島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

岡山紀行3日目(岡山城)

2013-04-28 13:40:11 | 雑談・その他
後楽園から橋を渡って川向かいの岡山城へ来ました。
岡山城を築いたのは、宇喜多直家の実子、秀家で、時の天下人 豊臣秀吉の養子となって「秀」の一字をもらった人物です。
天正18年(1590年)から本格的な城作りを開始しましたが、途中秀吉の朝鮮出兵などで中断し、慶長2年(1597年)、8年の歳月をかけて完成しました。
戦国時代の名残で外壁を黒漆で塗ったため、太陽光に照らされるとカラスの濡れ羽色に似ていたため「烏城(うじょう)」の別名があります。

天守閣から金のシャチホコを入れて、岡山駅方面を撮影。
現在の天守閣は昭和41年に作られた鉄筋コンクリートですが、外観は旧来通りに再現されています。
館内では5月6日まで特別展「江戸の旅人たち」が開催されており、

入場料は通常より高くて大人800円しました。
本当は後楽園との共通入場券560円を購入する予定だったのですが、痛い出費です。
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岡山紀行3日目(後楽園)

2013-04-28 11:04:06 | 雑談・その他
岡山滞在3日目は、お昼前には帰りの新幹線に乗らなければならないので、朝7時半から観光地巡りを始めました。
岡山市において観光地と言えばここでしょう。
特別名勝「岡山 後楽園」!!
言わずと知れた、金沢市の兼六園、水戸市の偕楽園と並ぶ日本三大名園のひとつです。
岡山藩2代藩主 池田綱政が家臣の津田永忠に命じて、貞享4年(1687年)に着工、元禄13年(1700年)には一応の完成を見ました。
総面積約13万㎡の広大な敷地に池や築山などが配された回遊式庭園で、江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。
さて蘊蓄はこれくらいにして、園内の地図を見ると鶴舎がありました。

築庭当時から鶴が飼育されていましたが、戦後絶滅したそうです。
その後、岡山で学んだことのある中国の郭沫若(かく まつじゃく)という方からタンチョウ2羽が贈られ、釧路市の協力も得て復活したそうです。
歩いて回ると結構広く色々なもの(流店とか廉池軒とか)があるのですが、如何せんよく分からない。
ガイドさんをお願い出来ればもっと面白かったと思いますが、朝早すぎてどこも活動していない。
そんな中で私の目を引いたのは、池の縁に立つ大岩。

ジオに関わるようになってから岩石が気になるようになりました。
これは「大立石(おおだていし)」と言って、花崗岩(かこうがん)だそうです。
よく見ると岩全体に割れ目が入っています。
これは藩主の池田綱政が庭園を造る時に運ばせるため、九十数個に割って組み立てた跡だそうです。
なんて贅沢な庭の作り方なんでしょう。
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