ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

他人にどう思われるのか?

2017-11-15 | 雑念
他人にどう思われるのか?

若者たちがあまりに気にしている現状に驚いた。
それはFacebook の「いいね」が他人に知られると嫌だ!という話題から端を発した。

僕の考えは「そんなの関係ねぇ、おっぱっぴー」なのだが。

なかなか理解しにくい。

それなのにインスタはいいの?って思う。
自分の「いいね(評価)」がバレるのが嫌?

いくら考えても答えが出そうもない。

そんな中、僕の投稿に震える親指で「いいね」してくれたのかと考えるとそれだけで涙が出る。

その根底にある「他人にどのように思われるのか?」は僕のファシリテーター課題テーマの1つでもある。

人の心理、人情や思考回路というのか、意見が違おうとも互いに共感できて、そばに居ても良いんだよ!というプチ社会を作る方がいい。

やっぱり自分が受けてきた教育でも、異質なもの、至らぬもの、間違うものは集団の邪魔もの扱いされ排除されるように大人は対処していたし、それを見てそれを正しい事だと学んできた。

実際、受験勉強するならそういう人は邪魔な存在でしかないのは確かだし。

でも今になって考えると彼らのような存在がいるから思い出として語られ、笑い合い、記憶に残っていく。

本当に愉快で異質で愛すべき人達なのだ。

僕はそれなりに成績も良く、どんなことでも平均以上をとり、クールでつまらない人間として大人になった。

彼らのようなファンキーな人達に憧れてきた。
自分には出来ないと決めつけていた。「彼らは間違っている」と大人の評価を素直に受け止めて自分の判断基準を押し殺した。

本当は自分の人生はつまらないもので、もっと刺激やハプニングを求めていたのに。

その事に気がついたのは、本当におじさんに足がかかった30代になってからだと思う。

僕は無理やりファンキーに生きよう!と努力している。一度の人生を真面目に他人に決められないように手足を振り乱して走り回っている。

僕自身を客観的にみても自由で愉快なおじさんだと思う。

一般的な平均点を取る「幸せ」は多く失ってきたのだが、その分、別の人生観を手に入れた。

最高だと思う。