おはようございます。
11月4日、築地本願寺のゼミナールの時の写真です。田口史恵さんの撮った写真はいつも神秘的。それにしても田原豊道先生の頭上に、口元に、スゴイオーブ!
皆さん、暮れの気忙しさから少しは解放されたでしょうか?私は、大掃除とまではいきませんでしたが、大分片づきました。そして、雑務も今年のことは今年のうちに…。さすがに疲れました。(笑)
2012年ともいよいよお別れですね。皆さんも、いろいろな思いを胸にして、新しい年に希望を託していらっしゃることでしょう。
私もいろいろなことを感じています。特に11月からトラブルやらアクシデントやらがありましたので…。
そこで気づいたことがあります。人を愛する度合いは、その人をどれだけ護ってあげられるかではないか…と。
たとえば、母親は子どもを護るときは命がけです。父親とて同じこと…。それほど親が子を思う気持ちは特別です。
しかし、自分の関わりのある人に対し、全身で護ることができるのでしょうか?
夫、師匠、上司、先輩、後輩…そう!自分の周りの人に対してです。
人が不幸になっても、また、立ち上がれないくらい落ち込んでも、どことなく他人事のように傍観者でいる…。特に最近はそんな世相です。
まさに『ヨーガ・スートラ』の1.33「慈悲喜捨」の教えこそが人として大事なことだと思います。
サッチダーナンダ師がヨーガをやるつもりがない人も、少なくともこのスートラだけは覚えておくよう勧めたい…という箇所でもあります。
「スカ」「ドゥッカ」「プンニャ」「アプンニャ」は「幸福な人」「不幸な人」「有徳な人」「不徳な人」です。どんな人のどんな一瞬をとってみても、それは必ずこの四つの範疇のうちのどれかに当てはまる…と述べられています。
相手が「幸福な人」だったら「友愛」の気持ちで接し、今「不幸な人」だったら「憐憫」し、「徳のある人」だったら喜び、「徳のない人」だったら放っておく。これだけの鍵です。
しかし、日常生活の中で私たちの困難の大部分は、自分の心をこのように保つことができないところからきます。すべてはエゴから来るんですね。
そして1.28の教えも深いです。
「聖音オームを反復誦唱し、その意味を熟慮すべし」
その本当の意味が分からないと、いくら素晴らしい教えであってもヨーガの年数を誇るだけで、天狗になるか、人を責めるための材料にしかならないということですね。
「愛語も聖徳太子の十七条憲法も大好きで唱えています!」と、声高に語る人が、人を大いに凹ませているとしたら熟慮していない…ということなのでしょうか?
今年最後の独り言におつきあいくださりありがとうございました。(荻山貴美子)
ホームヨーガの発祥の地は神田寺です。
この不況はテレビ局にも波及しているのでしょう。
皆さんにご心配いただき感謝しています。しかし、本人は、凄みのある声…なかなか気にいっています。(笑)
大阪からの帰りの新幹線です。
皆さん、本当に生き生きしたステキなコメントありがとうございます。アップ時の誤作動により、ゼミナールのコメントが消去されてしまいました。復元しましたが、日時が違うのはそのせいです。復元できなかった方には再度お願い申し上げます。まだ体調が完全ではない…という言い訳をしつつお詫び申し上げます。実は元気です。(笑)お財布を落とすより慌てました。(荻山貴美子)