ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

北斎ーおじじの頭を超えてー

2017-11-18 | 雑念
北斎-富士を超えて-(美術館サイト)

あべのハルカス美術館の企画展へ行った。
15:00くらいにチケット20分待ちで購入。購入したら整理券をもらって16:00から入場となり。

中に入ると人が北斎の作品に群がり3重駐車。
観れん。これが最初の印象。

でも1,500円の元を取らねば!

高齢者が列をなして殺伐な空気を出している。
それに右に倣えは頂けない。

僕はその被災地の炊き出しのような列には並ばず展覧会の全体像を見渡しに歩いた。年配の人たちは第1章の作品群から並んで動いていない。

僕は第1章から第4章くらいまで全体の作品数と構成を見回した。

すると人気がある富嶽百景ゾーンと北斎漫画ゾーンに人がたむろしている。

という事で僕は観たい作品の前に離れて立ち列は壁際の僕の前をゆっくり流れて行くのをジーっと作品の前で見つめるという鑑賞法をとった。

するとたまに列に隙間ができる。その瞬間にその作品を鑑賞するのだ。並んでぞろぞろ人の流れに任せていては、好きな作品の前に立ち止まれないのだ。

慣れた人なら当たり前なのかもしれないが、すべての作品を観ることは諦めて、好きな作品の前で長い時間待機するという方法を編み出した。

僕はそいう人間だ!

僕の人生観も表している事に気づく。

全ての作品を観なくてもいい。
作品から感じ取れる何かを浴びたいのだ。

人の頭の隙間からチラリと見えた情報(北斎の作品)をチェックして、心が動いたものをマーク。

そしてそれをとことん観る。浴びる。

食べ放題の店で高級和牛しか食べない奴

それが僕だ!

北斎の作品群を観て世界を魅了する理由は僕にはこう思った。

構図がいい!

掛軸の絵も空白の部分と細かい描写のバランス

だからそんなに近づいて舐めるように観ているおじいさんを見て、北斎の絵を見てるのか列に並んでシステムに流されているのかわからない。

高齢化社会の年金受給者の年金を受け取る列のように感じた。

北斎は90まで絵を描き続けた。
その意味をわかっているのだろうか?

僕は北斎の絵をバックに眼の前を通る高齢者たちに悲しみの涙を流した。

北斎ー富士を超えてー

もう一回行きたいくらいだ。