部分日食
今日は日本で部分日食が見られる日
だけど雨が降っていて絶望的
天体ショーは日々の生活に唯一密着した自然の姿
天気予報と同じくらい当たり前になった。
元々、宇宙科学的なものが大好きだ。
アインシュタインも映画のSFも。
スターウォーズも大好きだし、
最近ならインターセプターも嫌いじゃない。
でも期待していたマッド・デイモン主演「オデッセイ」が何やらちょっと……
過酷な環境をユーモアで乗り越えようとするのはわかるが、彼の演技力の高さにより「火星に1人」というトンデモない環境が楽しそうに見えてしまう。
サンドラ・ブロック主演「ゼロ・グラビティ」の「宇宙に1人」の演技が緊張感を煽る。
なんやかんやゆーて、SF映画とは俳優の演技力にかかっている。CGやマシンに注目しがちだが、やっぱり人だ。
今日はしとしと春雨が降る。
その雲の上には無限の宇宙が広がっていて
そこに漆黒の宇宙がある。
ある意味、地球も孤独な世界。
広い宇宙にたったひとつの生命体が存在しているならば、あまりに寂しすぎる。
神話やUFOは、あまりに寂しい人類の空想の賜物だ。
それに共感しないと人類の微々たる命の小ささに気力を失いそうになる。
愛は無限大であるとか。
宇宙のように深いとか。
小さなゴミのような生命体が言葉の意味を理解しているとは思えない。
それでも自分がここに生きていることを意味あるものにしたいと願うのが人間である。
いや、動物たちも考え方は違えども黙々と生きる意味を表現し続けているのかもしれない。
ブログや言葉にはできないけど。
震災生まれの黒猫は、にゃーにゃー言っている。
当時から体毛の色は褪せ、身体も痩せてきた。歩くのもヨチヨチ。でもまだ食事は摂っている。
自分で死期も大体把握しているのかもしれない。
それでも食べ物を口にしている。
彼の生きる意味は、なんだろう。
本人はそのことを考えているのだろうか。
ただ隣にいる人間たちが声をかけてくれるのに反応してにゃーにゃー言っている。
それが彼の生きる意味なのだろうか。
彼は今日もコタツで丸くなる。
今日は日本で部分日食が見られる日
だけど雨が降っていて絶望的
天体ショーは日々の生活に唯一密着した自然の姿
天気予報と同じくらい当たり前になった。
元々、宇宙科学的なものが大好きだ。
アインシュタインも映画のSFも。
スターウォーズも大好きだし、
最近ならインターセプターも嫌いじゃない。
でも期待していたマッド・デイモン主演「オデッセイ」が何やらちょっと……
過酷な環境をユーモアで乗り越えようとするのはわかるが、彼の演技力の高さにより「火星に1人」というトンデモない環境が楽しそうに見えてしまう。
サンドラ・ブロック主演「ゼロ・グラビティ」の「宇宙に1人」の演技が緊張感を煽る。
なんやかんやゆーて、SF映画とは俳優の演技力にかかっている。CGやマシンに注目しがちだが、やっぱり人だ。
今日はしとしと春雨が降る。
その雲の上には無限の宇宙が広がっていて
そこに漆黒の宇宙がある。
ある意味、地球も孤独な世界。
広い宇宙にたったひとつの生命体が存在しているならば、あまりに寂しすぎる。
神話やUFOは、あまりに寂しい人類の空想の賜物だ。
それに共感しないと人類の微々たる命の小ささに気力を失いそうになる。
愛は無限大であるとか。
宇宙のように深いとか。
小さなゴミのような生命体が言葉の意味を理解しているとは思えない。
それでも自分がここに生きていることを意味あるものにしたいと願うのが人間である。
いや、動物たちも考え方は違えども黙々と生きる意味を表現し続けているのかもしれない。
ブログや言葉にはできないけど。
震災生まれの黒猫は、にゃーにゃー言っている。
当時から体毛の色は褪せ、身体も痩せてきた。歩くのもヨチヨチ。でもまだ食事は摂っている。
自分で死期も大体把握しているのかもしれない。
それでも食べ物を口にしている。
彼の生きる意味は、なんだろう。
本人はそのことを考えているのだろうか。
ただ隣にいる人間たちが声をかけてくれるのに反応してにゃーにゃー言っている。
それが彼の生きる意味なのだろうか。
彼は今日もコタツで丸くなる。