2021年3月1日
田原先生はお忍びで、新宿朝日カルチャーに見えました。
私はいつおいでになってもいいようにヨーガ着を持ってきていました。田原先生はいつも通り授業をなさり、懇親会にもお出になりましたが、ソワソワ落ち着きません。
「私、黙って出てきましたので、お先に失礼します」
と、おっしゃったので、私も退席し田原先生の最寄り駅、豊島園までお送りしました。
その後、田原先生はさらにご家庭の事情で、出にくくなりましたが、私は時間を見つけては、豊島園のドトールでお待ちしました。
ドトールは緊急事態宣言発令中も営業していました。
もし隙を見て、お出かけできれば嬉しいけど無理はなさらないよう…にと、気長にお待ちしました。
そして、3月31日ついに田原先生は姿を現してくださいました。これが田原先生にお会いした最後になりました。
その後、携帯電話はいつしか持ち主が変わり、お話しすることもままならなくなりました。
でも、昨年の3月1日に私の固定電話に電話くださっていて、メッセージが入っていました。
2019年8月には築地本願寺の盆踊りにもご一緒して、楽しい!楽しい!とおっしゃっていましたが、それほど楽しいアトラクションがあったわけではありません。屋台が出て、軽く食べながらビールを飲んだだけ。
ご子息が半年前の動画を私に送ってくださいました。いつもの田原先生のお声と父親似のご子息との穏やかな会話でした。田原先生はウチもソトも同じでした。
ありがとう!の言葉は惜しげもなく使います。
私の夫もそうでした。
私は考えてみたら幸せ者です。
両親から溺愛され、夫からも愛され、田原先生という師匠に出会いました。
私は愛に満たされて生きていることは間違いありません。
田原先生の最後のカードが吊るされた男なら、私も子どものころから自己犠牲がモットーでした。
みんな居なくなってしまいました。
これが人生なんですね。