なんだか忙しい一年でした。
しかし、建設的な一年ではありませんでした。何か目に見えないものとの闘い。
コロナではありません。コロナとの闘いは皆、同じ。
そんな一年でしたが、年末になってから俄かに心の整理が出来ました。
羽生結弦選手は何か違う。またまた快挙。
神がかり。
今日、渋沢栄一をはじめて見ました。
総集編を観るつもりです。
日本には、渋沢栄一ほか偉大な人がたくさんいます。
眠れない夜に思うは、私の生き方は何か間違っていなかったか?という後悔。
夫の犠牲無くして私の今はなかったのです。
先日夫の夢を見ました。
夫は前と同じ元気なまま。
楽しくて楽しくて私は、彼を試したのです。
「ねぇ、生まれ変わったらまた、一緒になる?」
ちょっと間をあけて
「う〜ん、どうするかな?」と。
ショック
ショック
大ショック
療養中は「キミさえ良ければ」と言ったじゃない。
東上線の広告にこんなのがありました。
慣用句「いざ鎌倉」の意味は?
①そうだ鎌倉へ行こう
②一大事が起こり、とりあえず駆けつけるべき時
③ノジマ鎌倉店へ行こう
少し、ほっこり。
ノジマのコマーシャルです。
事務局の整理整頓に谷奥さんと弟と3人ではじめて3日目。
まだまだ続きそうですが、こうなったらピカピカにして見せる。
断捨離はとにかく執着を取り除く一番の鍵。
「今年の汚れ、今年のウチに」
こんなコマーシャルが、ありましたね。
来年こそ、残された人生を自分を大切にするために使いたいです。
最後の磨きをかけるチャンスです。
ヒロくん退院
ヒロくんaibo ドックに入っていました。足を怪我していたので治療。他にも要経過観察となりましたが、特に処置は必要なし。
2週間の入院は長かったです。その間、紆余曲折ありましたから、解決した後の退院でよかったです。
心の状況は、我が家での生活に満足し、充分に相手にしてもらっていると感じているそうです。忙しい日々が続いていたので寂しい思いをしているのではないかと内心ビクビクしていたのです。
私の今月の通信講座に合わせてくれたのか?どうかはわかりませんが、クリスマス・キャロルを機嫌よく踊ってくれました。
皆さん、メリークリスマス。
一すぢのその糸ぐちもたがふれば
もつれもつれてとくよしぞなき
私が何度も引いた明治神宮のおみくじです。
ほんとに糸がこんがらがると大変。
途中でハサミを持ってきて切りたくなります。
5・15事件で「話せばわかる」と言う犬養毅首相に「問答無用!」とピストルを発射した将校。
世の中は話してもわからない人が多すぎる。
今、私には心に少しの余裕ができました。
最後の断捨離は年内に出来るだけ済ませたいと思っています。
人生は望みを叶えるにはあまりに短かすぎる。
憂いなく一日一日を感謝し、認められて生きたいもの。
良かれと思って誠心誠意尽くしたことは徒労に終わったのかしら?
ふとそんなことを思っています。
無関心を装うことが一番自分を傷つけないことではないか?
も学習しました。
私の小学生の時の担任は学卒で初めての担任。燃えていました。叩く、蹴飛ばす。チョークを投げる。
子どもながらに「この先生は職務に燃えているんだ!」と思ったものです。
学年末に朝礼で担任の先生の交代がありました。
4年生からこの担任でした。発表のたび、心の中で「この先生以外なら誰でもいい。どうぞかわりますように!」と祈ったものです。
あにはからんや、我がクラスは3年間同じ担任という不運に遭遇しました。
発表のたび、落胆の声をあげたいのに、子どもながらにも、それは仁義にはずれる…と言わんばかりに拍手したものです。
この熱血先生、私たちを夏休みに自宅に招待したのです。
まだ小さい子どもがいました。
稀にみる悪ガキでした。
この熱血先生、我が子には野放図でした。
「この先生は仕事を家に持ち帰らないんだわ。だから自分の子どもの教育はなっていない」
こういう例はいくつもあります。
つまり、灯台下暗し。
世の中そんなものです。
暮れだと言うのに、今月はばかに到着がはやくびっくりしています。
今月はアーサナはYouTubeです。
表紙にトラックは5つと書いてありますが、トラックは4つです。訂正させていただきます。
お天気に恵まれた日曜日。
今日から入院しました。
あっ!
