ヨーガは「心のはたらきをコントロール」することから離れて語れないということは明白です。
幸せと不幸せを決めるのは常に「私の心」。
心に支配されているのが現実の私たちですが、心を支配するためには心を知る必要があります。
知るために「ヨーガ・スートラ」を学んでいるのですね。
煩悩だらけの現実をまざまざと見せつけられますが、この煩悩があるからこそ、私は向上できる…とわかり、生きる勇気と希望が沸き上がります。
私たちの日常は、眼、耳、鼻、舌、身という五つの感覚器官を意識でとりまとめ六識で生きています。
5つの感覚器官は現に今、ここにあるものを認識するだけですからさして問題ではありません。
問題は…
第6識の意(こころ)です。
この「こころ」により、私たちは、今ここにないものに、悩み苦しみます。
過ぎ去ったことや、起こるか起こらないか分からない将来のことをくよくよ考えたり…。
私が小学生のころ…
公認会計士事務所を経営していた父が順風満帆なのにも関わらず、あるとき、とても不機嫌で深刻な顔をしていました。幼い私たち兄弟を集めて家族会議までしたのです。
何を思い悩んでいるのかと思いきや、まだ40歳にもならない父は、数十年後の自分を考えたら急に不安を感じたようでした。
数十年後に、もしかしたら起こるかもしれないという父の話に付き合うのは、それは苦行でした。(笑)
自分の作ったシナリオに怯えているようでした。
その日、飲みに出かけ、午前様になったあとはケロッとしていましたが…。(笑)
一見、前向きで豪放磊落に見えた父でしたが、実は気が弱いところもあり、心配性だったのです。
「ヨーガ・スートラ」は誰にでも思い当たる心の問題を正面から見据えて「あっ、そうだったんだ!」と、気づかせてくれます。
ヨーガを学んでいるなら「ヨーガ・スートラ」を読まなくてはならない!という義務感で取り組むものではないと思います。
興味深いから読む!
嬉々として唱える!
この歓びを少しでもクラスの皆さんに伝えたい!
今、「ヨーガ・スートラ」に夢中になっているかたは、その気持ち以外はないと思います。
一昨日は郡山、昨日は仙台の皆さんとご一緒してきて、それを肌で感じました。
全国大会をきっかけにして、早速スートラの詠唱を実践しているR・Hさん、日常でいろいろなことがあると、スートラを唱えるそうです。
一心に唱えていると、いろいろ考える暇がなくなる!と、笑っていらっしゃいました。
皆さんの一言一言に感動し、私自身が元気をいただいている毎日です。
ありがとうございます。
大阪にいます。今日は夜のクラスのかたともご一緒しますので、帰宅は夜中になります。
皆さんもよき1週間でありますように。(荻山貴美子)