島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

獅子身中の虫

2024-02-09 12:47:28 | 民話・伝承
24.2.9(金)
 霊丘神社で紹介したいものは「狛犬」です。 拝殿の前に一対の狛犬さんがいらっしゃいますが、目に付く立像ではありません。
 よく見ると拝殿に上がる石段の側面に、獅子(狛犬)と牡丹が彫り込まれています。(分かりにくいと思いますので、よければその目で直に見に行って下さい。)
 獅子と牡丹は、「百獣の王と百花の王で富貴の象徴とされる『牡丹』を取り合わせて吉祥の意味を強めた文様」として使われます。
 これには「獅子身中の虫」のことわざからきているという説があります。「獅子身中の虫」とは、百獣の王である獅子も体内にすくう虫には勝てない、という意味です。
 ところがこの獅子に勝る虫には弱点があって、それが牡丹です。 獅子が己に勝る虫を牡丹で寄せ付けないことによって、まさに「最強!」に成るというお話です。
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弁天町霊丘神社

2024-02-09 12:16:07 | 寺社・仏閣
24.2.9(金) 天気;晴れ 気温;4℃
 またネットに繋がらないことをいいことにサボってました。w とはいえ、ちゃんと昨日神社撮影に行ってきました。

 まずはすっ飛ばしていた「霊丘神社」から。
 前々から疑問に思っていたのですが、国道側から入って行くと何故か神社の側面に出てきます。(表紙画像) 正解かどうか分かりませんが、昨日ふと「方角が関係あるのか!?」と思いつきました。
 本殿に向かって立つと、正面が北、背中が南、左手(国道側)が西、右手(海側)が東になります。 重ねて言いますが正解かどうかは分かりません。 が、なんとなくそれっぽい理由のような気がします。
 過去に一度紹介しています。(2010年1月15日記事) 今読み返してみると、その時は何の知識もなかった事が分かります。
 今回はもう少し詳しく紹介しましょう。(先生の解説もあったことですし)
 「最初は猛島の祀られていて、松倉重政公のおりは、鷹島(猛島)を中心に、左に愛宕、右に東照宮と三社並べて立てていた(猛島神社記) 高力氏二代目高力隆長が、島原の乱後に民心鎮定祈願のため、明暦二年(1656年)に現在地に遷した。 寛文九年(1669年)深溝松平氏六代(島原松平氏初代)忠房が藩主として入府し、東照宮への崇敬厚く、社殿等の改築を行った。 現在の社号になったのは明治十五年(1882年)で、この時始祖忠定公以下、忠房公まで六代が祀られ、併せて森岳城(島原城)にあった潜龍園稲荷神社や松島神社その他が合祀された。」(分かる!理解できるぞ〜!w)
 摂社にはこのような神社もありました。
 「蚕霊神社」・・・養蚕、蚕をお祀りしている神社です。
 霊丘神社でもう一つ紹介したいものがあるのですが、長くなりそうなので分けます。 次の記事に続きます。
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