日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

言葉を超えた世界

2020年02月29日 18時36分50秒 | 思うがままに

銀座に用事があって行きました。

 

夫と二人でよく入った玄米のお寿司屋さんのそばを通りました。

 

二人に声をかけてくれたちょっとおっちょこちょいな店員さん、懐かしいな。

 

その店員さんに「私ね、ガンなんですよ。玄米がとてもいいのでわざわざ来たんですよ」と、あっけらかんと話す夫に私は驚きました。

 

3年前にガンだと宣告されてから私たちは運命共同体でした。

 

彼はよく「オレは君に生かされている!」と言っていました。

 

闘いを終えて夫は平安の地に旅立ってしまいましたが、私はひとり取り残されました。

 

夫亡き後、私は「死について」「魂について」をずっと考え続けています。

 

現時点で、少なくとも「死」を恐れなくなりました。むしろ楽しみでもあります。だって苦しみの世界から幸せの世界に行くのは間違いないのですから

 

昨年の今頃、彼はトレーナーに指導されながら筋トレをしていました。

 

本当によく病と闘ってくれました。

 

今頃、彼の地(天国)から「君もがんばっているね」と言ってくれているでしょう。

 

彼が居てくれた頃は、私はがんばっていた感覚はありませんでしたが、亡くなってからは本当にがんばりました。

 

昨年末、ヨーガのお仲間からお手紙をいただきました。

 

 

「シングルにようこそ。今はお辛いかと思いますが、ひとりの気楽さも味わっていただきたいです」とありました。

 

どんな慰めよりも笑顔になれました。

 

料理家の栗原はるみさんも私と同時期から死別の苦しみを味わっています。

 

死別は本人が一番辛いものですが、それを取り囲む人びとも困惑します。

 

何と声をかけた良いのか戸惑うからです。

 

私の経験上、儀礼的な言葉はいりません。

ヨーガ・スートラにもあるとおり、本当の慰めは言葉を超えたところにあるようです。

 

栗原さんは「大丈夫ですか?」の慰めに何と答えたら良いのか戸惑ったのです。

 

私が一番困ったのは、改めて「ご愁傷様でした」と言われることでした。

 

死別の苦しみから、しばし離れられるのは、普段通りしてもらうことと、亡き人を懐かしんでくれること、そして、かつて体験された方が語ってくださることだけです。

 

これは、体験した私がシミジミ思うことです。

 

かく言う私も、通り一遍の言葉を投げかけていたかもしれません。

 

伴侶を喪うことは、私を大いに成長させてくれているはずです。

 

夫は今生には還って来ません。

だから私は心の中に夫の居場所をつくり、いつでも呼び出せるようにして、おひとりさまの生活にはやく慣れて生きる喜びを見つけなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校閉鎖

2020年02月28日 21時23分56秒 | 思うがままに

「安倍晋三首相は27日に新型コロナウイルスの感染拡大防止を理由に全国全ての小中高校と特別支援学校について、32日から春休みに入るまで臨時休校するよう要請した」

 今までこんなことがあったでしょうか?

 

果たして、自宅でおとなしく待機していられるのかどうか?

すでにショッピングモールは母と子で賑わっているようです。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

除菌!

2020年02月27日 19時41分18秒 | 思うがままに

コロナウイルスが蔓延しています。お気をつけてと言いたいところですが防ぎようもないです。

 

北海道は道新カルチャーが休講を決め、東京は青山NHKが休講に踏み切りました。

 

映画さながらの事態です。

 

夫が生きていたら家中、除菌!除菌!でしょう。(笑)

 

夫の主治医だった山田陽介先生の夢を見ました。

 

穏やかなお顔に癒され久しぶりにスッキリと目覚めました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

でんでんむしのかなしみ

2020年02月27日 00時15分26秒 | 思うがままに

でんでんむしのなかしみというお話があります。

上皇后様が、ご紹介されたので有名になりました。

 

美智子様はこうおっしゃいました。

 

「この話は、何度となく、思いがけないときに私の記憶に蘇ってきました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気づき、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻み込まれていたのでしょう。生きてゆくということは、楽なことではないのだという何とはない不安を感じることもありました。それでも、私は、この話が決して嫌いではありませんでした。」と。

 

 

