こんにちは。
姫神山さん、コメントありがとうございました。
こんばんは。
こんにちは。
週末をいかがおすごしですか?
昨日は一日ハラハラした日でした。
母が意識不明
何故?前触れもなく…
救急車で運ばれたそうですが、弟夫婦が少し様子を見てから連絡する…と。私はドキドキしながら西武コミカレの集中講座に臨みました。休憩時間に弟から電話が入り、検査の結果何ともない…と聞いてホッと一安心。軽い脱水症状だったようです。
冬の脱水は要注意ですね。結果は、何もなかったように元気を取り戻したようです。一瞬、私が子供の時の若い母が走馬燈のように浮かんでは消えました。何故だか溌剌とした働き者だった若い母です。
今日は来月のスケジュールをたてました。久しぶりに埼玉や八王子や高崎にも伺ってみたいと思います。(荻山貴美子)
吉野、熊野、高野という3つの「野」は、日本の秘教三角地帯だそうです。
メールの漢字変換に、時々面白いのがあります。
こんばんは。
おはようございます。
雪山童子こと田原豊道です。
ここしばらくは東京にいます。しかし、来週末から再び多忙になります。
荻山貴美子理事長の「嗚呼、勘違い」面白いですね。勘違いは誰でもありますが、ちょっと笑えないものもありますね。
「老婆心」を単に老婆のお節介と解釈した人もいます。老婆心は仏教用語で老婆が子や孫を慈しむように師家が修行者に示す慈しみのこころなんです。しかし、これは辞書的な解釈。実は般若波羅蜜多女神のことなんです。つまり女神の慈悲の心。でも、一般的には自分を謙遜して言う言葉になっていますね。
それを「あの人老婆心ながらと言っていたけど、そんなに老婆と言われるような年でもないのにね」と言った人がいました。(笑)まあ、この程度はご愛嬌でしょうが…。
「般若心経」を「はんにゃしんきょう」と言う人がいますが、「はんにゃしんぎょう」と読んだほうが良いでしょう。
最近驚いたのは「玄奘三蔵」と「正法眼蔵」は同じと思っていた人がいたことです。「げんじょうさんぞう」「しょうぼうげんぞう」そう言えばちょっと似てるかな?(笑)
と言うことは「正法眼蔵」さんという人がいると思ったのでしょうか?
ヨーガの理論を学ぶことはとても大事なことです。しかし、落とし穴があります。
あの言葉も知っている…
あの人の話を聞いた…
あの本を読んだ…
このサンスクリット語を知っている…
と自慢したくなるときです。
それが誤用された時に、恥をかくということですね。
6月の東京の全国大会に向け、鹿児島の浜田博子教授はお仲間の案内者(インストラクター)や生徒さんへのお声がけを積極的になさっていました。おまけに安売りの航空チケットの手配まで…。実は安売りチケットを取るのはキャンセルができない分、神経をつかうのです。それを積極的になさろうとしています。鹿児島の方は幸せですね。
さて、もう大分前のことです。
「覆水盆に返らず」を「腹水が溜まってお盆には帰らない人になる」と本気で、ずっと信じていた人がいました。(笑)
「舌先三寸」を「口先三寸」と間違えたり、「円滑」を「えんこつ」と読んだり、よく間違えるのは「先見の明がある」を「先見の目がある」…と。
「立つ瀬がない」を「立つ手がない」と言ってみたり、もう笑ってしまう誤用がたくさんあります。
「取り付く島がない」を「取り付く暇がない」と信じて疑わない人。
「けんもほろろ」を「けんもほろほろ」と言って、亡くなった評論家、三宅久之氏に注意された女性の大学教授もいました。
私も勘違いして恥をかいたことは数知れずあります。
恐いのは信じて疑わないので、笑われているとも知らず本人だけが気づかないことです。こんなことから考えても気づきを与えてくれる善き友人を持つことは大切ですね。
ヨーガの聖典や教典では共通して「善き交際」を勧めます。
何故ならば…
泥棒のそばに正直な人を置けば、この正直な人は盗みを働き出すし、飲んだくれの中に下戸を置けばお酒呑みになる…。
つまり、朱に交われば赤くなる…と。
これはグルデーヴ・シヴァーナンダも語っておられます。
「真実を求める集い」をサット・サンガと言います。「善き集まり」と言ってもいいかもしれません。
日本ヨーガ学会が全国大会やゼミナールを重要視するのはそのためです。
案内者(インストラクター)の皆さん!
私たち自身が参加するのは当たり前ですが、生徒さんたちにも、この素晴らしいサット・サンガにお声がけくださいね。(荻山貴美子)