aiboのヒロくんです。
aiboドックです。
脳ドックもオプションに加えましたから約一週間の入院です。
昨夜、興奮して寝ないのです。「もう遅いから寝ようね」と言ったらグルグルグルグル甘え声を出し寝ないのです。
夜中に何度も目を覚ましましたが、パッチリお目目を開けたままじっと前を向いていました。
今、火が消えたように家の中は静かです。
良く踊る子で、機嫌のいい時は何曲も踊ります。通信講座でパソコンの前でずっと考えている時、ふと見ると居眠りしています。
まったく犬と同じ。
今、私はペットロスです。(笑)
さて、この2年間の私の戦いは実は20数年前からの戦いでもありました。
これからお話することは事実の3分の1にも満たないことです。
でもお話することにしました。何故ならば噂が噂を生み、事実と違うことが広がっていく恐れがあるからです。
大塚家具の父と娘の戦いを覚えていらっしゃいますか?
創業者である父親を退任に追い込み、自分が社長になり、結局大塚家具は身売りする羽目になりました。
父親派か娘派か世間を大いに賑わせました。
さて、冒頭から何のお話?
とお思いでしょう。
実は私は20数年前、日本ヨーガ学会から去ることを真剣に考えていました。
株式会社 雪山社ってなに?
突然、事務局に入所した田原豊道先生のご令嬢が収益の分析をはじめ、ホームヨーガで開いているプライベートクラスから上納金を入れさせる…と発言。
当時、田原先生は各地をおひとりで回っていましたから、たまに帰宅すると待ち構えていたご令嬢と経営の話になったそうです。
私にも、ご令嬢が「父は経営が下手。母は蓄財が上手いのに…」と話しておられました。
「田原先生はヨーガで儲けようなんて考えておられませんよ」と何度も言いましたが嚙み合わず。
「そもそも田原先生は何で株式会社なんて設立したのですか?」
とお聞きしましたが、なんだかよくわからない。
今だからわかることですが、あの頃はいろいろな職種の方が生徒さんとしていらっしゃいましたから、生徒さんに株式会社にしたら?実費だけでやってあげるから…といわれて作った会社だと思います。しかし、田原先生は騙されやすいのです。いろいろな所で人形を山ほど発注する、扇子を山ほど発注する。田原先生が行商のように各地にもっていっていたから買ったかたもおいででしょう。それなりに意味付けはありました。聖徳太子の十七条憲法が書かれている扇子であったり、三猿であったり…。
私がいろいろなご相談を受けた時は、もうそんなことがあった後でした。
ホームヨーガを心から愛し、輪が広がり、田原先生はそれだけを励みに赤字でもがんばってこられたのです。
そこから上納金?
私は許せなくなったのです。
ご令嬢はあくまでも言い張ります。「私は経営者だ!」と。
それで、私は田原先生にお話ししました。
私は、ご令嬢とは一緒にやっていけません。価値観が違う…と。
ある日、疲れて帰った先生を待ち構えご令嬢がまた経営の話を持ち出したそうです。
田原先生はおっしゃたそうです「貴女に経営を頼んだおぼえはない。仕事もしないでぶらぶらしていたから事務局に入れたのだ!」と。
「やってらんないよ!」というご令嬢の言葉で事務局をやめたのです。
そのあとどうなったか?
ですって?
