チームビルディングにおける「振り返り」について、とても感銘を受けた。
「活動中の参加者をとにかく注意深く見る」というのだ。
結構昔からその言葉も聞いた事があって、その理由と重要性を見出せずにいた。
最近、振り返りについて色々思うところがあって、自分自身の実践の中から少しずつ感覚的なものをつかみつつあった。
それが言葉として表現されていたので、僕とリンクしたのだ。
「参加者を注意深く見る」
これに尽きる。
僕も本当に最近はこの一点に落ち着き始めていたのだ。
周りのファシリテーターには様々な手法やテクニックを本や講習会で得た情報が飛び交っている。
例えば、
枠組みをある程度参加者に与えて、目標設定させ自己評価させる方法。
ルールと心得を事前に伝えて学びの方向性を説明してから活動をして、質問する方法。
とにかく円座にさせ、常套句やスキルやキャラで参加者の自己開示を促す方法。
他にも様々な「振り返り」とか「リフレクション」「ディブリーフィング」やら星の数ほどある。
しかし
しかしだ!
僕が実践から得た振り返りの方法は、ファシリテーターが活動中の参加者を注意深く見ることで、人間として好奇心をもって「聞きたい事を聞く」
「聞きたい事を聞く」
これが真髄なのだと思う。
全ては「ファシリテーターの好奇心」なのだ。
逆に、しっくりいかない振り返りの時間とは
何かを学ばせたいから、この質問の方がいいかな?とか「チームって大切だと気付きました」とか「協力がどうの」とか「コミュニケーションが…」と答えさせるような質問をする事で参加者を凍りつかせているのだ。
実際、振り返りで悩むファシリテーターは多く、結局、「振り返りの質問には正解がある」という思い込みが違和感となっているのだ。
正解がファシリテーターの中にあると考えている時点で、ファシリテーターではないのだ。
そして「ファシリテーターが消えていく」という、かつての僕の思い込みさえも思い上がりだった。
ファシリテーターという人間が、参加者の心の中から消える事は出来ない。そんな無駄なエネルギーを使う必要がない。
それならば「自分という人間」をさらけ出して、「僕はさっきあなたのあの表情が気になったんだけど、何か辛かったの?」とシンプルに思った事を聞く方がよっぽど学びにつながっていくのだ。
よっぽど?
いや、その方が学びにつながる。
いや、改めて、そうでなければいけないとさえ考えている。
僕という人間が、あなたという人間に好奇心を持って質問する。これが「振り返り」の真髄であり、日常に帰ってからもその人が考えるきっかけを作る瞬間なのだと思う。
そして更に、
僕というファシリテーターの味や色は異質であり一部である。つまり多種多様な人間に影響を受けて、人の成長に少しのスパイスとなればいい。
あと付け加えるならば、
その「好奇心」をトレーニングで研ぎ澄ましておく必要がある。
些細な変化や違和感に気づいたり、独特な切り口で物事を捉える視点。多くの人の意見に左右されない独創性が学びや気づきのトリガーになる。
そしてその事を知っている事。
僕は当然、完璧な人間ではない事を重々承知だし、尊敬する先輩ファシリテーターを数多く知っている。
でも僕が僕のファシリテーションに自信を持てるのは、僕の好奇心と独創性が他のファシリテーターと異なる事を知っているから。
万能ではない事も知りつつ、存在意義も知っているのだ。
僕はそしてまた好奇心を持って未来の青少年へ、聞きたい事を聞くために、活動を注意深く見守る。
「活動中の参加者をとにかく注意深く見る」というのだ。
結構昔からその言葉も聞いた事があって、その理由と重要性を見出せずにいた。
最近、振り返りについて色々思うところがあって、自分自身の実践の中から少しずつ感覚的なものをつかみつつあった。
それが言葉として表現されていたので、僕とリンクしたのだ。
「参加者を注意深く見る」
これに尽きる。
僕も本当に最近はこの一点に落ち着き始めていたのだ。
周りのファシリテーターには様々な手法やテクニックを本や講習会で得た情報が飛び交っている。
例えば、
枠組みをある程度参加者に与えて、目標設定させ自己評価させる方法。
ルールと心得を事前に伝えて学びの方向性を説明してから活動をして、質問する方法。
とにかく円座にさせ、常套句やスキルやキャラで参加者の自己開示を促す方法。
他にも様々な「振り返り」とか「リフレクション」「ディブリーフィング」やら星の数ほどある。
しかし
しかしだ!
僕が実践から得た振り返りの方法は、ファシリテーターが活動中の参加者を注意深く見ることで、人間として好奇心をもって「聞きたい事を聞く」
「聞きたい事を聞く」
これが真髄なのだと思う。
全ては「ファシリテーターの好奇心」なのだ。
逆に、しっくりいかない振り返りの時間とは
何かを学ばせたいから、この質問の方がいいかな?とか「チームって大切だと気付きました」とか「協力がどうの」とか「コミュニケーションが…」と答えさせるような質問をする事で参加者を凍りつかせているのだ。
実際、振り返りで悩むファシリテーターは多く、結局、「振り返りの質問には正解がある」という思い込みが違和感となっているのだ。
正解がファシリテーターの中にあると考えている時点で、ファシリテーターではないのだ。
そして「ファシリテーターが消えていく」という、かつての僕の思い込みさえも思い上がりだった。
ファシリテーターという人間が、参加者の心の中から消える事は出来ない。そんな無駄なエネルギーを使う必要がない。
それならば「自分という人間」をさらけ出して、「僕はさっきあなたのあの表情が気になったんだけど、何か辛かったの?」とシンプルに思った事を聞く方がよっぽど学びにつながっていくのだ。
よっぽど?
いや、その方が学びにつながる。
いや、改めて、そうでなければいけないとさえ考えている。
僕という人間が、あなたという人間に好奇心を持って質問する。これが「振り返り」の真髄であり、日常に帰ってからもその人が考えるきっかけを作る瞬間なのだと思う。
そして更に、
僕というファシリテーターの味や色は異質であり一部である。つまり多種多様な人間に影響を受けて、人の成長に少しのスパイスとなればいい。
あと付け加えるならば、
その「好奇心」をトレーニングで研ぎ澄ましておく必要がある。
些細な変化や違和感に気づいたり、独特な切り口で物事を捉える視点。多くの人の意見に左右されない独創性が学びや気づきのトリガーになる。
そしてその事を知っている事。
僕は当然、完璧な人間ではない事を重々承知だし、尊敬する先輩ファシリテーターを数多く知っている。
でも僕が僕のファシリテーションに自信を持てるのは、僕の好奇心と独創性が他のファシリテーターと異なる事を知っているから。
万能ではない事も知りつつ、存在意義も知っているのだ。
僕はそしてまた好奇心を持って未来の青少年へ、聞きたい事を聞くために、活動を注意深く見守る。