕が「破壊王」みたいに。
人聞きが悪いぞ。
③「好きだった」
言葉は違えども結構言われることが多い。
ある意味モテ期だったのか?
それは恋愛ではないところが非常に残念だし、過去形なのがまた寂しさを募らせる。
僕の指導者としての姿を好印象に見てくれる人が多いことに嬉し恥ずかしである。
僕は多分、その時、生き生きして輝いていたんだと思う。
指導をして楽しかったし、一生懸命だった。
もっと深く、もっと広く、もっと楽しく。
そんな指導者としての好奇心が周りへ放出していたんだと推理している。
それが「①センス」や「②影響力」につながっていったのかもしれない。
①や②は真実ではないかもしれないが、③は他人の気持ちだから真実なのかもしれない。
そう考えると、やっぱり僕のその時代の在り方は間違っていないし、カッコいい生き方を自分自身していたと思う。
僕自身も、その時の自分が「好きだった」。
当然、今も自分のことは「好き」である。
****************
何度考えても嬉野に帰って来たことへのホーム感は皆無である。誰も自分を歓迎しているとは思えなかった。
逆に迷惑に感じている人が少なからずいたのに驚いた。
「男はつらいよ」の寅さん。
彼はたまに浅草の寅屋に帰ってくる。
放浪の旅からフラーっと帰ってくる。
全国を回りながら多くの楽しい話を持ち帰って団欒をしながら楽しい話をしてくれる。
でもそこには生活があり、日常がある。
寅さんは非日常の愉快なピエロなのだ。
ファミリーだと思って帰って来たら、
自分を歓迎しない人の心を読んでしまう。
その一瞬の悲しい間合いに寅さんはいたたまれなくなって、また旅に出てしまうのだ。
多分寅さん自身はそこまで自分に影響力があるとは思っていないはず。
そしてそこの家族に囲まれながら幸せに生きたいという思いも少なからずある。
寂しいのだ。
旅の寂しさは僕も痛いほど知っている。
妹のさくらだけがお兄ちゃんの寂しさを癒そうと頑張るのだ。
そう僕の心を癒してくれるのは、さくらだけかも知れない。
今年の花見でさくらをみたら、
僕、泣いてしまうかも知れない。