【いっぴきの でんでんむしが ありました。

 ある ひ、その でんでんむしは、たいへんな ことに きが つきました。

「わたしは いままで、うっかりして いたけれど、わたしの せなかの からの なかには、かなしみが いっぱい つまって いるではないか。」

 この かなしみは、どう したら よいでしょう。

 でんでんむしは、おともだちの でんでんむしの ところに やっていきました。

「わたしは もう、いきて いられません。」

と、その でんでんむしは、おともだちに いいました。

「なんですか。」

と、おともだちの でんでんむしは ききました。

「わたしは、なんと いう、ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには、かなしみが、いっぱい つまって いるのです。」

と、はじめの でんでんむしが、はなしました。

 すると、おともだちの でんでんむしは いいました。

「あなたばかりでは ありません。わたしの せなかにも、かなしみは いっぱいです。」

 

 それじゃ しかたないと おもって、はじめの でんでんむしは、べつの おともだちの ところへ いきました。

 すると、その おともだちも いいました。

「あなたばかりじゃ ありません。わたしの せなかにも、かなしみはいっぱいです。

 そこで、はじめの でんでんむしは、また べつの、おともだちの ところへ いきました。

 こうして、おともだちを じゅんじゅんに たずねて いきましたが、どの ともだちも、おなじ ことを いうので ありました。

 とうとう、はじめの でんでんむしは、きが つきました。

「かなしみは、だれでも もって いるのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは、わたしの かなしみを、こらえて いかなきゃ ならない。」

 そして、この でんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります】『でんでん虫の悲しみ』新美南吉

 

死別は、たとえようのないくらい苦しいものです。

しかし、私はたくさんの手記を読みました。

 

そのうち「苦しいのは、あなたばかりじゃありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」という声が聞こえました。

 

このでんでん虫の悲しみの最後にあります。

 

「このでんでんむしは、もう、なげくのを やめたので あります」と。

 

でも、もう少しだけ嘆かせてください。

 

あきらめの境地に至るまで

 

あきらめとは、人間の力ではどうにもならないことがあるという事実を心底から認めること。

 

悲嘆の癒しには4つあるそうです。

 

大切な人は逝ってしまい、戻ることはないという事実を認めること。

 

悲嘆反応を正面から体験すること

 

失ったものに気づき、大切な人がいない環境に慣れること

 

心の中に、亡くなった人の場所を確保し、変化した自分を受け入れること。

 

以前と同じような生活はあるはずがないのですからそれを認めたときに「あきらめ」がやってくるんですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンテイジョン

2020年02月25日 20時53分26秒 | 思うがままに

岡山から帰りました。

 

コロナウイルスの騒ぎで思い出した映画があります。

 

10年ほど前に夫と観ました。

 

コンテイジョン

 

謎のウイルス感染が発生し、驚異的なスピードで全世界へ広がる

 

そしてあるジャーナリストが人びとの不安を掻き立てます。

 

それによるパニック。

 

もう今とソックリです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とかくに人の世は住み難い

2020年02月24日 21時15分41秒 | 思うがままに

大阪NHKの懇親会でのことです。

ほかのお客さんですが、何かを誤嚥したらしくむせっていました。

 

お店の人が慌ててお水を持ってきたりタオルを持ってきたり

 

普段なら通り過ぎることですが、異様な反応を示す店員さんと、他のお客さん。

 

私は花粉症ですが、鼻声と時折咳やクシャミが出そうになるのをグッと堪えています。

 

クシャミは鼻をつまんで左右に動かすと止まります。

 

あゝとかくに人の世は住み難い。(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

順調、きわめて順調!

2020年02月23日 16時01分56秒 | 思うがままに

ユダヤの話にあるそうです。

10人の人がいたら、そのうち1人はあなたを大嫌いで敵と見ている人。2人はあなたを大好きで味方でいてくれる人。あとの7人はどちらでもない人。つまり日和見菌。

 

自分を嫌っている人に焦点を合わす人は人生の調和を欠いている人だそうです。

 

私は思います。

もし、世界中の皆が私を嫌い敵になったとしても、夫だけは私の味方でいてくれている確信があったので、私は嫌われることに恐れは感じなかったでしょう。

 

夫は亡くなったその瞬間、彼の「死」も「苦悩」も終わりました。つまり至福が訪れたに違いありません。

 

しかし、私の終わりはここからはじまりました。

 

私の人生には彼なくしてはありえなかったからです。

 

日にち薬の効果効用はいかに?

