ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

「お金を大切に」の本当の意味

2017-11-06 | 雑念
「お金を大切に」の本当の意味

そのシンプルなしつけは将来お金を稼ぐようになったら、その大切さが分かるよ!という意味と最近気づいた別の意味において、その言葉は身にしみる。

人間性はお金を払う時に滲み出るのだ。

店員にタメ口の人
お金を投げる人
「財布を忘れた」という人
おばちゃん同士の「私が払う」の競い合い
男が出して当然な態度の女
レジで行列ができても世間話をする人
財布からお金を出すのにもたつく人

とにかくカッコ悪い。

逆に

スムーズに財布からお金を出す人
お金が綺麗な人
丁寧に言葉を話す人
奢ってもらって可愛く「ありがとう」という人
とにかく仕草が美しい人
お金の扱いが丁寧な人

とにかくカッコいい。

お金は汚いもののように言われる。
「金のことばかりで汚い」「ケチくさい」「金にうるさい」などお金にまつわるエピソードは大抵美しい響きはない。

だから学校で経済を教えないのだろうか?

社会人になってから、もしくは経済学部などに行ってから学ぶのだろう。

僕はお金は道徳だと思う。

そしてお金は自分の信頼度と同意だと思う。

仕事の対価なのだから!

額が問題ではない。
1円でも自分自身の信頼度であると考えたら、お金を掘り投げることなんて出来ない。

相手に渡すときも我が子を預けるように手渡すはずだ。

僕は勝手に、レジにトレーがある理由は「お客様の大切な信頼に触れるなんて」という意味があると思っている。本当はお釣り間違いを防ぐという実用性らしいけど。

つまり逆にカッコよく生きたいならば、お金の扱い方に注意すべし!ということだ。

気をつけているだけでいい。まずは。

お金にはそういう意味があるんだよって子どもに伝えるだけでいいと思う。

子どもがいる前で親が「高っ!こんなことに金を払えるかっ!」とか叫んでいるのを目にすると、自分の子どもに何を教えているんだろう?と本当に悲しくなる。

全ての事に値段だけで判断している事はないかを自問自答する。

自分自身が財布の中の信頼度とモノの価値と比較して購入するのか決めたいものである。

周りの価格表に反射神経的に反応する動物のような人間にはなりたくない。ますます信頼度を落としてしまう。

そういうお金の価値を人間の信頼度であると考えている人と経済の話をしたいなぁ。