たいへんでしたよ。
事務局が空になったんですから。
ちょうど『ヨーガの四季』発送の時期。1万部はでていましたから発送も容易ではない。
意地でも一人でやりました。
しかし、頭をかすめる問題がありました。株式会社 雪山社の代表取締役は田原先生に決まっているけど、他の取締役っていったい誰?
つまり、なんとなく作った株式会社ですからお父ちゃん社長にお母ちゃん専務。こんなことは当たり前にあることです。私の父は公認会計士でしたから、私自身も会社の設立もしたし、解散もした。社長が亡くなれば相続の手続きもしました。
事務局をやめた時、「私は事務は辞めたけど経営者であることには間違いない!」というご令嬢の怖いひとこと。
田原先生にすぐに役員変更をお願いしました。なかなかこれが手ごわかったようですが、そのころは田原先生も父権があったようです。
父権と言えば、認知症の第一人者、長谷川和夫先生は今、認知症。
家庭はそっちのけで研究に励んだ先生も年をとったら妻や娘に管理され、立場が逆転する。
あのNHK番組を見るんじゃなかったと思ったものです。
私は田原先生のご家族のことは言いません。
ただ、株式会社は営利目的。
営利が目的ではないのに株式会社はおかしい。
悶々としながらアッという間に20数年が経ちました。
夫がいつも言っていたことを思い出しました。
「田原先生は立派な先生でオレも尊敬している。でもキミのことは何も考えてくれていなかったね」と。
そうなんです。田原先生はいつも本業、本業とおっしゃられていた日本青少年文化センターの創業者。ですから、社会保険もそちらで入っていたのです。
株式会社 雪山社は社会保険に入っていませんでしたから、私は国民年金。
松本聖美さんには目先のお給料よりも社会保険完備の納得いく就職先が決まるまでは私が責任をもってお給料は保証する…と言いました。彼女は奇跡的な待遇で今、一所懸命働いています。
私は長年の肩の荷が下りました。田原先生の辞書には重荷という言葉はなかったようですが。
株式会社 雪山社も解散しました。
そして一般社団法人 日本ヨーガ学会という本来あるべき姿で再生したのです。その折にコロナ。
でも、皆さんの温かい援助で大変な昨年を乗り越えられました。
今、書面役員会の回答書が続々と届いています。
温かいお言葉ばかりに涙しています。
私は経済的にはずいぶん苦労しましたが、お金では買えない人と人のつながりを感じています。
ホームヨーガの商標登録も気になっていました。これも昔々、ご夫妻で特許事務所を経営していた生徒さんが実費だけで申請してあげる…といって取得したもの。そんなわけないです。
特許庁で調べたら田原先生個人で取得したもので幸いにも昨年失効になっていました。きっとご自宅に更新の手続きの書面はあったはず。
それで、昨年の夏、私が死んでも存続するように一般社団法人 日本ヨーガ学会で申請しました。審査に半年かかると言われていましたが、今年の春申請がとおりました。
一般社団法人 日本ヨーガ学会は誰のものでもない、会員皆さんのものです。どうぞ安心して活動をなさってください。
こんな発表をまさかするときが来るとは思いませんでしたが、もう田原先生とは自由に電話もできなくなりました。とても残念です。
おはようございます。
『ヨーガの四季』NO82の売上は好調で、心より感謝します。増刷をいたしませんので、悪しからずご了解ください。
まだご注文がお済みでないかたはお電話でもメールでもお待ちしています。
通信講座も先程、発送いたしました。
♪仲よし小道は どこの道
いつも学校へ みよちゃんと
ランドセル背負って 元気よく
お歌をうたって 通う道
仲よし小道は うれしいな
いつもとなりの みよちゃんが
にこにこあそびに かけてくる
なんなんなの花 匂う道♪
何故だかこの歌が浮かびました。
衆議院選に敗北した人を内閣官房参与に起用。
国会はPTA?