 

確かに、毎朝、毎晩泣きはらすことはなくなりました。

 

身悶えするように部屋の中をうろつき回ることもなくなりました。

 

しかし、悲しみが癒えることはありませんでした。

 

悲嘆とは大切な人を亡くした後の心の反応です。

 

悲嘆とは、愛着を感じていたものを失うことです。

 

愛着とは、大変な時に安心できる場所、自分の一部のような存在、相手を思いやり思いやってもらえる関係。

 

つまり、愛着は、自分を成長させ、安心させ、健全でいられるという機能をもちます。

 

そうした大切な、大好きな存在があったればこそ、その喪失の後には悲嘆が現れます。

 

決して弱いからではなく絆が強いからだと思います。

 

愛着と言えば、ヨーガ・スートラの第2章に5つの煩悩を挙げています。

 

無知自我意識愛着嫌悪生命欲です。

 

無知とは、人間本来の愚かさに気づかない人。あるいは気づこうとしない人。

 

この無知から、私意識が生まれ、愛着し、失うと嫌悪を感じ、生きていくことに困難をきたします。

 

しかし、この煩悩こそ生きる原動力に違いないのです。

 

問題は喪失という動かせない事実にどう対峙するか

 

ただ何もせずにいると悲嘆反応が強いまま長く続きます。

悲嘆のために生活や仕事や対人関係に支障も出てくるでしょう。

 

悲嘆はちゃんと経過していくものです。

 

先が見えない状況から、休んだり人と関わりあいながら、一条の光が見えてきたら悲嘆のプロセスを順調に進んでいる証拠です。

 

私の場合は、涙も出ないほど感情が麻痺したりすることはありませんでした。だからたくさん泣きました。

 

悲しみから逃げず、上手く悲しみに取り組み、生活に取り組んできました。

両方をバランスよく行き来させてきました。

 

写真や動画を見て、懐かしむ。

又は泣く。

思い出を語る。

本を読む。

出かける。

 

これは私がごくごく自然に取り組んできた方法でした。

 

もし、悲嘆が正常に進まない場合には、複雑性悲嘆が考えられます。

 

カウンセリングや特別なケアが必要になるようです。

 

悲嘆の正常なプロセスは、戸惑い悲しみに圧倒される時期を経て、悲しみとともに生活ができる

 

亡き人のことを思い出したいときに、思い出し、そうでないときには、脇に置けるようになるとか

 

そして亡き人のいない世界でも自分の生活ができ、亡き人の思い出を大切にできるようになるそうです。

 

私はまだまだですが、きわめて順調に悲嘆のプロセスを歩んでいるようです。

 

大阪に向かっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

役割広がる「緩和ケア」

2020年02月22日 08時46分45秒 | 思うがままに

おはようございます。

 

朝日新聞に、

役割広がる「緩和ケア」

という記事が載りました。

 

「ガンという相手と相撲を取って勝ちたいが、痛みがあって頑張れない。痛みがあるのは私にとって相撲の土俵が整っていないこと。踏ん張りたい、仕切りたいが力が出せない。痛みの治療をしてくれませんか」

 

これは、26歳で卵巣ガンに罹患した患者の言葉だそうです。

 

私は、緩和ケアをもっと早く知っていたらという後悔は今でもあるのです。

 

夫は間に合いませんでしたが、緩和ケアの開始時期は、診断された時から

 

是非是非この機会にお話をお聞きになってください。

 

令和2416()午後から。

 

講師の先生は夫が最後までお世話になった緩和ケアの名医・山田陽介先生です。

「生きるとは」「人間の尊厳とは」を改めて考える機会を作ってくださるでしょう。

 

春爛漫の季節を東京のパワースポット築地本願寺で癒しと自分回帰のひと時にしてみませんか。ゼミナール終了後は田原豊道会長のバースデーをお祝いしましょう。

 

まだ若干のお席があります。お問い合わせは日本ヨーガ学会事務局へ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は生きてきたとおりに死んでいく

2020年02月21日 21時01分13秒 | 思うがままに

シネスイッチ銀座で「山中静夫氏の尊厳死」を観てきました。夜の部でした。

 

重たいタイトルですが、まさに死を離れて生はない

 

中村梅雀さん、名演技でした。

 

人は生きてきたとおりに死んでいく

 

考えさせられました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

断つ、捨てる、離れる

2020年02月20日 22時46分35秒 | 思うがままに

なんだか疲れ切ってモヤモヤするので映画を観てきました。

 

AI崩壊。

 

そのうち人工知能に支配される時代が来るかもしれません。それを見据えたSF映画。

 

さて、モヤモヤした時は映画もいいですが、断捨離が効果あり。

 

断つ、捨てる、離れる

 

よくぞ命名したと思います。

 

私はキッチンの断捨離をしました。使う食器はごく限られているのになんでこんなにたくさんの食器があったのでしょう。

思い切って処分しました。

 

スッキリしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする