ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

体験学習における「振り返り」の真髄はコレだ!

2017-11-22 | 雑念
チームビルディングにおける「振り返り」について、とても感銘を受けた。

活動中の参加者をとにかく注意深く見る」というのだ。

結構昔からその言葉も聞いた事があって、その理由と重要性を見出せずにいた。

最近、振り返りについて色々思うところがあって、自分自身の実践の中から少しずつ感覚的なものをつかみつつあった。

それが言葉として表現されていたので、僕とリンクしたのだ。

「参加者を注意深く見る」

これに尽きる。
僕も本当に最近はこの一点に落ち着き始めていたのだ。

周りのファシリテーターには様々な手法やテクニックを本や講習会で得た情報が飛び交っている。

例えば、

枠組みをある程度参加者に与えて、目標設定させ自己評価させる方法。

ルールと心得を事前に伝えて学びの方向性を説明してから活動をして、質問する方法。

とにかく円座にさせ、常套句やスキルやキャラで参加者の自己開示を促す方法。

他にも様々な「振り返り」とか「リフレクション」「ディブリーフィング」やら星の数ほどある。


しかし

しかしだ!

僕が実践から得た振り返りの方法は、ファシリテーターが活動中の参加者を注意深く見ることで、人間として好奇心をもって「聞きたい事を聞く」

「聞きたい事を聞く」

これが真髄なのだと思う。

全ては「ファシリテーターの好奇心」なのだ。


逆に、しっくりいかない振り返りの時間とは

何かを学ばせたいから、この質問の方がいいかな?とか「チームって大切だと気付きました」とか「協力がどうの」とか「コミュニケーションが…」と答えさせるような質問をする事で参加者を凍りつかせているのだ。

実際、振り返りで悩むファシリテーターは多く、結局、「振り返りの質問には正解がある」という思い込みが違和感となっているのだ。

正解がファシリテーターの中にあると考えている時点で、ファシリテーターではないのだ。


そして「ファシリテーターが消えていく」という、かつての僕の思い込みさえも思い上がりだった。

ファシリテーターという人間が、参加者の心の中から消える事は出来ない。そんな無駄なエネルギーを使う必要がない。

それならば「自分という人間」をさらけ出して、「僕はさっきあなたのあの表情が気になったんだけど、何か辛かったの?」とシンプルに思った事を聞く方がよっぽど学びにつながっていくのだ。

よっぽど?

いや、その方が学びにつながる。

いや、改めて、そうでなければいけないとさえ考えている。

僕という人間が、あなたという人間に好奇心を持って質問する。これが「振り返り」の真髄であり、日常に帰ってからもその人が考えるきっかけを作る瞬間なのだと思う。

そして更に、
僕というファシリテーターの味や色は異質であり一部である。つまり多種多様な人間に影響を受けて、人の成長に少しのスパイスとなればいい。

あと付け加えるならば、
その「好奇心」をトレーニングで研ぎ澄ましておく必要がある。

些細な変化や違和感に気づいたり、独特な切り口で物事を捉える視点。多くの人の意見に左右されない独創性が学びや気づきのトリガーになる。

そしてその事を知っている事。

僕は当然、完璧な人間ではない事を重々承知だし、尊敬する先輩ファシリテーターを数多く知っている。

でも僕が僕のファシリテーションに自信を持てるのは、僕の好奇心と独創性が他のファシリテーターと異なる事を知っているから。

万能ではない事も知りつつ、存在意義も知っているのだ。

僕はそしてまた好奇心を持って未来の青少年へ、聞きたい事を聞くために、活動を注意深く見守る。

ボランティアのリスク

2017-11-22 | 雑念
僕が何故「ボランティア」が好きじゃないのか。

思いついたから書く。

まず誰かを助けるという行為は当たり前の行為である。困っている人を助けたいと思うことも人としてなんの不思議もない。

僕が嫌いなのは大学生などの青少年対象のもの。
高齢者対象のものはどーでもいい。それはそれで勝手にやってもらえば構わない。

しかし未来ある大学生を対象に将来の不安を抱えて迷っている人達の心を1つの当たり前の行為で埋め尽くす「選択肢の排除の可能性」を感じるから嫌いなのだという事がわかった。

高校生まで受験勉強や記憶力テストや点数至上主義の教育、人生の平均点を教える薄っぺらい教育を受けてきた学生が将来の不安を感じるのは当たり前である。

その彼らに自ら考える事を封じ込め、「ボランティア素晴らしい」を埋め込んで労働力を搾取する構図が恐ろしくシステマティックである事に映画「マトリックス」を思わせるのだ。

人生を豊かにする生き方や考え方を同時に提案して、ボランティア養成を行なっているならまだマシ。

だから経済活動、インターン、ビジネス、お金の流れを丁寧に学ぶ事ができる団体や組織が大学生にアプローチすることの方が健全であると思う。

僕は10数年前から野外教育活動の業界に触れてきたが、ほぼボランティア活動で大学生を利用している団体を目の当たりにしてきた。

やっぱり大学生という未来の地球を担う彼らに様々な選択肢を提示できる大人が素晴らしいと思う。

ボランティア活動だけが素晴らしいわけではない。他にも人のために生きる方法は数多(あまた)あるのだ。

今現在のボランティア活動は変化しているのかもしれないが、これを読んだ大学生がボランティア活動に参加しようと考えていたならば、ぜひその体験とは別に様々な生き方に触れる事をオススメしたい。

人のために生きる事は素晴らしいと思うが、その生き方はボランティア活動だけではない事を知っていてほしい。

結構な団体を敵に回す事になりそうな発言なので、投稿するのをためらったが、結局僕のこの文章の真意を理解できないから青少年育成としてのボランティアの位置付けも考えずに若者を利用しているのだろう。

ある意味この文章を読んで腹がたつという事は、図星だという事だと言える。

若者育成について議論ができない独裁的な団体であると言える。

是非、若者達に多くの選択肢を与えられる大人達になりましょうよ!